リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

今年の漢字は?(2)

2019-12-30 11:08:30 | 国内
今年の6月1日、とてもショッキングな事件がありました。元農水次官のK氏が起こした事件です。
この事件を知った時は飛び上がる程驚きました。私は同じ時期にチェコに住んでいてKご夫妻とは時々話をする機会もありました。

K氏はとても立派な人でこの事件は信じられませんでした。気さくで誰に対しても分け隔てなく接し、無理なことは絶対に言わないしいつも感謝の気持ちを持っています。エリート官僚であっても上から目線などとは縁のない人です。彼を悪く言う人を私は知りません。同じ時期にチェコにいた人達からも連絡があり減刑嘆願書を出そうという話になりました。

K氏ご夫妻には二人の子供さんがいて長男さんは別の所に住んでいる。チェコに来るまでは娘さんと3人で暮らしていたとの事。娘さんは社会人になってまだ日も浅く日本で一人暮らしをさせていることをとても心配していました。
我が家も同じような状態で息子を一人暮らしさせることになり成人しているとはいえとても心配でしたので気持ちは良くわかりました。
我が家は社宅だったため息子は新しく住むところを探し引っ越しました。小さいながらも集合住宅なのでまだ少しは安心でしたがK氏ご夫妻の娘さんは戸建ての家に女の子の一人暮らしと聞いただけで息子以上に心配したほどです。

夫人の話で「娘が心配なので一人残してチェコには行きたくない、自分は言葉(英語)も出来ないし社交的ではないので日本に残る」とご主人に言ったそうです。その時K氏は「何もしゃべらなくてもいい、側にいるだけでいいからとにかく一緒に行ってくれ」と説得され来たのだと言っていました。
普通ならそこで「ご馳走さま!」とでも言いたいところですがそんな雰囲気ではなく何となく別にもあるのかな?と感じました。

そしてこの事件を知った時、母親に対して長男さんからの家庭内暴力があったと知りました。K氏は夫人の命を守るために娘さんを一人残してまで夫人をチェコに同行させたのではないかな?と思いました。

K氏の娘さんを心配する気持ちが半端なく強かったので私は口にはしませんでしたが単身赴任でも良かったのでは?とその時は思ったほどです。最近は親の介護の為大使でも単身赴任する人が多くなったと聞いていたからです。

先日初公判が開かれたとニュースで知りました。娘さんも兄の事が原因で5年前に自殺をしたと知りました。それを知って私は涙が止まりませんでした。K氏が刑期を終えて戻ってくるまで二人で支え合って生きて欲しいと願っていたものですから。
夫人のこれからがとても心配で夜も眠れず涙ばかり流していました。本当に辛い涙でした。

その数日後刑が言い渡されました。刑はこのような事件では軽いようですが私は判決理由に納得がいきません。裁判官はちょっと違った捉え方をしているのではないかと思いました。本人はきっと控訴しないと言うと思いますがせめて弁護士さんが頑張って控訴して欲しいと願っています。

世間の多くの人はこの事件の数日前に起こった川崎での通学バスを待つ人たちへの無差別殺人事件も影響していると思っていたようですね。私もその一人です。しかし裁判でその事を質問されたとき、「その事件とは全く関係ありません」と言ったそうです。もしそれが本当であったとしても逆の事を言っていたら良かったのに・・・と思いましたが彼はどこまでも誠実な人なんですね。

この記事を途中まで書いている時K氏の保釈が認められこの年末年始は夫人と過ごせることになったそうです。保釈は認めるけれど本人が自殺をしないように見張ることが条件とのことです。
でも良かった~~~ これを知ったのは外出中でしたが嬉し涙が出ました。嬉し涙で今年を終えることが出来て良かったです。

(ネットニュースで弁護士が本人を説得して控訴の手続きをしたと出ていました。本当なら嬉しいです)  

今年の漢字は?

2019-12-23 11:47:11 | 国内
今年もあと10日、なんてテレビで言っているのを聞いてえっ? と驚きました。本当にあと10日でした。毎日あれこれとやらなければいけないことが沢山あり過ぎて考え事ばかりしている為か今年は特に実感がありません。月日の経つのは本当に早いですね。

12月12日、この日は毎年「今年の漢字」が発表されます。今年は「令」でしたね。私の周りでは予想が当たったという人が沢山いました。やはり世相を表す漢字だったのでしょう。
私は世相を表す漢字を考える余裕はありませんでしたが自分自身の今年の漢字を何となく考えていました。思い浮かべるのはネガティブな漢字ばかりでした。皆さんは個人的にはどんな漢字だったのでしょうか? 私は「涙」でした。

特に令和元年が終わる日が近づいたころの「母の死」です。3年前に初めて「母危篤」の連絡を受け一時帰国をしました。その時の血圧が 70 / 40 でした。昇圧剤のお陰で奇跡的に一命を取り戻し会話も出来ていました。しかしその後はほとんど寝たきり状態になったようです。私が本帰国してからもこの1年半にさらに2度危篤状態になったものの奇跡的に生還していました。
そんな日々が続いたためか私は毎日のように母との別れを意識するようになりました。この間沢山の事を思い、考えていたので割と心静かに送ることが出来ました。穏やかな涙でした。

長くなりそうなのでもう一つの「涙」は後日改めて、とします。

お知らせ

2019-12-09 02:21:50 | 国内
久しぶりの投稿になってしまいました。その間も「リョウの近況」を覗いてくださっていた方々、ありがとうございました。

今日は悲しいお知らせです。
令和元年11月8日(金)母が永眠いたしました。

10月24日に入院したと連絡がありました。
嘔吐による誤嚥性肺炎の可能性が疑われる・・・とのことでした。
帰国して1年6カ月で10回目の九州行きとなりました。母に会いに行くたびにもうこれが見納めになるかもしれないといつも心の中で「さようなら」を言っていました。
自分の定期検診の為一度東京に戻りましたが、その4日後の朝母は逝ってしまいました。
最期をみとることはできませんでしたが、穏やかに眠るように逝ったと聞きました。

後日、お世話になった施設にご挨拶に行くと「最近も教え子さんやご近所に住んでいたという方から母の様子を尋ねる電話がかかってきています。個人情報なので教えることはできませんと言って対処しています。」と聞きました。

教え子さんの中には私のブログを見ていてくれる人もいるのでこの場をお借りしてお知らせしておきます。

長い間母の事を気にしてくださった方々にお礼を申し上げます。