リョウの近況

筆不精のリョウが親・子・兄弟・親戚・友人・知人・幼なじみ達と彼らの友人達にお届けする究極のエコ便りです。

母の様子

2019-01-31 23:12:20 | 国内
昨年11月中旬、母が入居している施設から電話がありました。
母がその頃熱を出すことが度々あり病院に連れて行ってはいるけれどこの先の事を考えておいて欲しいと。早い話終活をどうするかという事を聞かせておいて欲しいとのことでした。
身内や近い親戚、友人などに相談して全員一致で延命治療はしないことを施設に伝えることにしました。
何よりも母が延命治療は望んでいなかったという事もありました。
若いころから度々口にしていたからです。ですから私もそれ程抵抗もなく、やはり神様の思し召しに納得しようと思いました。

そして12月上旬その事を伝えるために母の所に行きました。
そこでとてもショックな出来事があり私はかなり落ち込んでしまいました。

この日私は甥と一緒に母の所に行き母にいろいろ話しかけていました。その時この施設常駐の看護士さんが母の部屋に来て母の頭のすぐ側で
「○○○○さんの最期の看取りをどこでしますか? 病院に連れて行きますか? それともこの施設で最後を看取りますか?」など、今にも母が最期の時を迎えるような話をするのです。

私も甥もびっくりしました。何もそんな話をここでしなくても! 私は泣きそうで立っているのが精一杯でした。母は聞こえていたと思います。
その日帰る時、母は目に一ぱい涙を溜めていて最後にポロっと頬を伝いました。今まで別れる時に泣いたことは一度もなかったのに。
この日から母の涙顔が頭から消えなくて私を苦しめていました。

新年を迎えても何か落ち着かず居てもたってもいられず夫に相談して1月21日(月)~25日(金)まで母に会いに九州に行って来ました。

1日目の母は今までになく上機嫌でニコニコして迎えてくれました。。
最近は声を出して話はできない程になっていて、こちらから問いかけると頷いたり、首を振ったりするくらいでした。
一緒に面会に行った従妹が去年台湾に行って来たという話をすると生き生きした目で嬉しそうでした。
「おばちゃんも行きたい?」と問いかけるとはっきりした声で「行きたい!」と言ったのです。
母は台湾で生まれ終戦までの20年間台湾に住んでいました。台湾の話にはとても興味を示しました。

2日目はお風呂の順番を待っている時でした。ちょっと周りがざわざわしていた為かあまり反応はなく、お風呂上りも眠いようだったので2時間くらいで帰って来ました。日によって体調には波があるようです。

3日目は甥と行きました。甥には台湾の話をするととても喜んだという事を伝えていたので学生時代の同窓会名簿があったはず、と探して一つだけ見つけ見せました。タイトルを読んであげるとこれまた大きな声で「あ~っ!」と言ってとても嬉しそうでした。

また私が10年以上前にパソコン教室に通い始めた頃作ったカレンダーの写真を切り取って側に置いていました。その写真は母のお父さん(台湾で亡くなったので面識はありませんが)の写真です。その写真を目の前で見せながら名前を告げると「分かる」と言って何度も頷きながらずっと眺めていました。
やはり台湾の事はとても良く覚えているようで目の輝きも違っていました。

4日目は最後の日でしたが涙を流すこともなく「また一緒に台湾に行こうね」と言うと「うん、行きたい!」と言って笑顔で別れてきました。

ずっと心に重くのしかかっていた私の心は見違えるようにすっきりしました。いつ何が起こってもきっと母の笑顔だけが心に残ることと思います。
空を見上げると私の大好きな雲一つない青空でした。

初日に12月の失礼な看護士さんのことを事務局の人に言っておいたのでその人を特定できたようです。事務局に居た人たちが申し訳なかったと頭を下げてくれ、2度とこのような失礼なことが起きないように気を付けますと言ってくれました。新人さんだったようです。

今回母に会って来て本当に良かったと思いました。
今は心身共にスッキリ元気になりました。

初日の出

2019-01-21 20:52:59 | 国内



おはようございます。
我が家から見た初日の出です(1月1日撮影)

お天気も良く、スカイツリーもはっきり見えて今年は良い年になりそうです。
スカイツリー分かりますか? ちょっと分かりにくいですが、2本並んで見える塔の右側の塔がスカイツリーです。

母に会いに今日九州に来ました。
何時もiPadを持参していたのですがいろいろ使い方が分からず四苦八苦していました。
やっと今回使えそうな予感がします。
ホテルにチェックインした後、先ずはブログをUPしてみます。
上手くいけばお慰み❗️

2019年ブログ始め

2019-01-19 16:02:53 | 国内
新しい年2019年もスタートし1月も半分が過ぎてしまったというのにスロー・スタートでごめんなさい。

皆様は穏やかに新しい年をお迎えの事とお慶び申し上げます。
遅ればせながらおめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。


さてこの私の去年は500日くらいあったのでは? と思うほどなかなか1年が終わらないような感じでした。長い長い1年でした。
3月末帰国し糖尿病の定期検診に行ったところ、すい臓に異変を表す数値が極端に高く、すい臓ガンを疑っていろいろ検査をしました。結果はガンではなく引っ越しや環境の変化で数値が上がっただけだったようです。
またメラノーマの疑いで5月に足のホクロ1個、7月に顔のホクロ3個の摘出手術を受けました。こちらも全てガンではなかったのでホッとしました。

検査の結果が出る前の4月中旬に九州に居る母の所に行って来ました。
NZに出発する前は自分で歩いて玄関まで見送ってくれた母はすっかり元気をなくして寝たきりの状態でした。その間遺漏(いろう)の手術もしていました。寝たきりで話すことはあまりできませんでしたが私が話すことは理解していました。
7月中旬に施設の方から電話があり、最近母の体調があまり良くないとのことだったので9月になって(顔に絆創膏などがまだペタペタあるも)母の所に行って来ました。
11月、母は入退院を繰り返しているとの連絡があり今後の母の在り方(人生の終わり方)を少しづつ考えておいて欲しいとの連絡がありました。最初は具体的に何のことか分からなかったのですがいわゆる延命治療をするかしないという事でした。

母は健康な若い時から延命治療は嫌だと声を大にして言っていたので分かっていたのですがそれを私が最終通告の様に言って良いのだろうかと悩みます。でも家族やいつも交流のある近い親戚の人たちと相談して決断しました。
12月また九州に行き延命治療はしませんと伝えました。
母は今年4月に93才になります。神様が決めてくれる通りに自然に任せてあげた方がいいのでは?という多くの人が言う言葉にホッとしました。

こんな日々を過ごした1年でしたが11月の3連休には息子と娘家族で伊勢神宮に行き、年末は夫も加わって1泊2日で伊豆高原に、新年の1月5・6日は八ヶ岳に行って来ました。
夫の母もあまり体調が良くないので遠出はできません。近場を皆で楽しんで来ました。
3回とも富士山と空が素晴らしく綺麗で本当に癒されました。

落ち込んだ日々も沢山ありましたが何かが吹っ切れ、皆に癒されて、残された人生を楽しく生きて行こうと思っています。
明後日からまた九州に行って来ます。