リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

九州より

2014-03-20 09:53:57 | その他
こんにちは!

今週は九州の実家に来ています。
母が毎日のように九州にはいつ帰って来るのかと電話をしてきていました。

先日帰省したとき船便が着いたら改めて帰省すると言ったのを覚えていていつ来るの?と言うのです。
来週は人間ドックや脳ドックの検査を予約しているので行くなら今週しかないと気付き九州まで来ました。

ネットでホテルの予約をし母に明日九州に行くという電話をすると死にそうな声で「具合が悪いので外泊はできない」と言うのです。何度確認しても外泊はしないので日を改めてと言うので取り敢えず了解しすぐ一人分キャンセルをしたのです。

先にホテルのチェックインをし今から病院に行くと電話しても相変わらず死にそうな声です。
私は友人に連絡をとり一緒に食事をしようと約束しました。
その後直ぐ病院に行ったのですがやはり息もたえだえに話すのですが食事は取っていると言うのでそれほど心配はしていませんでした。

ずっとしゃべっていると段々元気になり普通の会話になっていました。夕食の時間が近づいたので帰る用意をすると外泊したいといい始め困りました。先生は絶対okを出すと自信満です。
ホテルはもうキャンセルしたから今日はダメと言い聞かせ(本当は大丈夫とも思っていたのですが)翌日の約束もあるので1泊だけ外泊ということにしました。
以前実家に外泊したとき急に具合が悪くなって救急車を呼ぶべきかと慌てたこともありちょっと心配だったのも確かですが。

今日は友人と会ったり従姉妹に会ったりします。夕方母を迎えに行きます。また2人に変更してもらったので今日は部屋を変わらなければいけません。荷物まとめなければ…。 今回は息子のタブレットを 借りて来ました。 始めてタブレットからの投稿です。

船便日本に到着

2014-02-26 15:21:33 | その他
こんにちは!

東京は昨日から気温がぐんと上がり窓からは暖かい日差しが差し込んでいます。
そしてここが本当に東京のど真ん中なのかと思うほど静寂に包まれています。
周りは住宅街ですが車の通る音も生活音も子供の声も何も聞こえません。(防音ガラスでもないのですが)
聞こえるのはアナログ時計の秒針の音だけです。
これで空が青く澄んでいたら最高なのですが晴れて日が差していても東京の空です。青空でないのが残念です。

ところで昨日引越し業者さんから船便が到着したと連絡がありました。現在荷物はその会社の倉庫に保管されていて3月3日に通関を済ませ4日以降はいつでも引き取れるとのことなので8日(土)に引き取ることにしました。

4月から年金がもらえるよう手続き中ですがまだ書類が1通届いていないのです。4月からもらえるのかどうかちょっと心配。

まだまだ忙しい毎日です。

帰ってきました

2014-02-14 04:30:46 | その他
こんにちは~

お久しぶりです。 お元気ですか?

連絡が遅くなりましたが1月24日(金)に予定通り無事日本に帰ってきました。
7年2ヶ月ぶりに日本での生活が始まりました。

1月末までは一時帰国者用の家族寮に入り2月1日より今の住宅に住んでいます。
今度は息子も一緒なのでとりあえず息子が使っていた物でまだ使えそうなものを運び込み(引越し)後は毎日粗大ごみやその他のこまごました物の整理などで息子のアパート通い、転居届けや年金の手続き、買い物などなどで毎日歩き回っています。帰国の翌日には足の裏にマメができる程です。

そして昨日やっと転入届けを出すことができました。
住む家は定まっても正式に住民登録はできていないし家の固定電話もなかったので携帯電話を買うことができずプリペイド携帯で何かと不便でした。
船便は1ヶ月くらいかかるのでまだしばらくは落ち着かない生活だと思いますが東京の便利さはありがたいことだとしみじみ思います。

兄の四十九日の法要に出席するため2月8日皆で九州に行ってきました。
ちょうど東京が大雪の日で飛行機をキャンセルして新幹線になりましたが私は新幹線の方が好きなのでラッキーです。
まだ我が家のセットアップができていないのでゆっくりする暇もなく3泊4日で11日に戻ってきました。

新しい住まいは東京のど真ん中新宿です。交通の便はいいのですが…。
とりあえず今日はこの辺で。





逝ってしまった兄

2013-12-23 04:40:04 | その他
サェンバェノー!

