以前キリル文字でメールが届いたという記事をUPしましたが覚えていますでしょうか? 返事をどうしようと思っていましたが、毎日の生活の中でつい忘れてしまい失礼ながらそのままになっていました。すると先月またメールが届き今度は家族全員で撮った写真が添付されていました。
嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいになり思い切って電話をしました。
モンゴル語を思い出しながら会話を想定し練習しました。まるでテスト前のような緊張です。思えばモンゴルを離れて既に5年半が過ぎています。60歳を過ぎて覚えた言葉なのでしばらく使わない間にほとんど忘れてしまっています。
緊張しながら相手が出るのを待ちました。
「バイノー」(もしもし)
「バイノー。ビ リョウ バイナ。サェンバイノー?」(もしもし、私はリョウです。お元気ですか?)
嬉しそうな声で「サェン、サエン。アナタハ ゲンキデスカ?」(元気です。元気です。あなたは元気ですか?)
「ハイ元気です」
一呼吸おいて
「オーチラーレイ。オドー アジルスン。ダラー オタス。 オネガイシマス」(今、仕事中です。後で電。、お願いします)
緊張の糸がプッツンと切れました。思えば平日の昼間でした。現在彼はオフィシャル運転手として働いているのです。
週末改めて電話をしました。今度はそれ程緊張はしていませんでしたがやはりかなりのモンゴル語を忘れていると感じました。その代り彼の日本語が随分上達していました。毎日日本人と話しているからとのことです。
彼が私たちのプライベートの運転手になった時、彼は全く日本語はできませんでした。
勿論私はモンゴル語は全くできませんでした。それでも毎日生活をするうえで意思の疎通は必須です。私はその日買い物に必要な物は単語を紙に書き出しておき、先ずは口で説明する。もし通じなかったら紙を見せることから始めました。そんなことをするうちに少しずつ覚えていきました。
その後オフィシャル運転手に定年退職する人がいて新たに運転手の募集がありました。彼がその試験を受けたいと言うので私も夫も賛成し(彼の将来を考えて)テストを受けさせ見事合格しました。ですから我が家のプライベート運転手としては1年半でした。
短い間でしたが私はある程度の会話はできるようになり、彼の家族ともとても親しくなりました。特に彼の子供たちからは「ヤポン・エメー」(日本のおばあちゃん)と呼ばれとてもなついてくれました。
そして6月の終わりにモンゴルで夫と一緒に仕事をしていた人がモンゴルに出張で行ったそうです。その時に元運転手の家族から沢山のお土産を託されたそうで先週受け取りました。
袋にはいろんな懐かしい物が沢山入っていましたが中でも一番嬉しかったのは写真数枚と子供たちからの手紙でした。
モンゴルのキリル文字は印刷物の文字と手書きの文字が異なるのです。印刷用の文字は簡単に読めるのですが手書きの文字は難しくて印刷文字と照らし合わせるのに時間がかかります。
モンゴルの孫たちも大きくなりアングレ(英語)の勉強を始めたそうなので今度は英語で返事を書いてみようと思っています。
ここまで書いて翌日モンゴル アチナル(モンゴルの孫たち)からの手紙の写真を一緒に添付して載せようとこの日はログアウトしました。
翌日パソコンを開きニュースを見ている時です。
いきなりパソコンがピーという音を出し、このパソコンは・・・と何時もの警告文が出て来ました。今回はこれ以上に発展し元に戻すならメールアドレス、暗証番号、住所、氏名などを書くよう求められました。
そして削除するともっとダメージが大きくなるなどと言ってこの番号に電話をするように書かれていて、マイクロソフトとは言っているものの、普通の家庭の固定電話の番号のようです。
パソコンの先生に聞いてからと思い何もしていませんが、それっきりパソコンは動かなくなりました。✖️で閉じようとしても出来ず、電源を抜きました。でもノートパソコンなのでバッテリーが無くなるまで音声がエンドレスで流れていました。
今回は音声でも人を不安にさせるような事を言っていたのです。
そんな訳でしばらく日にちが経ってしまいましたが携帯から投稿してみました。
嬉しい気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいになり思い切って電話をしました。
モンゴル語を思い出しながら会話を想定し練習しました。まるでテスト前のような緊張です。思えばモンゴルを離れて既に5年半が過ぎています。60歳を過ぎて覚えた言葉なのでしばらく使わない間にほとんど忘れてしまっています。
緊張しながら相手が出るのを待ちました。
「バイノー」(もしもし)
「バイノー。ビ リョウ バイナ。サェンバイノー?」(もしもし、私はリョウです。お元気ですか?)
