※手帳のメモより
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先ずは昨年退院後の私の下痢の酷さを見て下さい。
トイレの中で暮らさなきゃいけないかと思うくらいの頻度でした。
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1/4(月)
採血
1/5(火)
明日のレントゲンに備えて夕食は21時までに。
1/6(水)
朝から絶飲食にて、胃部透視造映TV(バリウム)
1/12(火)
朝一で入院
夕方こうちゃんと二人で手術の説明を受ける。
1/13(水)
採血
明日午前9時半からの予定だった手術が緊急手術が入ったため午後からに変更になりました。
1/14(木)
手術
<術後の姿>
片方の鼻から喉に管を通して、呼吸器(口を覆う形の)を装着
首に点滴(栄養補給)のチューブが繋がれている
背中に痛み止めの点滴のためのチューブが繋がれている
お腹両脇に体液を排出するためのドレンチューブ(先には体液を貯めておく為のケースが付いている)=腹帯で包む
尿道に同様のドレンチューブ
※お腹両脇のドレンチューブは私的には“ホラー”でした。
1/15(金)
採血 胸部レントゲン
尿道に挿入していた管を外して自分の足でトイレへ行き排尿成功。
(看護師さん曰く、手術の翌日にこれが出来た人は2分の1から3分の1で、男性はもっと少ないとのこと)
しかしこの日の夜中から追加の痛み止めが効かず、汗を滲ませながら朝まで唸ることに。
>胃の不快感も甚だしいし、明後日の手術が待ち遠しいです。(入院しましたより)
↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
バカでした。
術後の痛さときたらアナタ、この時の不快感なんて全然大したことありませんでした。
1/16(土)
看護師さんから痛み止めについて説明を受けたことで何とか痛みを(というかメンタルを)コントロールできるように。
1/17(日)
咳をきっかけにした“えずき”が頻繁に起こる。
そもそも欠伸をするだけでも痛むお腹で、まともな咳すら出来ないのにえずくって、辛過ぎました。
その度に痛みを忍んで洗面台に行き、うがいをすることで乗り切る。(痰を切ることが出来ない、水も飲めない辛さを初体験)
1/18(月)
採血 尿検査 胸部レントゲン
お昼前にお水を飲んでも良いという許可が出た。
夕方術後初のお通じ
1/19(火)
えずきのため眠れず腹痛倍増
流動食開始
カップの中身は重湯
お腹左側のドレンチューブから解放される。
1/20(水)
食道透視(バリウム)
流動食が原因か胃が締め付けられるような痛みと時々突き上げるような痛みで苦しむ。
胃透視検査(例の不味いバリウム)
1/21(木)
お腹右側のドレンチューブからも解放された。
午後看護師さんの介助でシャワーを浴びる。
3分菜食
(ペースト状のおかずは全く食欲をそそらない)
1/22(金)
開腹した跡を保護していたシートが外される。
(こちらの糸は融けるタイプなので抜糸は無し)
昼食から分割5分菜食
(10分の7は食べることが出来た)
黄桃(缶詰フルーツ)と栄養飲料は午後2時に。エネルギー補給のゼリー飲料は午後4時過ぎに摂取
1/23(土)1/24(日)
特に何もなく、いつものように塗り絵や読書をして過ごす。
1/25(月)
採血 食事は7分粥に
1/26(火)
歯科検診
今夜から点滴は昼間だけ
順調にいけばあと1週間くらいで退院できると告げられました。
1/27(水)
小学校の時からの友人から手紙が届いて嬉し泣き。
食事は全粥に
1/28(木)
60歳になりました。
来週月曜日の採血の結果で火曜日か水曜日に退院可能。また手術の時の生体検査の結果がまだ出ていないが病気が病気なので中旬くらいから抗がん剤治療を受けて貰いますと告げられました。
1/29(金)
栄養指導
1/30(土)1/31(日)
特に何もなく、いつものように塗り絵や読書をして過ごす。
2/1(月)
採血
午後、首の針をやっと抜いて貰えた。(点滴終了)
先生「退院は明日でも明後日でも良いけど?」
私「明日退院したいです!!」即答。
2/2(火)
昼前に退院しました。
(病院に向かう車中にて)
病室に案内され、Oさんが送って下さった木札を早速祀らせて頂きました。
ありがとうございます。
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今日は手術前の歯科検診で「若いですね」と言われました。
?え?何て?もう一度言ってくださーい♪←心の声(笑)
「若いですよ。(歯と顎の)骨が」
そう。レントゲン写真を見ながら言われました。
見た目は老け顔の私ですが、歯と顎の骨は40代後半くらいだそうです(笑)
この歯の状態をキープすれば100歳まで生きることも可能だそうです!
