当初窒素は栄養素として体内に吸収された後、エネルギーとして使われ、
燃えかすとなって尿中に排出されると考えられていたのだが、
実際は排出された窒素は与えられた量の30%にもならず
ほとんどが体内に蓄積された。
しかもその場所は脂肪ではなく、
体の臓器全てに入り込んでいたのだ。
食べたものが、心臓になり肝臓になり血液になり膵臓にさえ置き換わったのだ。
その間ネズミの体重には全く変化がなかった。
つまり食べた食物の原子は体の一部になり、
いままでそこにあった体の原子は体内に捨てられたということだ。
全ての物質は空気さえもそうだが、原子というつぶつぶで出来ている。
生物は食物を体外から取り入れ、
そのつぶつぶを今まで使っていたつぶつぶと入れ替えているのである。
砂丘の砂粒に似ているかも知れない。
砂丘にある砂は風により毎日移動してその姿を変えるが、
全体としての砂丘は依然としてそこにある。
ただ砂丘が生命活動と決定的に違うところは、
全体としての姿を全く変えずに
その中身だけを毎日取り替えているというところだ。
シェーンハイマーはそのことを
「ダイナミックスタイル=生命の動的な状態」と呼んだ。

燃えかすとなって尿中に排出されると考えられていたのだが、
実際は排出された窒素は与えられた量の30%にもならず
ほとんどが体内に蓄積された。
しかもその場所は脂肪ではなく、
体の臓器全てに入り込んでいたのだ。
食べたものが、心臓になり肝臓になり血液になり膵臓にさえ置き換わったのだ。
その間ネズミの体重には全く変化がなかった。
つまり食べた食物の原子は体の一部になり、
いままでそこにあった体の原子は体内に捨てられたということだ。
全ての物質は空気さえもそうだが、原子というつぶつぶで出来ている。
生物は食物を体外から取り入れ、
そのつぶつぶを今まで使っていたつぶつぶと入れ替えているのである。
砂丘の砂粒に似ているかも知れない。
砂丘にある砂は風により毎日移動してその姿を変えるが、
全体としての砂丘は依然としてそこにある。
ただ砂丘が生命活動と決定的に違うところは、
全体としての姿を全く変えずに
その中身だけを毎日取り替えているというところだ。
シェーンハイマーはそのことを
「ダイナミックスタイル=生命の動的な状態」と呼んだ。
