マウスが不調。スクロールしなくなった。このままではきわめて不便、買い換えるのはしゃくなので掃除を試みることにした。以前は簡単に分解し掃除できたが、このタイプは少々やっかいだ。たぶん、中にびっしり手あかがこびりついているので分解するほかない。
裏側の輪っかは2重になっていて、外側の輪っかは接着剤で止めてあるのだ。少しずつマイナスドライバーで外していく。割らないようにしよう。内側の輪っかはピンが数本穴に入っているだけ。これも真上に慎重に外す。次に後ろ側に2本ピンが見えるからえぐると意外に簡単に外れる。その時左右のボタンが取れることがあるが、ピンを折らなければ心配ない。左右のボタンは外す必要はない。基盤からの配線を抜く。抜かないと作業が困難。配線の方向は覚えておく。忘れても自然な方向だから間違うことはないだろう。
ふた側にトラックボールの格納場所が3本のビスで止めてある。ビスを+ドライバーで外す。抜いたらコマが落ちるかもしれないが心配ない。ピンに手あかが付着しているのが分かると思う。掃除する。ついでにボールも磨いておく。ゴミなどは爪楊枝(つまようじ)で取る。すべてばらばらになっても部品点数数点だ。コマの方向は磁石のついた方が鉄板の接点の方、裏返して取り付けるので間違いやすい。写真は間違っている。格納するプラスチックの出っ張りが一番長い方が、受けの溝に入る。うまく入ればパチッと感触がある、ここが肝。後は収まるように組んでいく。
内枠を入れ、最後に外枠を白のビニールで止める。瞬間接着剤は効かない場合もあるし、次に掃除する時外しにくい。これでスクロール動作が蘇った。脇のボタンにがたが出たが、いいとしよう。紙を折って挟んでおいた。
元に戻せなくなっても、自己責任でお願いします。
素人木工では、最後はサンダーだ。これなくして滑らかな平面は存在しない。各種使うが、集塵機能付きでなくてはならない。細かな(5ミクロン以下)の粉塵は体に悪い。マスクはもちろん必須。サンダーやマルノコ、掃除などの後は作業終了までマスクは外さない。舞い上がった粉塵は容易なことでは落ちない。サンダーに袋が付いてるだけだが、集塵能力は高い。集塵機能がないものは、出番がなくなった。
ぺーパーを3種類使用する。荒#60、中#120、仕上げ#240。場合により#500も。ペーパーを変えるのが面倒なので3台使う。DIY用の安物で間に合わす。マキタはブルーがプロ用、グリーンはDIY。サンダーはこの他ベルトサンダーの手持ち(日立SB 8TB)と据え置きベルトジスクサンダ(リョービBDS-1000)を使う。手持ちベルトサンダの方は粗めを付けている。削れすぎるため、出番はあまりない。
据え置きは手で持った材を削る。荒#80は筋が残るが、小さな材の目違いを取るときなどは重宝する。細かな材の面取りなどにも使う。80番と120番を掛けた後、手で持つタイプのサンダー3種類を順次掛け平滑にする。据え置きベルトサンダの手前にある黄色の棒状のものは、いわゆる消しゴム。ベルトの目詰まりを一瞬にして取り去る、消しゴムの大判。優れものだ。ベルトジスクサンダのベルトは、なかなか木工では減らない。
針結び器って書いてあるね。釣り針をハリスに結ぶ機械です。合併で話題のPANASONICの製品、こんな物まで作ってます。市販の仕掛けもいいが、自分で作ったほうが釣れた時の興奮は大。ハリスの長さも自由自在で安上がり。針を手で結べないではないが、この機械、売ってればなんとなく買うでしょう。ハリスは大きいリールのものを買う。ハリスがよれていると精神的にもよくないし釣果にも影響する?
