サェンバェノー!
11月1日に当地に戻ってきました。
今年はとても暖かく11月だというのに昼間の気温はプラスです。
今日は曇っていますが気温は現在(午前中)+5℃です。
さて母の状況ですが耳の痛みもなく食欲が出てきて今はすっかり元気を取り戻しています。
最初病院に運ばれてきたときは「餓死寸前だった」と先生はおっしゃっていました。(母は近くに住む50年来の教員仲間の人に付き添われて入院したそうです)
病院から帰るときに乗ったタクシーの運転手さんがたまたま入院するとき母を乗せて行ったそうでやはりかなりひどくて一人では立つこともできなかったと言っていました。玄関まで私を見送りに来た母の姿を見て驚いていました。(回復していたので)
元気になったのでいつでも退院してもいいんだけれど三叉神経痛は再発するので自宅で一人で生活するのは危険です。
受け入れ態勢ができるまで入院しててもいいですよと言ってくださいました。
同じ敷地に介護施設もあるのでそこが空いたら入れていただけるようお願いしてきました。(いとも簡単に母は納得)
母のことはとりあえず安心しました。
兄は思っていた以上にとても元気でお見舞いに来る人が思わず涙を流すと「泣くのはまだ早いよ。俺はまだ死んではいないんだから」と言って皆を笑わせたりしていました。
兄はやっと抗がん剤治療を始めることになりました。
PET検査で全身の骨に転移していることがわかり(頭部以外)癌細胞を取って抗がん剤治療をすることになりました。
しかし内視鏡検査で癌細胞は採取できなかったそうです。
兄は数年前軽い脳血栓になったためその後血液が固まりにくくするための薬を飲んでいました。
内視鏡検査の後もその薬を飲んだためその薬がすべて体外に排出されるまでの1週間は内視鏡の再検査はできないとかでその後の1週間は何もできませんでした。
そして10月21日いざ内視鏡検の再査を始める直前(麻酔後)不整脈で心拍数が150くらいまで上がり急遽検査は中止になりました。
その後は脈が安定するまで検査はできないとのことで毎日24時間心電図を見ながら脈が100くらいまで下がって落ち着くまでの待ちでした。早く検査をしないと癌はどんどん進行するのでは?と落ち着きません。
10月30日無事に再検査を終え結果待ちでしたが翌31日再び癌の組織は採取されなかったとの連絡があり私は居ても立っても居られませんでした。なぜ?なぜ?本当は癌ではないのかも?などと思ったり、でも本人を含め皆で画像を見て先生の話も聞いているので癌に間違いはないと言うし・・・。
翌11月1日CT検査をしたところたまたま肺に水が溜まっていることが分かったのです。その日のうちに背中から針を刺して胸水を採取しました。結果は3連休明けと聞いていましたが休みの日に癌細胞が採取できたと連絡がありました。
ずいぶんやきもきしましたがこれでやっと治療に専念できることになりました。
抗がん剤治療は副作用がきついとよく言われますが何とか乗りきって欲しいと願うばかりです。
それからもう一つ九州滞在中に義姉が脳血栓で倒れ緊急搬送されて手術を受けたと連絡がありました。
集中治療室で数日経過を診ていたようですが現在一般病棟に移ったと聞きました。
お見舞いに行こうと数日早く上京しましたが今は遠慮したほうが良いと判断しました。
今度帰国したときは面会できると思いますのでリハビリに専念してください。
兄は65才、義姉も65才、私は来年65才、健康の曲がり角かもしれません。今まで以上に健康には気をつけないなければ、そして定期的な健康診断も受けようと思っています。
PS: 夕方4時半、買い物からの帰りに雨雲のような黒い雲が低く漂っていました。運転手があれは雪雲だと言うのです。
そのときの気温は0度。私は雨だと思ったのですが家に着いて1時間後何気なくカーテンを開けると外は真っ白になっていました。私が見た今年初めての銀世界です。はたしてこの雪が今年の根雪になるのでしょうか。
