第一次ボーリングブーム。今から30年以上も前の話だ。あちこちにボーリング場が建ち、誰しも熱中した。マイボール、マイシューズが当たり前だった。中山律子に代表されるプロボーラーも華やかだった。親父と弟は卑怯にも親子大会などに出場し、商品をさらっていた。早朝ゲームというのがあって1ゲーム100円だった。もちろん賭ける。1ピン10円だ。超満員で待ち時間にビリヤードがはやった。もちろん賭ける。ポケットで点数を競う。1点10円だ。密かにビリヤード場に通い。自分のキューも持っていた。キューとは突く棒のことだ。ハスラーというポール・ニューマンの映画があった。ちょいと怖い映画だったように記憶している。ハスラー2ではトム・クルーズが主演、ストーリーは忘れた。狙った玉がポケットに静かに落ちていく、たまらない。上手くなれば強くは打たない。ラーメンをすすりながら何時間も突く。一銭も持たず賭けたこともある。勝ち金をもらわねばゲーム代が払えなかった。大会にも出場した。格上の選手と対戦し、初出場でハンディは25点。その日は破格に入り、ツキもあった。あと5個のうち1個を沈めると勝ちだった。勝ちを確信した直後、ほとんど不可能と思えるほどの残り玉を全部入れられ、突く機会も与えられず負けた。勝つまでは、勝ちではない。当然のことだが、恐ろしい体験をした。高校野球のトトカルチョも盛んだった。1982年ベスト4に3校残った年があった。この時も勝ちを確信した。が、負けた。そのうちの1校が早稲田実業だった。投手は荒木大輔だ。甘いマスクで人気の選手、荒木は2年生だった。決勝に進出出来たことに満足げだった。こいつは大成しないと思った。トトカルチョもビリヤードもボーリングもやめた。最近Wiiでボーリングが復活。フックボール(カーブじゃない)がポケットに入り一瞬でピンが炸裂する。ピンアクションがほんと良くできている。ときどき理不尽にもタップ する。
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