12月20日(金)午後21時10分、兄は駆け足ではるか彼方に逝ってしまいました。

電話で母のことを話していたとき「俺、癌らしい。精密検査のため明日入院するから。」と言ったのが10月の始めでした。
同時に母も入院したので私は一時帰国しました。

癌は全身に転移していましたが本人はいたって元気。お寿司を1人前食べたと言いとても美味しかったと満足顔ででした。数日後にうな重をこれまたペロリと完食したそうです。

しかし私が最後にお見舞いに行ったときとても悲しそうな顔をして手を出したのです。それは10月下旬でした。
11月1日私は日本を離れ、数日後抗がん剤治療を開始したと聞きました。

12月8日、私は兄と電話で話をしました。そのときはかなり辛そうで私はこの時点でやっと兄は本当に癌なんだということを認識しました。甥夫婦が状況を細かくメールをしてくれていましたがそれでも面会に行ったときはあんなに元気だったので何かの間違いではないのかとなかなか受け入れることができませんでした。

12月20日病院から甥のところに電話があり、朝の状態が良くない。今日が山かもしれないと連絡があったそうです。

その日我が家ではホームパーティー(20人)をしていたのでもしものときは電話はしないでと伝えておきました。
そして最後のお客さん5人が帰ったのは午前4時でした。

その後パソコンを開いたら「亡くなりました。」とメールが届いていました。

あまりにも超スピードで逝ってしまった兄、どうぞ安らかにお眠りください。

近況報告(3)

2013-11-05 23:27:22 | その他
サェンバェノー!

11月1日に当地に戻ってきました。
今年はとても暖かく11月だというのに昼間の気温はプラスです。
今日は曇っていますが気温は現在(午前中)+5℃です。

さて母の状況ですが耳の痛みもなく食欲が出てきて今はすっかり元気を取り戻しています。
最初病院に運ばれてきたときは「餓死寸前だった」と先生はおっしゃっていました。(母は近くに住む50年来の教員仲間の人に付き添われて入院したそうです)
病院から帰るときに乗ったタクシーの運転手さんがたまたま入院するとき母を乗せて行ったそうでやはりかなりひどくて一人では立つこともできなかったと言っていました。玄関まで私を見送りに来た母の姿を見て驚いていました。(回復していたので)

元気になったのでいつでも退院してもいいんだけれど三叉神経痛は再発するので自宅で一人で生活するのは危険です。
受け入れ態勢ができるまで入院しててもいいですよと言ってくださいました。
同じ敷地に介護施設もあるのでそこが空いたら入れていただけるようお願いしてきました。(いとも簡単に母は納得)
母のことはとりあえず安心しました。


兄は思っていた以上にとても元気でお見舞いに来る人が思わず涙を流すと「泣くのはまだ早いよ。俺はまだ死んではいないんだから」と言って皆を笑わせたりしていました。

兄はやっと抗がん剤治療を始めることになりました。

PET検査で全身の骨に転移していることがわかり(頭部以外)癌細胞を取って抗がん剤治療をすることになりました。
しかし内視鏡検査で癌細胞は採取できなかったそうです。
兄は数年前軽い脳血栓になったためその後血液が固まりにくくするための薬を飲んでいました。
内視鏡検査の後もその薬を飲んだためその薬がすべて体外に排出されるまでの1週間は内視鏡の再検査はできないとかでその後の1週間は何もできませんでした。

そして10月21日いざ内視鏡検の再査を始める直前(麻酔後)不整脈で心拍数が150くらいまで上がり急遽検査は中止になりました。
その後は脈が安定するまで検査はできないとのことで毎日24時間心電図を見ながら脈が100くらいまで下がって落ち着くまでの待ちでした。早く検査をしないと癌はどんどん進行するのでは?と落ち着きません。

10月30日無事に再検査を終え結果待ちでしたが翌31日再び癌の組織は採取されなかったとの連絡があり私は居ても立っても居られませんでした。なぜ?なぜ?本当は癌ではないのかも?などと思ったり、でも本人を含め皆で画像を見て先生の話も聞いているので癌に間違いはないと言うし・・・。

翌11月1日CT検査をしたところたまたま肺に水が溜まっていることが分かったのです。その日のうちに背中から針を刺して胸水を採取しました。結果は3連休明けと聞いていましたが休みの日に癌細胞が採取できたと連絡がありました。
ずいぶんやきもきしましたがこれでやっと治療に専念できることになりました。

抗がん剤治療は副作用がきついとよく言われますが何とか乗りきって欲しいと願うばかりです。


それからもう一つ九州滞在中に義姉が脳血栓で倒れ緊急搬送されて手術を受けたと連絡がありました。
集中治療室で数日経過を診ていたようですが現在一般病棟に移ったと聞きました。
お見舞いに行こうと数日早く上京しましたが今は遠慮したほうが良いと判断しました。
今度帰国したときは面会できると思いますのでリハビリに専念してください。


兄は65才、義姉も65才、私は来年65才、健康の曲がり角かもしれません。今まで以上に健康には気をつけないなければ、そして定期的な健康診断も受けようと思っています。


PS: 夕方4時半、買い物からの帰りに雨雲のような黒い雲が低く漂っていました。運転手があれは雪雲だと言うのです。
そのときの気温は0度。私は雨だと思ったのですが家に着いて1時間後何気なくカーテンを開けると外は真っ白になっていました。私が見た今年初めての銀世界です。はたしてこの雪が今年の根雪になるのでしょうか。










近況報告(2)

2013-10-12 23:35:56 | その他
サェンバェノー!

