TBA

(仮)

やめられないとまらない

2019-09-30 | ブログ

 

ゆうべしんどくて早めに寝たら、

早めに寝た分以上に早めに目がさめた。

1日しんどかったし、なんか割りがあわない気分。

 

 

「時効警察」見た。

テレビデオがデジタルに変わってたりするけど、

12年たったとは思えないくらい、

由紀さおりさんの「よろしくおねがいします」から、

「〇〇はなんとかですが」まで、登場人物も変わらないふんいき。

小ネタもしつこいくらい。

 

彩雲さんがいるかいらないかは微妙なところ。

真加出さんは時効管理課に急に入ってきたっていう違和感があっただけで、

とくにストーリーには絡んでなかったし。

刑事課コンビや九品仏さんみたいな感じでたまにでてくるくらいならいいのかも。

 

なかなか出ない「誰にも言いませんよカード」

結局、自分でばらしたから出さないのかと思ったら…

最後は玉手箱?

実は入れかわってなかったか、と思ってびっくりしたけど。

そうか、浦島町だったんだ。

 

 

「おじさんはなぜ時代小説が好きか」読み終わる。

時代小説をその書かれた時代背景や社会・経済とからめて評論した本ってほかにあるんだろうか。

「通俗」と切り捨てる見方とはまるで違う。

 

作家が影響を受けた文学作品や映画も踏まえて解説。

そして、旧帝大の文学サークル的な”純文学”と、それに対する大衆文学。

「私」を切り離して、読者と生活のために書く。

大塚英志さんの言うところの「キャラクター小説」はすでに書かれていたのだろう。

 

日本と中国や韓国の違いを意外なかたちで明らかにしたり、というのも、

関川さんにしかできない切り口なのかも。

 

 

森鴎外の章は「坊っちゃんの時代」とつながるものを感じたし、

(そう、長谷川伸も出てくる)

「司馬遼太郎の『かたち』」にもつながるところがある。

ブックガイド以上に読みたいものが増えた。

山田風太郎さんの「八犬伝」は探してみよう。

佐藤雅美さんに触れるのもわかる。

 

この講義を受けた当時の若手の編集者は今どんな仕事をしてるんだろうか。

 

 

 

いまだにくすぶっている「表現の不自由」の問題。

問題のすり替え、ねじ曲げが続いているけど、論点はこれだけでは?

 

事前に申告してたものと違う展示をだまし討ちのようにしたこと。

『その存在は、県庁には事前に一切協議・相談が無く、言わば勝手に持ち込まれたとも言えるもの』

という報告もあるわけだし。

 

それに対して、また「事後検閲」とか新しい言葉をつくるのはおかしい。

あとで検閲をしてるのではなくて、ウソの申告をしてたのだから。

 

萎縮する、とかいうのもおかしい。

補助金を出さないだけで「表現活動の制限」なんかしていないのだし。

自分達で勝手にやればいいだけ。

 

補助金があろうがなかろうが、表現したいならすればいい。

自分の中から湧き上がる、抑えようとしても抑えきれないものこそがアート。

損得よりも、あふれ出るものが止められないものがアート。

「表現の自由」なんてあとからついてくるものでしかない。

 

国に援助してもらわなければ表現活動ができないのなら、

そんなものはアートではない。

 

「爆問学問」の芸大の回がおもしろかったんだけどなあ。

今の文化庁長官と対談した回。

作者の意図やメッセージが伝わるか、伝わらないか。

伝わらないのだとしたら、表現方法がまちがってるか、メッセージ自体がまちがってるのか。

 

今の問題はそれ以前の話だと思うけれど。

 

こっちにつながるのは、

パイプオルガンをやってる学生さんが食べていけなくて、みたいな話のほうかも。

 

やりたければやればいいだけで、お金が欲しいというのはそれは別のお話。

どうやったらパイプオルガンの演奏がお金になるか知恵を絞らないと。

 

芸大に入るまでにどれほど苦労したかとか、どれほどお金がかかったかとか、

商業的に成功するか、という点にはなんの関係もない。

 

努力は裏切るもんだし、才能も必ずしも収入にはつながらないものなんだから。

 

コメント
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