そして夕方、
こうちゃんと二人で手術の説明を受けました。
手術はルーワイ法になるだろうこと。
切除する範囲がかなりで胃は殆ど残らなさそうです。
背中に管を通して麻酔後全身麻酔だとか、術後は酸素マスクを装着されて、手だけでなく首にも鼻からも尿道にも管が通されるとか。
あと、昔と違って今はリスクの説明も行われます。
怖いからと聞くのを止めるわけにはいかないお話です。
もちろん手術も。
入院したらもう覚悟を決めるしかないです。
そうそう。
ヘモグロビン値7~8が女子中高生が校庭で倒れるレベルなんだそうです。
だから4.6なんていうのは「よく生きてましたね」なんだそうです。
わたし、店頭で給油作業してましたよ(滝汗)
胃の不快感も甚だしいし、明後日の手術が待ち遠しいです。
※メモ帳に綴っていた日記です。
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日曜日に当たる年は二人で参拝しているけれど、今年はこうちゃんが一人で参拝してきました。
前回のくじ引きは日本酒が当たり、今年はぬいぐるみと流行の鬼滅の刃柄(?)の靴下です♪
可愛いです。
(*^▽^)こうちゃんよ、よくやった!
いよいよ明後日が入院日。
「今日と明日何が食べたい?」
「カレーとシチュー」
子供みたいなこうちゃんです。
お茶すら自分で淹れないこうちゃんでしたが今後はそういうわけにはいきませんので、二人で台所に立ちカレーとシチューを一緒に作りました。
年末に退院してから洗濯機の使い方と電子レンジでの温め方と教えて、料理もしたので今度の入院中のこうちゃんは前回よりは大丈夫のハズ。
前回は洗濯機の使い方が分からずに風呂場で洗濯して手で絞って、それを部屋干ししていたそうで、
部屋の一角に新聞紙が敷いてあった謎が解けたというか(苦笑)
笑かしてくれます(笑)
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体重は減り続けて現在43.5㎏
続けて動くとフラフラするし、ヘモグロビン値が足らなくて輸血になるのは間違いないだろうな。
献血して下さった皆様、お世話になりますm(_ _)m
随分前から30m程先の郵便局のポストに投函して帰ってきただけで息切れしてたのを歳のせいとか運動不足で済ませていたけど、
年末の入院で同室だった方が「ヘモグロビン値7.ナンボで包丁が持てなかった」とおっしゃっていたから、私の4.6って考えたら怖いレベルだったんだな(汗)
頭の中でシャンシャンシャンシャン鳴ってたしグアングアンと耳鳴りもしてた。
胃痛は酷い時は意識を失うような感じで眠ってしまうこともあった。
昨年爪が縦に裂けたり足が頻繁に吊ったのも前兆だったのかも知れない。
「これくらい大したことない」って我慢して放置していたのは良くなかったです。
※メモ帳に綴っていた日記です。
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営業時間内に配達に行くために2~3度店を閉めているらしい。
配達から戻る途中、信号の所で店を見たら車が停まっていて数十秒後に出ていくのが見えたときは「アチャー(汗)」
戻って直ぐに4~5台給油客が来てくれると「帰ってくるのが間に合って良かった~(♪)」と思うと言っています。
「あんまり店を閉めてばかりでもいけないので、法人先だけど工場が24時間やっているから早朝に配達させてもらうことにした」と、今朝は1時間早く6時に出勤しました。
(※今朝はマイナス9℃だったそうです)
冬場なので配達が多くて今のところオイル交換や洗車などの作業はお受けする余裕が無く、昨年末に新しく購入したタイヤチェンジャーもまだ1度も使っていないそうです。
「それでも燃料油が何故かそこそこ出ている」と安堵の表情を浮かべていました。
明日の日曜日も出勤して(平日に行う時間が無くなった)錬金術作業を行う予定です。
こうちゃんは凄いです。
そこまで働いて帰って来て、晩御飯の後片付けまでしてくれます。
「そのくらい出来る」と言っても「お前は動くな」と言ってさせてくれません。
でもまぁ、まだ胃を切ってもいないのに食後にダンピング症候群のような症状が出て横にならざるを得ないので助かっていますが。(*^▽^*)ゞ
私の事を知ったお客様が「大事にしてあげて」と言って下さるそうで、有難く思います。
※メモ帳に綴っていた日記です。
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最低気温マイナス7.6℃
日中でもマイナス2℃
でも晴天。
外の空気が気持ち良い。
ほったらかしにしていたのにイチゴが生っていた。
その場でお口の中へ。しっかりしたイチゴの味がして美味しかった。
台所の水道が出たのが午後2時を回ってから。
今夜はお水をチョロチョロと出しっぱなしにしなくては。
動くなと言われているけれど、溝の落ち葉が年末から気になっていた。
身体もなまるし(小一時間くらいなら)と12時から庭掃除を始めた。
動いているからそれほど寒くは無かったけれど足先だけは氷みたいで感覚がなくなっちゃった。
時計を見たら午後2時。
(こんなふうに集めた落ち葉の塊が5ヵ所くらいになる)
途中だけど少しフラフラしてきたので中止して炬燵に入って足を温めていると「3時までに来れるか?」とこうちゃんから電話。
CODの仕入取引が1件だけあるので、その分の支払いをしに店へ。
(私が入院中はこうちゃんがすることになっている)
そうしたら、レターパックが届いていた。
お手紙を読んで泣いた。
有難くて。
P.S.