ブログのUPがなかなかできなくて覗いてくれている人に申し訳なく思っています。
ナーダムの競馬を楽しみにしている人たちごめんなさい。もう少しで下書き完成しそうです。

最近はあちこち長距離移動をしています。
9月に夏休みを取って日本に一時帰国をしました。
戻ってきて5日後スイスに旅立ちました。夫が春に生まれた孫娘の顔を見に行く予定だったのです。スカイプでは見ているものの生初対面?です。しかし夫は直前に行けなくなってしまいました。

日本に行ったとき買い込んでいたスイスへのお土産や生活用品がたくさんあります。行かないわけにはいきません。(そんなことはないけど)というわけで私一人で行くことになりました。
当初は8日間の予定でしたが私一人なんだから少し滞在を延ばし10月9日に戻りました。

しかしまた10日後の19日に一時帰国することになります。
母と兄が入院しています。
スイス滞在も残りわずかとなったとき兄が肺がんと言う知らせがありとても動揺してしまいました。
しかも母は三叉神経痛で物を噛むときにひどく痛いので食事ができないということで入院をすることになったとか。
同時進行です。
ネットであれこれ調べたり、やり取りをしています。

先日会ったときはとても元気そうだった兄です。タバコも数年前に止めたと聞いています。
落ち着かない眠れない日が続いていますが今私がダウンするわけにはいきません。
とにかく睡眠を取らなければ・・・と自分に言い聞かせて昼間もベットに入るものの眠れなく、開いたスーツケースもリビングに置いたまま気がつくと考え事ばかりしています。

今日夕飯のとき少し強いお酒を飲みました。美味しかったのでいつもよりちょっと多め。
その為かすぐに睡魔におそわれ(夕飯の後片付けもせずに)爆睡してしまいました。
睡眠が良かったのか目を覚ましたときは頭も体もすっきりしていつもの私モードに戻っていました。

送られて来た兄の写真はとても癌患者とは思えないほど元気そうです。母のことは心配しないで治療に専念してもらいたいと思っています。



明日出発

2013-05-23 08:38:13 | その他
ボンジュール!

とうとうこの日がやってきました。ラストの1日です。
出産の手伝いにやって来ましたが手伝いと言うよりは毎日楽しく充実した日々を過ごし自分のリフレッシュのために来たような気持ちです。

モンゴルも決して嫌いではありませんし好きな国の1つですがやはりスイスはスイスです。比べてはいけないのです。
毎日忙しくはしていますがそれも楽しく家事がこんなに楽しいものとは思いもしていませんでした。

娘は忙しい中パンやケーキも焼いていました。これも途上国で暮らしていたことがあるためでしょう。私も30数年前はこんなことしていたんだな~と振り返ることがたびたびありました。
今は主人と2人だけの生活。毎日何の変わり映えもしない会話と食事。夫と日本語で話すより他人とモンゴル語で話すことの方が多い日々。

でも今回ここにきてパンやケーキを焼いたり食事を作る楽しさを知りました。美味しいと言って食べてくれる人がいるからです。
子供が小さかったころは売っていないから自分で作るしかないので作っていたという感じ。楽しいなんて思ってもいませんでした。
今度モンゴルに帰ったらいろいろ楽しみながらあれこれ作ってみようと思っています。
食材がそろうかどうかが問題です。バターは入手困難だし生クリームはないし…。
でもできるだけ挑戦してみようと思っています。

ここでは私の大好きなアイスクリームやチョコレートを毎日食べているのに太ってはいません。孫との遊びがいい運動になっているためでしょうか?チョコもアイスも日本よりずっと美味しいです。

今日この1日をより充実した日となるように過ごそうと思っています。

私の公園デビュー

2013-04-23 11:17:22 | その他
ボンジュール!