きっとブキッチョな松下の”浜ちゃん”が考えたに違いない。私は縁起を担いで7回まわし。どうしたわけか時々機械に引っかかって切れる場合もある。願いを込めながら何本か作り、明日の釣果を期待するわけです。
釣りのスタイルはメバルメーンの外道大歓迎、夏場キス。最大の外道は48cmのチヌ。これまでの外道はアナゴ、アイナメ、アジ、イシダイ、イワシ、磯ベラ、海タナゴ、エソ、カマス、カワハギ、カレイ、カサゴ、カナコギ、キス、ギザミ、コチ、サバ、スズメダイ、タイ、タコ、ハゼ、ハゲ、フグ、ホウボウ。まだ見ぬ外道はイカ、イサキ、オコゼ、カツオ、カンパチ、サヨリ、サワラ、スズキ、タチウオ、ハマチ、ヒラメ、ボラ、マグロ、クエ。外道の訪問を待っている。
以前は市販の安いメバル仕掛けで釣っていたが、ハゲ針に変えた。チヌやタイがかかっても針が伸びることはない。市販の仕掛けはビーズにハリスを通してこぶで止めているものを使っていた。大きな当たりでハリスが抜けることがあった。当然これが残念なのよ。50cmのチヌでも安心なハリス1.5号。メバルの釣果は下がるかもしれないが、ハゲの市販品は4号など使ってる。太さはあまり関係ないかも。ハリスの数は2本。市販品は3本だが、刺しエに時間がかかる。3本出してもかかるのは下針がほとんど。刺しエの節約にもなる。ハゲ針なので餌とりのフグが、かかってしまう不具合はあるが、時々ハゲもかかるので我慢しよう。アジ来襲にも対応でき手返しは当然速くなる。従って釣果も上がる。五目釣りにはハゲ針2本仕掛け。
アナウンサーがジャッカン27歳、などと言っているのを時々耳にする。若干はもちろん少し、多少という意味。弱冠は年齢の別称で、中国では、幼学(10歳)・志学(15歳)・弱冠(20歳、男のみ)・而立(30歳)・不惑(40歳)・知命(50歳)・耳順(60歳)・下寿(60歳もしくは80歳)・従心(70歳)・古希(70歳)・中寿(80歳もしくは100歳)・上寿(100歳もしくは120歳)とある。
日本のものには、破瓜(16歳、女のみ)・桑年(48歳)・還暦(60歳)・破瓜(64歳、男のみ)・喜寿(77歳)・傘寿(80歳)・半寿(81歳)・米寿(88歳)・白寿(99歳)・茶寿(108歳)・珍寿(110歳)・皇寿(111歳)がある(ネットから拝借)。
したがって弱冠27歳などは無いわけです。若干の意で使っていると思われる。誰しも勘違いや覚え違いで使っている言葉の間違いは多々あるもので、とがめだてはしないが、弱冠はマスコミでは許されないほど、有名な間違い。カンカンガクガク(侃々諤々)とケンケンゴウゴウ(喧々囂々)を混ぜてケンケンガクガクなどと言うのも、よく聞く間違い。誰もが意見を言い、騒がしい議論との意か?
誰しも自分の知っていることを、他人が間違うと気になるものだ。人は謙虚だから、いつも自分が間違っていると思うからだ。確認したことは記憶にとどまりやすいだけかもしれない。自分では気づかないからやっかいだ。辞書を引く意外にない。ネットで調べるのが手っ取り早い。便利な時代になったものだ。
社会の持つ知識は膨大だから、個人の知識などはたかがしれている。現存する物すべてに名がある。99.9パーセント以上の名を一生知らないで過ごすだろう。それぞれの名に意味があり背景がある。たとえば、星にも名があり記号がつけられる。星が約1000億個集まったものが銀河だ。その銀河が1000億個以上あるのだ。桁の呼び名も十、百、千、万、億、兆、京、垓、杼、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数 とここまでだと思っていたら次もあるらしい。ちなみに不可説不可説転というらしい。木の名前、植物の名前、昆虫の名前、魚の名前。動物の名前。鉱石の名前。同級生に百科事典になりたいという男がいたが、無理でしょう。
「物の名前」という辞典を持っている、そこで問題。1.穂2.首3.柄4.口金5.かつら6.こみ。さてこれらの部分名称を持つ道具はいったい何でしょう。すぐ分かった人は相等のデジタル通。
木工の興奮は、治具を工夫するところにもある。治具とは目的の加工や部材を作り出す際に、補助する道具のこと。英語ではjig。そう言えば釣りのルアーもジグだ。日本語では治具という漢字を当てる。何となく字面から意味が分かるから漢字はありがたい。加工の正確さを求める時や同じ部材を何個も作る際に工夫する。作業の安定性や正確さなどを可能にするためのものだ。丸ノコやトリマーなどフリーハンドの電動工具では正確さを確保するのが難しい。そこで治具の登場ということになる。