万が一に備えて身辺整理もしようと思うのだけど中々・・・
なのでやっぱり「全摘手術は無事に終わって退院」しなくては!
↓ こういうのもあるしね(汗)
ネットを使いこなしていた父が死去 家族に待っていた「解約地獄」
https://www.moneypost.jp/742893
「父のクレジットカードを1枚止め損ねただけで、まさかこんな“解約地獄”が待っているとは思いませんでした」──ジャーナリストで映画監督の三上智恵氏は肩を落とし、そう呟いた。
三上氏の父が85歳で亡くなり8か月以上が過ぎても、父が生前に利用していたサービスの支払いと解約に、三上氏ら遺族は今も翻弄されている。
「銀行口座やクレジットカードからの自動引き落としは、本人死亡の連絡をすれば取引が停止されるはずです。ところが父のカードは複数あり、そのうちの1枚を止め損なったせいで、年会費のほか、さまざまなサービスの料金請求が父の死後も続いたのです」(三上氏)
2020年の11月にカード停止の連絡をしたが、「停止には2か月かかる」と言われ、今も月約10万円の支払いが続いているという。
「父はネットを使いこなしていたので、その他の契約も確認して解約するのは大変でした。ネット銀行、動画配信サービス、ケーブルテレビ、インターネットプロバイダーまで、それぞれにアカウントとパスワードがある。電話で解約しようにもなかなか繋がらず、繋がっても『本人確認のため』とたくさんの書類提出を求められました」(同前)
近年、三上氏と同じような目に遭う遺族が増えているという。ネット経由での契約は手軽に申し込める半面、いざ解約となると本人ですら面倒だ。死んだ親の契約を子が解除する場合、手続きの負担は何重にもなってしまう。相続手続カウンセラー協会代表理事の米田貴虎氏が指摘する。
「公共料金や携帯電話・通信、各種カード類など、解約手続きをしなければ死後も料金支払いが継続してしまうものは多い。サービスの契約先は多様で複雑化しているので、亡くなった親が何を契約していたかを全て把握するのは無理でしょう」
カードを止めないと支払い請求は続く
故人が複数のクレジットカードで支払いを行なっていた場合は特に注意が必要だ。引き落とし先の銀行口座を停止しても、カードを止めなければサービス提供者からカード会社への支払い請求は続く。米田氏が続ける。
「遺族(子など)から1人暮らしをしていた故人(親)の解約手続きを丸ごと依頼されることがあります。私たちがまず行なうのは、引き落としや支払いに使う銀行口座やクレジットカードの停止です。
1~2か月が経つと、引き落としや決済ができなかった契約先から、請求書が郵送で届く。そこで初めて、故人がどんな支払い契約を結んでいたか確認できるのです」
ファイナンシャルプランナーの長尾義弘氏はこう指摘する。
「最近はネット銀行での引き落としやネット証券での取引を行なう高齢者が増えています。その場合、通帳が存在しないので、パソコンやスマホのパスワードがわからないとお手上げです。ネット銀行に口座があるかを親に確認し、可能ならパスワード類のメモがどこにあるかを聞いておきましょう」
携帯電話も解約しなければ月額数千円の基本料金を払い続けることになってしまう。
携帯ショップに親の死亡診断書の写しと親が使っていた本体、解約手続きを代行する者の身分証明書を持参すれば解約できる。解約手続きがなければ月々の基本料だけでなく、親が携帯で登録していた有料アプリや定額サービスなども請求され続けることになる
「振り込み用紙」での支払い契約もある。都内在住の40代男性が語る。
「実家の母が亡くなって1か月後、地方の水産加工会社から毎月セット商品を定期購入していたことを不在配達票が来ていたことにより知りました。商品に同梱される振り込み用紙で支払いをするもので、解約しない限り毎月商品の請求が来てしまう。早めに気づいて良かったと思いました」
新聞・雑誌の定期購読料やフィットネスクラブの月会費なども解約を申し出ない限り支払いが生じるケースが多いので注意が必要だ。
※週刊ポスト2021年1月15・22日号
営業時間内は「配達中」と張り紙をして配達をしているこうちゃん。
営業時間外にも配達をしているこうちゃん。