先週の月曜日(15日)に久しぶりに散歩に出かけました。
アパートを出たところの交差点で工事車両に出くわしそれを目にしたしょうくんは「公園はいやや~」と言うので住宅街を散歩しました。
いつも車で通る道でもしょうくんには新しい発見ばかりです。中地下の窓がちょうど彼の目線になります。「これは何?、これは何?」の連発です。
住宅街を抜けてしばらく行くと「SUBARU」のショウルームがありました。新車が2台置いてあります。彼はガラス越しに食い入るように見つめていました。家(店)の中に大きな車が2つあるのを不思議そうに思っているので私は「ここは車を売ってるお店よ。これは日本の車で新しいのが出たので買ってくださいって置いてあるのよ~」と言ったのがいけなかった。彼は店の中に入ると言ってききません。中に人影がなかったのを幸いに今日はお休みだと言ってそこから離れようとすると泣き出してしまいました。この車を買ってと言うのです。お金がないと言っても娘から買い物を頼まれお金を預かったのを見ていたのでバックの中にあると言いいます。午後のお昼寝の時間も過ぎ眠いのもあって大泣きです。「最後は大きくて持って帰れないので今度パパと一緒に来て買おうね」と言って納得させました。

住宅街を一回りして公園に行きました。前回来たときは花や木もまだ眠っているようでしたが中に入ると花がいっぱい咲いていました。木々の芽もしっかり膨らんでいます。桜も前日からの陽気で開花したようです。カメラを持参しなかったことを後悔しました。
花の咲いている方に自然と足が進みます。
ちょっと小高いところに行くとしょうくんが坂の下に滑り台を見つけました。以前遊んだことがあるようです。一人でトコトコ走って行きます。私はひやひやしながら後を追っかけました。

そこはこじんまりした一角で芝生の中に石でできた動物のオブジェと滑り台がありました。
しかしそのオブジェが目に入らないくらいベビーカーとおかあさんと小さな子供たちがたくさんいました。ご近所の若いママ友さんたちのようです。聞こえてくるのはフランス語だけ。英語は全く聞こえません。
私はちょっと場違いなところに来たような感じでした。あちこちで私と同じように孫を連れたお年寄りはたくさん見かけるのですがここにはそんな人はいません。若いママさんたちばかりです。
私はフランス語はほとんどできません。(英語もですが) 声をかけられないようにお母さんたちとはできるだけ目を合わせないようにしていました。

滑り台は5~6才くらいの子供たち3人が独占して遊んでいます。しょうくんは笑顔いっぱいで上に上がったのに大きいお兄ちゃんたちの素早い動きや大声にびくびくしながら片隅で固まってしまいました。そのうち一人の子供がしょうくんの前で留まってじっと彼を見つめています。私はその子に「ボンジュール?」と声をかけました。すると彼は以外にも「僕はアンディーだけどこの子の名前は?」と聞いてきました。(かろうじてわかる範囲のフランス語)名前を教えると直ぐまた遊びに戻りました。
悪い子たちではなさそうです。しょうくんに滑っていいよと促すとまた笑顔が戻ってきました。行動の遅い子が一人入ったことでじれったくなったのかお兄ちゃんたちはどこかに行ってしまいました。するとすかさず1~2才くらいの子供たちが一斉にこの滑り台で遊び始めました。みんな待っていたんですね。お兄ちゃんたちが居なくなるのを。
お母さんたちも子供と一緒に滑り台の周りに来ました。時々懐かしい言葉(単語)が耳に入りますが会話は全くわかりません。
私やしょうくんにかけられる言葉は「アトンション(気を付けて)」と「エクスキューゼ モア(エクスキューズ ミー)」だけでした。
そして帰るときにはしょうくんの「オーヴァー(さようなら)」につられて私も「オーヴァー」と手を振って帰ってきました。

まさか自分が異国で「公園デビュー」をするとは思ってもいませんでしたが公園デビューできないお母さんたちが居るということを週刊誌か何かで読んだような気がします。今何となくその気持ちがわかるような気がしています。みんなの視線を感じ自分が場違いなところにいるのではないかと思う気持ち。でもそれは自分がそう思っているだけで他人はそんなこと何とも思っていないということもわかります。必要なのはほんの少しの勇気だけだと思います。






孫娘誕生

2013-04-02 09:14:33 | その他
ボンジュール!

今回は嬉しいお知らせです。
2013年3月31日午前1時51分予定通り無事初の孫娘が誕生しました。
名前は瑠奈(ルナ)です。(名前の由来を聞いていなかったことに今気づきました)
体重2900gです。

初めて抱いたときまるでお人形を抱いているかのようにとても軽く感じたのです。
きっと毎日上の孫(しょうくん・2才9か月・13㎏)を抱っこしたりおんぶしたりして家の中を走りまわって遊んでいるからでしょうか。
最初は娘も婿さんもとても心配していましたが今のところどこも痛くはないので大丈夫でしょう。でも無理はしませんからご心配なく。
しょうくんは今いろんな言葉を覚えていく時期ですがその中に「ちょっとまってねー、きゅうけーい」も加わりました。


日本では出生届は14日以内に提出しなければいけませんがスイスでは3日以内となっています。
スイスに居住する人は外国人でも保険に加入することが義務付けされているそうです。(一部の例外を除く)
そのため昨日出生届を出しました。事前に書類は準備していましたが役所には行かなくてもいいのです。病院の中にその窓口があるのです。このシステムはよく考えられていますよね。わざわざ区役所などに出向かなくてもいいんですからね。