安いテーブルソーでもこの治具次第ではかなり正確にカットできる。写真1はホゾを作るためのもので、市販のものを組み合わせている。これで、ボゾを材の中心に作ることが出来る。ホゾとは接ぎ手のことでホゾ穴とセットになる。接ぎ手とは材と材を凸凹で組み合わせる技。さまざまな知恵が凝縮する古来の技術だ。素人手ノコではなかなか正確に切れないし、縦切りは辛い。前にも書いたが測ると不正確になる。
次の写真2は、正確にフェンスをセットするためのもの。YouTubeでこの治具を見つけた。安いテーブルソーでは材を切り出す時、正確な寸法出しが出来ない。そこでこの治具。治具の端を一度0点で切断。あとは治具の目盛りをセットし切り出す材に合わせてフェンスをセットするだけで寸法通りの材が得られる。切断する材の幅が不揃いの場合は、治具をフェンスとする。
ホームセンターで糊の付いた1mのメジャー(写真3)を売っている。
マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー、「Sicko」シッコを見た。「ボウリング・フォー・コロンバイン」「華氏911」に続くドキュメンタリー。タイトルのSickoは「病的な」アメリカ? という意味だろうか。堂々とした体格。糖尿病で無ければよいが、金持ちだから関係ないか。写真はWikipediaから拝借。
どんな社会にも病巣は潜む。誰もが銃を持ち、年間3万人もの人が撃たれて死ぬアメリカ。イラク戦争のアメリカ兵士の死者は年間1000人、実に30倍になる。健康保険が無いことによって障害が残る、あるいは死ぬ人の数はどれほどになるのか。新生児の死亡も多いというし、寿命も短いという。先進国の中で国民皆保険が無いのはアメリカだけだそうな。明るく健康的なアメリカ人。全く気にしてないのか、国民皆保険が出来る兆しはないようだ。だが、この映画は保険に入っている人の悲劇をドキュメントしているのだ。保険に入ってない人はそもそも医療を受けられないという。
日本には一応国民皆保険があり、誰もが必要な治療を受けられるはずだった。数カ月前、夜中に腹痛になりトイレに行ってもますます激しくなる一方。経験のない痛みで、朝まで耐える自信は無く、救急車をお願いする。ほどなく救急搬送されたが、いつまでたっても走り出す気配はない。救急隊員は何度も電話をかけている。30分くらいたったろうか、腹痛も少し和らいだので丁重にお礼を言って救急車を降りた。救急隊員は申し訳なさそうに「遠慮せず、ひどくなったら電話して下さい」とやさしい。何で救急隊員が申し訳なく思う必要があるのか。保険があっても医療を受けられない場合もあるのだ。
このように、最近ちょっと雲行きがあやしい。急病人がたらい回しされたあげく死亡する、保険証を取り上げられる、年金がらみで健康保険証が失効する、など健康的でないニュースが連日報道される。国民皆保険は無くてはならない制度だ。こんな保険をアメリカのように一企業にやらせていて、ろくなことにならないことは明白だ。生命保険会社の不払いが横行しているからだ。製薬会社、医者、政治家が結託した国の医療が健全なものになるはずはない。医療健康保険は国が誠実に管理すべきだろう。
また、国民は多くの税金を使って医者を育てる。なぜ医者は公務員でないのか。医者を公務員にすれば、山積する医療現場の苦悩はほとんど解消されるように思うが素人考えだろうか。定年までゆったり医療や研究に専念できるし、無医村など存在しない。殺人的な医師の勤務も解消されルだろう。優秀な医師には豊かな人生が約束され、凡庸な医師にも勉強時間が十分与えられる。アメリカの保険会社で働く医師のように、必要な医療を妨害し良心にさいなまれるようなこともない。まっとうな、国の機関が誠実に管理さえすればいいのだ。必要な人に必要な医療を施すシステム、簡単なことだ。医療は無料であるべきだ。そこに保険会社を介入させる余地など無い。現在の健康保険制度でも、入院時に1万円の給付金は必要ないのだ。死亡保険金だけならずっと少ない保険料で済むはずだ。医療費無料化を実現している国が現実にあるのだ、世界2位のGDPを誇る日本が実現できないはずはない。
日本は医療立国を目指すべきとの指摘は、はるか昔、野坂昭如のエッセーで読んだ記憶がある。もう一つ彼の予想では、日本はきっと飢える。杞憂に終わることを願う。