11月1日に当地に戻ってきました。
今年はとても暖かく11月だというのに昼間の気温はプラスです。
今日は曇っていますが気温は現在(午前中)+5℃です。
さて母の状況ですが耳の痛みもなく食欲が出てきて今はすっかり元気を取り戻しています。
最初病院に運ばれてきたときは「餓死寸前だった」と先生はおっしゃっていました。(母は近くに住む50年来の教員仲間の人に付き添われて入院したそうです)
病院から帰るときに乗ったタクシーの運転手さんがたまたま入院するとき母を乗せて行ったそうでやはりかなりひどくて一人では立つこともできなかったと言っていました。玄関まで私を見送りに来た母の姿を見て驚いていました。(回復していたので)
元気になったのでいつでも退院してもいいんだけれど三叉神経痛は再発するので自宅で一人で生活するのは危険です。
受け入れ態勢ができるまで入院しててもいいですよと言ってくださいました。
同じ敷地に介護施設もあるのでそこが空いたら入れていただけるようお願いしてきました。(いとも簡単に母は納得)
母のことはとりあえず安心しました。
兄は思っていた以上にとても元気でお見舞いに来る人が思わず涙を流すと「泣くのはまだ早いよ。俺はまだ死んではいないんだから」と言って皆を笑わせたりしていました。
兄はやっと抗がん剤治療を始めることになりました。
PET検査で全身の骨に転移していることがわかり(頭部以外)癌細胞を取って抗がん剤治療をすることになりました。
しかし内視鏡検査で癌細胞は採取できなかったそうです。
兄は数年前軽い脳血栓になったためその後血液が固まりにくくするための薬を飲んでいました。
内視鏡検査の後もその薬を飲んだためその薬がすべて体外に排出されるまでの1週間は内視鏡の再検査はできないとかでその後の1週間は何もできませんでした。
そして10月21日いざ内視鏡検の再査を始める直前(麻酔後)不整脈で心拍数が150くらいまで上がり急遽検査は中止になりました。
その後は脈が安定するまで検査はできないとのことで毎日24時間心電図を見ながら脈が100くらいまで下がって落ち着くまでの待ちでした。早く検査をしないと癌はどんどん進行するのでは?と落ち着きません。
10月30日無事に再検査を終え結果待ちでしたが翌31日再び癌の組織は採取されなかったとの連絡があり私は居ても立っても居られませんでした。なぜ?なぜ?本当は癌ではないのかも?などと思ったり、でも本人を含め皆で画像を見て先生の話も聞いているので癌に間違いはないと言うし・・・。
翌11月1日CT検査をしたところたまたま肺に水が溜まっていることが分かったのです。その日のうちに背中から針を刺して胸水を採取しました。結果は3連休明けと聞いていましたが休みの日に癌細胞が採取できたと連絡がありました。
ずいぶんやきもきしましたがこれでやっと治療に専念できることになりました。
抗がん剤治療は副作用がきついとよく言われますが何とか乗りきって欲しいと願うばかりです。
それからもう一つ九州滞在中に義姉が脳血栓で倒れ緊急搬送されて手術を受けたと連絡がありました。
集中治療室で数日経過を診ていたようですが現在一般病棟に移ったと聞きました。
お見舞いに行こうと数日早く上京しましたが今は遠慮したほうが良いと判断しました。
今度帰国したときは面会できると思いますのでリハビリに専念してください。
兄は65才、義姉も65才、私は来年65才、健康の曲がり角かもしれません。今まで以上に健康には気をつけないなければ、そして定期的な健康診断も受けようと思っています。
PS: 夕方4時半、買い物からの帰りに雨雲のような黒い雲が低く漂っていました。運転手があれは雪雲だと言うのです。
そのときの気温は0度。私は雨だと思ったのですが家に着いて1時間後何気なくカーテンを開けると外は真っ白になっていました。私が見た今年初めての銀世界です。はたしてこの雪が今年の根雪になるのでしょうか。