娘は州立の総合病院で出産したのですがこの国では普通分娩とは下半身麻酔なのです。そのためか2人目というためか落ち着いて出産できたとかで娘が自分でへその緒を切ったそうです。私たちの時代とは随分違います。
入院も1日~5日ということで自分の好きな時に退院してよいそうです。1日でも5日でも料金は同じだそうです。
そして娘の出産の数時間後に出産した同室の人は何とその日に退院して行きました。
産後の検診や赤ちゃんの検診などは病院側が自宅に出向くそうです。

昨日面会時間に行ったとき病院関係者と娘が何か話をしていました。出された食事をどのくらい食べたか聞いているのかと思ったら翌日の食事の打ち合わせだったとか。アレルギーがある人もいるので毎日一人ひとり聞いて確認しているようです。
食事も豪華で凝っています。写真で見たケーキ、中はアイスクリームでその中にはとろけるキャラメルが入っていたとか…。

30数年前同僚がある国で妊娠初期に出産の形態を聞かれ(普通・帝王切開など)普通分娩を希望したら全身麻酔で気が付いたら隣に赤ちゃんがいて「これがあなたの赤ちゃんですよ」と言われ感動も何もなかったと言っていたのを思い出しました。
国によって普通分娩でもいろいろあるのですね。






無事解決しました。

2013-01-16 02:49:14 | その他
サェンバイノー!

東京でも雪が積もったそうですが大丈夫でしたか?滑って転倒などしないようにお気をつけください。

さて先日「教えてください」とお願いしましたところ早速回答のメールを頂き無事解決しましたのでお知らせいたします。
やはり私と同じ経験をしたことがある人からでした。ありがとうございました。

日本語で「インターネット技術標準化委員会」と言うのがありそこでプログラムの誤作動を防ぐ目的でいろんなルールを決めているそうなのですが(国際ルール)それに違反していると受信できても送信できない場合があるそうです。
最近はこのルールが携帯電話でも徹底されるようになったそうです。
以前は携帯電話でのメールはこのルール無視でもメールアドレスは取得可能だったそうですがこれからはできなくなるそうです。

そのルールの一つにメールアドレスの@の直前にドット(.)があったりアドレスの中にドットが連続して(...など)あるのはダメなようです。
またこれは受信したメールアドレスをアドレス帳に登録しようとしてもできないと言うこともあるようです。

私が送信できなかったメールアドレスには連続したドットがありました。
随分前だったのでアドレス帳には登録できていますが使えませんでした。

IT技術は急速に進化し最初はパソコンメールを主に考えてのルールだったのでしょうが今や携帯メールの方が主になっているので携帯メールでも徹底するようになったのでしょうか?
それにしてもこれを徹底されると送信する人も受信した人も困りますよね。この後どうなるのでしょうか?



教えてください

2013-01-14 01:43:01 | その他
サェンバイノー!

去年11月の終わり頃から一人にだけどうしてもメールが送れないのです。
「返信」を使ってメールを作成し送信すると「メールアドレスを正確に入力してください」と言うメッセージが出てきて記入例と予想メールアドレスが書かれているのです。この人ではありませんか?と。

正にその人に送りたいのですがあて先のところを見るとその人のアドレスの「@」の前が「123」だけになっているのです。
その人のドメインには名前や記号があり最後に「123」があるのですが「123」の前が省略されているのです。

「返信」機能を使わないで入力しても同じメッセージが出てきますし以前にもらったメールから返信してもやはり同じメッセージが出てきます。
予想アドレスも出てくるのですがどうやっても送信できません。
その人からはその後もメールをもらっているのですが・・・。

11月末のメールのやり取りをしているとき最初の返信は普通に出来たのです。
その次に「返信」するときクリックと同時に停電になったのです。送信と停電どっちが早かったのか分からないくらいでした。
それ以来その人にはメールが出来なくなってしまいました。
パソコンから相手の携帯電話に送信するのですが同じ携帯会社の他の人には今までと変わりなく送信できています。
あれこれやってみましたがどうしたらいいのか全くわかりません。

どうすればいいのかどなたか教えてください。







5月になって

2012-05-17 19:12:34 | その他
サェンバイノー?

