リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

ショック! 写真が・・・

2010-10-24 02:35:23 | その他
サェンバェノー!

先日郊外に行ったときの写真をパソコンに取り込もうとメモリーカードを挿入しました。
何だかいつもと違った画面が出てきて変だなーと思っていたらそこに入っていた写真が全部無くなっていました。
ショック !

カードを挿入する前にカメラの画面で写り具合を確認してカードを取り出したのです。
ですからその時点までは確かに写真はメモリーカードの中に入っていたのです。
それが1分もしないうちに全部消えてなくなってしまいました。
しかも写真の数は約6,000枚!
何と言うことでしょう!

いつもと同じようにセットしたのに何がいけなかったのか全くわかりません。
空き容量が50%弱だったのに99%くらいになっていました。
ということはやはり全部なくなっているということですよね。

試しに新たに写真を撮ってカメラの画面で確認をしメモリーカードをパソコンに挿入したらやはり何も入っていないのです。
いったいどうなっているのでしょうか?
どなたか教えてくださ~い!

唯一救われるのはこの日の写真以外は全てパソコンの中に取り込んでいたので良かったのですが…。
これも危ないので明日はCDにコピーしようと思っています。

一人旅(ハラホリン) 2日目(その1)

2010-10-12 01:11:45 | 旅行
サェンバェノー!

前日部屋(ゲル)に入ったら寝る時の説明がありました。
朝は寒くなるので毛布と毛布の間に寝袋を入れその中で寝るようにと。
寝袋は持参してきました。
でも前日は気温が30℃もあったので「まさか~そんな~」と笑って返事をしていたのですが運転手も真顔でマフラーも枕元に置いていた方が良いと言うのです。
現地の人の言うことは聞いておこうと枕元にマフラーと懐中電灯を置いてベットに入りました。

そしてこの日は早朝5時ごろ寒くて目が覚めました。
外はすでに明るく小鳥もさえずっています。
ストーブとマキも用意されていましたが寒くてベットから出ることができません。
マフラーをしっかり首や肩に覆って8時までウトウトしていました。(現地の人の言うことは聞いておくべきと痛感)


8時起床、近くの川原を散歩。
小鳥の鳴き声と川のせせらぎ、遠くで人の笑い声がかすかに聞こえるだけ。
空気はひんやりしていますがとても美味しく、空も澄んでいて爽やか、気温も既に20℃まで上がっていて寒くはありません。
今日はずっとここに居てもいいなと思う程でした。







食堂のゲルで朝食。
朝はあまり食べられないから量は少しとだけ言って運転手にお任せしたら大好きなホーショルでした。

ホーショルは小ぶりのオムライスの大きさをした揚げ餃子のような物(中は羊の肉のミンチだけ)ですが、なんとこれが5枚もお皿に並べてありました。
それで1人前なのだそうです。
1枚でお腹いっぱいです。(写真を撮るのを忘れていました)





エルデニー・ゾーの全景。(前日の夕方撮影)
400m×400mの正方形で108個の塔と外壁で囲まれています。
境内にはモンゴル最古の仏教寺院もあります。
この境内にはチベット仏教の寺院が沢山建てられていて多くの僧侶が寝起きしていたそうです。
しかしモンゴル革命以降の1930年からソ連の政治的圧力で仏教は弾圧され多くの僧侶が殺害されたそうです。
このエルデニーゾーでも60棟あった寺院も18棟になり550人いた僧侶もほとんど殺害され残った64人の僧侶は全員還俗(げんぞく)し、エルデニーゾーは1938年閉鎖されました。
しかし1989年のソ連崩壊後モンゴルは民主化され現在のエルデニーゾーは昔のように寺院として使われ僧侶達も居住し修行しています。



16世紀後半から18世紀にかけて建てられた物が18棟現存しています。
インド仏教伝来の仏舎利塔や中国式寺院と同じ建物ですが中の装飾や色彩はモンゴルそのものです。










日本の門前町のように土産物店や食堂、カフェが並んでいます。
早朝(時間外)だったため客足はまだです。

臨機応変と言うかどうかわかりませんがまだ開門前だったのですが運転手が関係者のような人と何か話していたら中に入ってもいいと言うのです。チケットも買わずに中に入ったので写真を撮っていいものかどうか迷いました。(カメラは別料金となっているためです)






境内にあったしびれ草(正式な名前は忘れました)
この草に触ると高圧電流が流れたように体中がしびれるそうです。
でも命には別状はないそうですが。
出発前に日本人に注意をされていました。


新たな挑戦 パート2

2010-10-10 00:07:42 | その他
サェンバェノー!