嬉しそうな声で「サェン、サエン。アナタハ ゲンキデスカ?」(元気です。元気です。あなたは元気ですか?)
「ハイ元気です」
一呼吸おいて
「オーチラーレイ。オドー アジルスン。ダラー オタス。 オネガイシマス」(今、仕事中です。後で電。、お願いします)
緊張の糸がプッツンと切れました。思えば平日の昼間でした。現在彼はオフィシャル運転手として働いているのです。
週末改めて電話をしました。今度はそれ程緊張はしていませんでしたがやはりかなりのモンゴル語を忘れていると感じました。その代り彼の日本語が随分上達していました。毎日日本人と話しているからとのことです。
彼が私たちのプライベートの運転手になった時、彼は全く日本語はできませんでした。
勿論私はモンゴル語は全くできませんでした。それでも毎日生活をするうえで意思の疎通は必須です。私はその日買い物に必要な物は単語を紙に書き出しておき、先ずは口で説明する。もし通じなかったら紙を見せることから始めました。そんなことをするうちに少しずつ覚えていきました。
その後オフィシャル運転手に定年退職する人がいて新たに運転手の募集がありました。彼がその試験を受けたいと言うので私も夫も賛成し(彼の将来を考えて)テストを受けさせ見事合格しました。ですから我が家のプライベート運転手としては1年半でした。
短い間でしたが私はある程度の会話はできるようになり、彼の家族ともとても親しくなりました。特に彼の子供たちからは「ヤポン・エメー」(日本のおばあちゃん)と呼ばれとてもなついてくれました。
そして6月の終わりにモンゴルで夫と一緒に仕事をしていた人がモンゴルに出張で行ったそうです。その時に元運転手の家族から沢山のお土産を託されたそうで先週受け取りました。
袋にはいろんな懐かしい物が沢山入っていましたが中でも一番嬉しかったのは写真数枚と子供たちからの手紙でした。
モンゴルのキリル文字は印刷物の文字と手書きの文字が異なるのです。印刷用の文字は簡単に読めるのですが手書きの文字は難しくて印刷文字と照らし合わせるのに時間がかかります。
モンゴルの孫たちも大きくなりアングレ(英語)の勉強を始めたそうなので今度は英語で返事を書いてみようと思っています。
ここまで書いて翌日モンゴル アチナル(モンゴルの孫たち)からの手紙の写真を一緒に添付して載せようとこの日はログアウトしました。
翌日パソコンを開きニュースを見ている時です。
いきなりパソコンがピーという音を出し、このパソコンは・・・と何時もの警告文が出て来ました。今回はこれ以上に発展し元に戻すならメールアドレス、暗証番号、住所、氏名などを書くよう求められました。
そして削除するともっとダメージが大きくなるなどと言ってこの番号に電話をするように書かれていて、マイクロソフトとは言っているものの、普通の家庭の固定電話の番号のようです。
パソコンの先生に聞いてからと思い何もしていませんが、それっきりパソコンは動かなくなりました。✖️で閉じようとしても出来ず、電源を抜きました。でもノートパソコンなのでバッテリーが無くなるまで音声がエンドレスで流れていました。
今回は音声でも人を不安にさせるような事を言っていたのです。
そんな訳でしばらく日にちが経ってしまいましたが携帯から投稿してみました。