5月ももう後半になり爽やかな季節と言いたいところですが異常気温で大変です。
4月下旬に大雪が降ったかと思えば5月に入って急に30度以上の猛暑が続き(日本のゴールデンウイーク中)10日の夜からまた吹雪の日が3日間続きました。

12日に我が家でホームパーティーをすることになっていたので確認のための招待状を猛暑の中で書きました。
題して「お花見パーティー」
昨年はこのアパートの敷地の周りに植えている桜の木(まだ苗木)が満開になったのが写真によると5月23日だったのですが今年はこの猛暑で早く咲くのではないかと予想しての「お花見パーティー」としたのです。
なんとなく満開になるような気がしていました。

しかしその後の天気予報では10日の夜から12日までは雪となっていました。しかも12日は吹雪!
わぁ~吹雪ですか~?
いくら晴れ女の私でも吹雪の予報を晴れにはできないと思うけどせめてみんなが来る頃は雪はやんでいて欲しいとずっと願っていました。

予報どおり10日の夜から雪が降りました。
12日、朝起きてすぐ窓を見ると予報どおり吹雪いていました。
桜は5日に開花し10日には満開になっていたのですがお花見に雪、しかも吹雪は似合わないな~と思いながら料理を作っていると急に明るくなり陽がさしてきました。
雪は小降りになっていましたがまだ降っていました。
その後も降ったりやんだり、吹雪いたり。太陽も時々顔を覗かせます。

そしてパーティーが始まる1時間前くらいから雪はやみ、薄日が差してきました。
そしてその日みんなが来るときも、帰るときも雪も風もなく(気温は0度でしたが)穏やかになっていました。

みんな喜んでくれたし桜も満開だったし天気もまあまあだったしと心地よい疲れを感じていました。
翌朝起きると前にも増して一段と吹雪いていました。
神様が少しの間この吹雪にまったをかけてくれていたのではないかと思わずにはいられませんでした。予報では13日は晴れだったんですから・・・。
来てくれる人のことを思うと吹雪の中出かけるのは大変でしょうし土曜日の休みの日なんですから・・・。
またまた神様に感謝!・・・です。

建設ラッシュ

2012-04-22 01:05:51 | その他
サェンバイノー!

4月も中旬になり当地も随分暖かくなりました。
最低気温はまだマイナスですが最高気温は+15℃前後になる日も時々あります。
耳慣れないとちょっと変に聞こえますが暖かくなったので雪も降るようになりました。
3月下旬頃はツララもあちこちで見ましたが今は全くありません。
13・14日は雪も降りました。来週の月曜日も雪の予報が出ています。
乾燥しているためか雪が解けても日本のように道路がビチャビチャになることはありません。解けるとそのまま蒸発・・・っていう感じです。
そして今は現地の人が一番嫌いな季節の春です。
気温が高くなっても風が強くなるので砂が舞って目を開けていられなくなります。
砂嵐はまだまだこれからが本番です。

建設途中の高層ビルも厳しい冬の間は覆いをかぶせて作業を中止していましたが暖かくなったので覆いを取ってまた建設作業を再開しました。
高度経済成長が続いているモンゴルはまだまだ建設ラッシュです。
我が家の東西南北も高層ビルやマンションを建設中で遠くからでも見えていた私の5階建てのアパートは今は全く見えなくなってしまいました。

2年前と現在の窓から見た眺めを写真で比べてみました。
東側は窓が無いので撮っていませんが現在建設中の高層マンションが3棟あります。


水難、やっと収束

2012-02-22 00:18:17 | その他
サェンバイノー!

先日UPした水難の記事は3夜連続と書きましたがその事後処理が昨日(15日)までかかっていました。
それはそれは大変でこっちがメインの水難となってしまいました。

大家さんは2つの暖房機具を修理して使うと言ってはずして持ち帰りました。
そしてその夜も普段使っているバスルームが水浸し。(ここまでは前回の記事に)

一つはボンドで穴を塞ぐ、もう一つはひび割れをボンドでパイプの中と外から塞ぐそうです。
翌日取り付けに来るというので「明日はダメでしょう」と言うと「ドライヤーで乾かすから大丈夫」とのこと。
そして2日後に取り付けに来ました。(予想通り)

ゲスト用のトイレの方は空気抜きも上手くいき大丈夫そうですが、いつも使用している方は空気抜きが上手くいきません。
水は流れている音はするもののどちらも暖かくはありません。
しかし大家さんは「今はパイプに溜まっていた水が流れているけれど時間が経てば暖かくなる」と言って帰っていきました。

これで落着かと思えばまだまだ続きます。
修理したはずのひび割れから水が漏れ出しました。
それも修理する前より悪い状態です。この日もバケツを置いて休みました。

翌日大家さんから調子はどうかと電話があったので水漏れは続いているし暖かくならないことを伝えるとひび割れの方は修理する人も修理が難しいと言っていたそうでやはり新しい物を買って取り付けるとのことです。