日本はすっかり秋の気配だそうですね。
当地の短い秋はもう終わりのようです。
最高気温が2桁(+)なのは7日で終わり、8日からの最高気温は1桁です。(最低気温は既にマイナス)
そして今シーズン4度目の雪が降りました。

冬は外で楽しむことも出来ないので10月になったら何か始めようと思っていました。
そしてモリンホール(馬頭琴)を習うことに決めました。

9月下旬、馬頭琴工房を訪ねてみました。
造っている人が実際に馬頭琴を弾いてくれたのですが、それはそれはとても素晴らしい音色で自分でも弾いてみたくなったのです。

造っている人は日本語ができると聞いていたのでそこを訪ねたのですが、彼はモリンホール・アンサンブルのメンバーの一人で毎年一回日本での公演に参加しているとの事で日本にはすでに6回行ったそうです。

彼が先生を探してくれると言うのでお願いしていました。
そして芸術大学で馬頭琴を教えている先生を紹介してくれました。
今月から週2回、1回1時間、この学校へ通うことになりました。

先生は日本語は全くわからないと言うので心配でしたが数少ない私のモンゴル語の単語だけでも何とかなっています。
いろんな手続きなどはどうなっているのかわかりませんが運転手といろいろ話していました。
そして最後に「今日から貴女もこの学校の学生です」という言葉だけはわかりました。
それを聞いてちょっと恥ずかしかったけれど気持ちはだけは確実に学生になりました。
今まで2回通いましたがとても楽しくて1時間があっという間に過ぎてしまいます。

モリンホールはモンゴルを代表する楽器でモンゴル語で「馬の楽器」という意味です。
モンゴルでは主に白樺の木と馬の尻尾からできているそうです。(中国や内モンゴルでは少し違うようです)
棹の先端部分が馬の頭の形をしているのが特徴です。
音色がチェロに似ているので「草原のチェロ」とも言われるそうです。

弦は2本だけで箱の部分を足のひざに挟んで支えます。
指は人差し指、薬指、小指の3本を使います。(今日現在です)
人差し指は爪の生え際を弦に横から強く押し当てます。このとき指の先端が棹に触れてはいけません。
薬指と小指は指の先端の爪と皮膚の間に弦を挟んで真横から押すようにします。

三味線のように弦を指で押さえるのではないのです。

今はドレミを習った段階ですが人差し指を使う音が難しくてなかなか綺麗な音になりません。
時間をかけて練習をしたいのですがご近所に迷惑ではないかと午前と午後に30分だけ練習しています。
早く堂々と練習できるようになりたいものです。

下の写真は私の馬頭琴です。












孫、アフリカへ

2010-10-02 02:54:01 | その他
サェンバェノー!

このところ日本も涼しくなったそうですが如何お過ごしでしょうか?
UBもめっきり寒くなり9月20日は雪が降りました。
今朝も起きた時雪が積もっていましたが来週にはまた18度くらいまで上がる日もあるようです。私も外に出るときは気を引き締めて出なければと思っています。

このところ何となく寂しい気持ちで落ち着かない日々を送っています。
先月21日に可愛い孫が大阪を離れてアフリカに旅立ちました。23日の夕刻、現地に到着したようです。
孫が日本に居る時は近いということもあってそれほど寂しいとは思わなかったのですが出発してからは果てしなく遠くに行ってしまったようでとても寂しく思います。

母が何度も私に電話をかけて来ていました。「もう直ぐ出発だね~」「今頃飛行機の中よね」「いつ頃到着するの?」「今頃到着したころよね?」などなどです。母もきっと寂しいんだろうなと思います。

思い返せば30数年前、私も同じように日本で里帰り出産をし同じようにアフリカに戻りました。あの時の父や母も今の私の気持ちと同じだったんだろうなと今初めてわかりました。

私自身は子供と一緒の生活が始まったことで毎日がとても充実していて楽しかったのできっと娘も同じだろうと思えるのが唯一の気休めになっています。

孫の名前は「翔之介」、「大空を翔け回って人と人、国と国を支えるような人になってもらいたい」と言う思いからこの名前にしたとのことです。そして「和」の名前と言うことも。

私の予想とは全くかけ離れてはいましたがこの名前を聞いたときは直ぐにいい名前だなと感じました。親の願い通り元気に大空を翔け回って人の役に立てるような人間になってほしいと思います。

実はこの名前外国人には覚えにくい名前なのでは?と思いましたが意外にあっさり覚えてもらえるのです。
特にモンゴル人にとてもよい名前だと言われます。
それは相撲の行司に「木村庄之助」という人が居るのでみんな良く知っているのです。
名前を聞かれて「ショウノスケ」と言うとみんな「それはいい名前だ。一番高いランクの名前だ」と言うのです。
私は最初なぜランクが高いと言うのか分からなかったのですが行司の「木村庄之助」さんのことを説明されてようやくわかりました。
モンゴル人は私以上に相撲のことには詳しいかもしれません。
アメリカ人にも同じような事を言われました。
字は違うのですが素直に喜んでいます。

先日MSNの映像チャットで孫の元気な姿を見ることができました。
日本で会った時より少し大きくなっていたので安心しましたが目の前に居るのに手を差し出しても抱けないのがちょっとザンネン!
でも現在はこうしてパソコンを通して目の前で生の孫の姿を見ることが出来るのでまだ良いのかもしれません。
パソコン教室に通ってパソコンの楽しさをわかり日本を離れたことは本当に良かったとしみじみ思います。