晩御飯を食べながら「今日店はどうだった?」と訊くと
今日もオイル交換をお断りした、と。
「時間をずらしてもダメ?」と言ってくれたけど断ったと。
「そっか...さっきも配達中やったもんね」(出直してくれたってことです)
それでもお断りするしかなかった、と。
大きなトラックが灯油の計量機の前に止まったから「何や?」と思ったら掛取引の法人さんの従業員の男の子が荷台にドラム缶を積んで灯油を買いに来てくれたそうで、
こうちゃんが「今まで通り配達に行くから言ってくれたらええねんで」と言うと、
「いいよ、いいよ。大変なんやから、ドラム積んでボクが来るから」と笑顔で言ってくれた、と。
いつもおっちゃんおっちゃんと親しく話し掛けてくれる子なんや、と。
そうした話を聞いて「有難いね」と呟きながらこうちゃんの顔を見たら、目を真っ赤にして「ほんまや」と頷いた。
今でも残ってくれているのはホンマに皆良い客ばっかりやからな...
灯油かて昔みたいにいつでもどこにでも頼んだら持ってきてくれるっていう時代じゃなくなったからな...
うちに頼んで来る人らは皆うちを頼りにしてくれてはるからな...
簡単に切られへん(店を畳めない)
そう言って、声を詰まらせ泣いたこうちゃん。
そうだよ。
普通で考えたら車で数分走れば10円以上安値の店があるのにそこを素通りしてうちの店に来続けてくれるんやもん。
普通で考えたらあり得へん有難い人たち。
全国のうちと同じような店は、多分皆同じじゃないかな。
そういうお客さんのために(ためだけに)店を続けてきたようなもんだと言っても過言ではないと思う。
あの福島の三島町の亡くなられた店主さんも同じだったんじゃないのかな。
※メモ帳に綴っていた日記です。
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下痢も収まり午前10時に出社
昨日予約した振込が完了しているかを確認して、月末にお渡しする小切手を切りました(当座への入金は昨日済ませています)。
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お客様が給油に来てくださりフィールド上に3台~4台という状況を目の当たりにしながら動けないわたし。
「たまたまや。気にするな」とこうちゃんは言ってくれるけど・・・・
※メモ帳に綴っていた日記です。
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今日は胃のエックス線検査を受けた。
バリウムは最初に一気に飲むのかと思っていたのだが、「口に含んで、ごっくんして」を数回繰り返した。
なので不味さが倍増。
検査が終わって消化器外科の診察室の前で待っていると先ほどの技師の方が来られて、「もう一度、確認のために撮らせて下さい」とのこと。
そんなこともあるのかな?と思いながら再度放射線室へ。
さっきとは違い簡単に数回撮り終えて、消化器外科前に戻って待っていると看護師さんの出入りでドアが開いた時に診察室の中に先ほどの技師の方が居て苦笑いをしながら先生に謝っている様子が見て取れた。
あれ?もしかして1回目、撮れていなかった?
順番が来て中に入ると「行ったり来たりさせたみたいで」と先生が詫びて下さり、診察。
来週連休明けに入院。
ヘモグロビン値がまだ足りないので再度輸血のお世話になってから手術ーという予定です。
午後は店に行って事務仕事。
仕入れ代金の支払いは15日と月末だけど、その期間は入院になるので、先方さんに請求金額だけ早急に教えて貰えるようお願いした。
自転車操業だからいつもは掛代金の回収をしてそれを仕入の支払いに当てているのだけど、今回はこうちゃん勘定とmasumiさん勘定から用立てることにしました。
やっぱり支払いの事をきちんとしておかないと落ち着かないですから。
P.S.
「下痢になるバリウムだから、勝手に出ちゃうこともあるから、早め早めにトイレに行くように」と言われたけれど全然出る気配がない・・・・と思っていたけど午後6時からピーピーが始まった。
お腹も痛いし胃も痛いし苦しいしで、“横になって~トイレ行って~”を夜まで繰り返した。