翌朝早く(まだ睡眠中)暖房管理会社の人がチャイムを鳴らす音で目が覚めました。
このアパート全体のバスルームの暖房をこの土・日で付け替えてお湯を通すと言っているのに暖房器具をはずしたままになっているので怒っています。大家さんに電話をすると今から買いに行くのでお昼ごろには行けるとのこと。やっと設置を始めたらサイズが合わないとのことでまた部品を買いに行き(その間に急いで食事)夕方かえって行きました。
しかし暖かくなってはいません。

翌日アパートのメンテナンスの人がチェックに来ました。
そして、そして、何とチェックどころか、壊してしまったのです。

2つとも暖かくならないのでまずゲストルームの方を見ていたのです。時間がかかりそうなので私は台所で片付けをしていました。
すると床を激しくたたき付けるような水の音が聞こえます。走っていくと暖房の水の通り道の栓から噴水のように水が噴出していました。おじさんは慌てて外れた栓を取り付けようとしますが水圧でうまくいきません。水は四方八方に飛び散り大変なことになりました。天井にも水は吹き上がっています。
その間にも時々元栓を締めに行くのですが一向に止まる気配はありません。違うところの栓も閉めに行きますが水の勢いは変わりません。私はバケツに取った水を捨てながら雑巾でふき取ったり・・・・大慌て。このゲスト用のバスルームは10畳くらいの広さがあるのです。そこの床が水浸し、廊下との段差は2cmくらいです。ついに廊下にも溢れてきました。

私もおじさんも頭からずぶぬれになって必死でした。きっと下の家も大変なことになっているはず、以前上の階のバスルームの暖房が破裂したときこのバスルームが滝のように流れて来る水で洪水状態になったことがあるので良く分かります。
30分くらい格闘してやっと水は止まりました。

疲れました。立ったり座ったり、重いものを持ち上げたりで腰も痛くなりました。
最初は水でしたが途中からお湯になったのでおじさんの仕事は一応果たしたことになります。帰るとき「風邪引かないようにね」と言うと「大丈夫、大丈夫、私は悪い人です。ごめんなさい。」と言って帰りました。

長くなりましたがストレス解消のためもう少しお付き合いください。

おじさんが帰った後すぐ下の家の人が来ました。モンゴル語しか分からないと言うので現場を見てもらってつたないモンゴル語で説明をしました。そしてその場で大家さんに電話をし事情を話してもらいました。大家さんもびっくりです。

大家さんはすぐに来ておじさんを呼び一緒に我が家と下の家の現場を見てアパートを管理している会社の社長に電話をしました。この家と下の家の修理は自分でしますが請求書は会社に送るのでそちらで支払って欲しいと交渉しました。チェックに来た人のミスでこうなったのだからそちらの責任と言うことです。そしてその場でおじさん自ら社長に自分のミスでこうなりましたと言わせました。(ここまでするとはと唖然)おじさんはこの修理代の半分を給料から引かれるそうです。(ちょっと可愛そうな気持ちに) いや~大家さん若いのにしっかりしています。

修理は天井の壁を全部はがし下塗りをして翌日本塗りをするので2日かかるとのこと。
では明日10時に行きます。(来ない)  電話で1時半ごろでいいですか~。(来ない)  夕方5時に変更してください。(来ない)  来たのは6時半でペンキを塗るバイトの人だけ。

翌日10時、来ない。 12時半「今やっと彼と連絡が取れたのですが彼は忙しいので夕方5時になるそうです。」来ない。
翌日12時ごろ「今やっと彼と連絡が取れて・・・」  彼は4時にきました。しかし大家さんがペンキや道具を持って来るとのことで彼は大家さんが来るまでセキュリティーの部屋で待っているから来たら連絡くださいと出て行きました。
1時間後戻ってきたけれどぶよぶよになった天井の壁を削っただけで帰りました。
翌日ペンキを塗り始めようとしたら色が違う。大家さんにこれで良いのかと確認の電話をしたらダメだと言う。ご主人がペンキを買ったのだそうです。この日も修理はなし。
翌日朝から来るというのでお断りしました。私もこんなに振り回されるのはごめんです。

毎日こんなことの繰り返し。やっと最後の日を迎えた15日、9時半から作業開始の約束。ペンキを塗るお兄さんは時間通りに来て居るのが窓から見えるのですが上に上がって来ないのです。20分くらいして大家さんから電話。「今彼は外に居るそうですが主人がペンキを買ってそちらに行きますので彼を家の中で待たせてください」とのこと。もちろんOKです。外はー30℃あるのですから。 そして彼と少し話していると大家さんがやっと彼と連絡が付いたと言うのはウソだったとわかりました。彼も連絡を待っていたのに朝電話すると言っていたのに全然来なかったとむきになって怒っていました。私に着信記録まで見せるのですから彼が言うのが本当なのでしょう。それにしても彼は全くモンゴル語しか分からないのですが意思の疎通はできたので自分でも驚きました。
彼は今暖房管理会社で働いているけれど建築関係の専門学校で2年間勉強したのでペンキを塗ることも学んだと言っていました。仕事が終わってからでないと作業は出来ないと最初から言っていたとのこと。今日は休暇を取って来ているのにペンキが来ないので仕事が出来ないとぼやいていました。そしてペンキは11時半に到着。すぐに作業を開始。大家さんのご主人はずっとどこかに電話をしていましたが12時を過ぎたら2人が黙って出て行きました。10分経っても帰って来ないので食事にでも行ったのかと思って大家さんに電話をすると「今、下の家に行ってペンキを塗っていると思います。」とのことです。私の頭の線がプチッ!と切れてしまいました。
「貴女何を言ってんの? そんなことウチが終わってからやりなさいよ! 最初は2日で終わると言ったでしょ? 今日だって1時間もかからないと言ったよね? もう3時間も過ぎてるのよ! 今日私は午後から予定があると言っていたでしょう!」と自分でも驚くほど激しい口調でした。(大家さんが日本語が出来る人でよかった!)
すぐにご主人に電話をしたようでバイトの彼はすぐに戻ってきましたが大家さん夫婦はそれっきり姿を見せません。電話でのやり取りだけです。
バイト君は「終わったら大家さんのご主人がチェックに来てここでお金をもらうことになっているので彼が来るまで掃除をして待っています」と言っていましたが電話がありバイト君とご主人は下で落ち合うことにしたので彼を帰して欲しい、そして明日自分が掃除に行きますとのことだったので丁寧にお断りしました。いつ来るのか分からない人にお付き合いするのはもうこりごりです。
この間実に19日です。そして後片付けは3日をかけてのんびりとやりました。

愚痴を聞いていただきありがとうございました。ストレス満タンでしたが今はすっきりしました。






















顔面が凍傷に!

2012-02-13 23:35:29 | その他
サェンバイノー!

日本から戻ってきて数日が経った1月17日の午後です。
空は青く晴れ渡り太陽が燦燦と照りつけていました。
私は無性に外を歩きたくなりました。
日本に帰って東京の街をあちこち歩き回り多少の疲れは感じたものの私はやはり歩くことが好きなんだと改めて感じていたのです。
なんだか今日は暖かそう! 窓の外に設置している温度計は直射日光が当たっているもののー19℃。
ー18℃で15分歩いたことがあったのでこれくらいなら大丈夫と思い歩いて買い物に出かけました。

目的地は直線距離で500mくらいのところにある小さなショッピングセンターです。
エスカレーターを取り囲むように小さなお店が並んでいます。
最上階の4階から見て回り地下のスーパーで少し買い物をして家に帰りました。
要した時間はちょうど1時間でした。

夕方なんだか顔がはれぼったく何か違和感を感じます。
なかなかお湯にならないので水のまま顔を洗い化粧水をつけたらヒリヒリするのです。
鏡を覗くと顔が真っ赤になっていました。

日本で調達した新しい化粧品だったのできっとこれは自分に合わないんだと思いました。
また顔を洗いなおして少し残っていた以前使っていた化粧水をつけたのですが痛みは治まりません。
乾燥しているんだから何かつけておいたほうが良いと判断し我慢していました。

翌日外出するためにお化粧をしているときクリームを塗ったら何かが手にまとわりつく感じなのです。
メガネをかけてよく見ると皮がむけていました。

知り合いのご主人が日本から直接輸入している正真正銘の日本製の化粧品を買いに行きました。
欲しかったものは売り切れとのこと。事情を話して顔を見せるとその試供品をくれました。
4日後に入る予定とのことだったので入ったら電話をしてくれるよう頼んで帰りました。

私は化粧品が合わないのとひどい乾燥が原因だとばかり思っていました。
後日友人宅に遊びに行くと私の顔を見て「凍傷だね」とずばり言ったのです。
彼女も当地に来て2年目にかかったそうです。
「ここは本当に厳しい世界なんだから決して油断をしてはいけません。肝に銘じなさい」と言われました。

顔は真っ赤に腫れ、痛いような痒いような感じで皮がむける、いつもヒリヒリ感がある。全く同じです。
家に帰って「凍傷」を調べてみたら一番軽いレベルⅠでした。
外を長い時間歩いたのはあの日だけです。後日調べてみたら私が歩いたときはー24℃くらいだったようです。
そして中にいたのは長く見積もっても15分くらいだったので歩いたのは往復45分くらいです。
足元がすべるので思った以上に時間がかかっていました。

「凍傷レベルⅠの治療法は40℃~42℃のお湯に浸して解凍する」となっているのですが既に1ヶ月になります。
手遅れです。時間の経過しかないのでしょうか? 良くなっても浅黒く痕が残るのでしょうか?
少し気になる今日この頃です。