暑がりの私でもこのところ外出する時は、涼しくを通り越して寒くなってきたことを実感しています。家の中ではまだ半袖ですが。
皆様は大丈夫ですか? 風邪などひかないようにお気を付けください。
先週土曜日のテレビ番組「世界ふしぎ発見」はモンゴル特集でした。そこに懐かしい人が出ていました。
モンゴルでは国民的な大スターのソソルバラムさんが歌手の八代亜紀さんのモンゴル公演をプロヂュースしたそうで、その時の様子が放送されました。
ソソルバラムさんは1990年の民主化運動の英雄でそれまでの社会・共産主義から自由を勝ち取るための改革運動を起こした人たちの一人です。その時彼はまだ30才でした。
彼は現在、歌手、俳優、舞台のプロデューサー、そして文化芸術担当の大統領顧問でもあります。小学生以上のモンゴル人で彼を知らない人はいないと言われている程の国民的スターなのです。
1990年にモンゴルは無血革命に成功し民主主義と資本主義経済になりました。そして国の名前もそれまでの「モンゴル人民共和国」から「モンゴル国」に変わりました。
革命直後、自由を勝ち取ったものの経済は大混乱していました。
その時いち早く救いの手を差し伸べたのが日本だったそうです。その為多くのモンゴル人は日本に感謝し、日本が大好きなのです。
元の話に戻ります。彼の自宅はモンゴルでの我が家と同じマンションの3つ上の階でした。
初めてお会いした時は我が家の運転手が興奮して彼の事を詳しく私に教えてくれました。
すれ違った後でしたがミーハーな私はすかさず声を掛けました。
その時以来会った時はいつも挨拶を交わし一言二言話すこともありました。お元気そうで何よりです。
ただ私が会う時はいつも私服のTシャツに短パン又はジャージ姿ばかりなのです。しかも髪は後ろで一つに束ねているのでチンギス・ハーンの姿で飛行機に乗り込んできた時は気が付かなくて失礼したこともありました。
番組でも言っていましたが、モンゴルの歌は日本人にも心に響くものがあって、私は言葉が全く分からないときはいつもテレビで歌を聴いていました。哀愁があって言葉が分からなくてもとても良い歌が沢山ありました。
その反対にモンゴル人も日本の歌は心に響くものがあるのでしょう。
日本の歌は演歌や歌謡曲に限らず、Jポップス、童謡、小学唱歌でもみんな大好きです。
最初に我が家で夫の仕事関係のモンゴル人たちをお招きしたパーティーでの時いろいろ教えてくれました。
その中でも印象深い歌は
「北国の春」この曲はアジアではほぼどこの国でも広く知られた曲ですが中国人だけはこの歌は中国人が作った歌だと言って譲らない人が多いです。モンゴル人は日本の歌と知っています。
どの国でも日本語で歌われるのは勿論ですが自国の歌詞に訳されていることも多いです。
驚いたのは「鉄道唱歌」です。「汽笛一斉新橋の~・・・?」という歌詞から始まる長い歌です。年配の人がずーっと日本語で歌ってくれました。私はこの歌を子供の頃聞いたことはありますが何番までも歌えません。かなり長いのです。
もう一つ、ピンキーとキラーズの「恋の季節」です。ほぼ全員で大合唱しました。
この曲はモンゴルがまだ社会主義国だったころの唯一の娯楽である映画で見たそうで、その中で歌われた曲だと言っていました。
私もこの曲は大好きで良く歌っていましたが、この曲と同じタイトルの映画があったことは知りませんでした。勿論ピンキーとキラーズが出演していて山高帽と黒い衣装で踊りながら歌っていたと真似をして見せてくれました。
「お馬の親子は仲良しこよし~」正確な歌のタイトルは分かりませんが、この曲はウランバートルでのごみ収集車がこの曲を鳴らしながら回っています。ゴミ収集車も日本の中古車で「これは日本国民からおくられた車です」というシールが貼ってありました。
懐かしく楽しい思い出タイムでした。
皆様は大丈夫ですか? 風邪などひかないようにお気を付けください。
先週土曜日のテレビ番組「世界ふしぎ発見」はモンゴル特集でした。そこに懐かしい人が出ていました。
モンゴルでは国民的な大スターのソソルバラムさんが歌手の八代亜紀さんのモンゴル公演をプロヂュースしたそうで、その時の様子が放送されました。
ソソルバラムさんは1990年の民主化運動の英雄でそれまでの社会・共産主義から自由を勝ち取るための改革運動を起こした人たちの一人です。その時彼はまだ30才でした。
彼は現在、歌手、俳優、舞台のプロデューサー、そして文化芸術担当の大統領顧問でもあります。小学生以上のモンゴル人で彼を知らない人はいないと言われている程の国民的スターなのです。
1990年にモンゴルは無血革命に成功し民主主義と資本主義経済になりました。そして国の名前もそれまでの「モンゴル人民共和国」から「モンゴル国」に変わりました。
革命直後、自由を勝ち取ったものの経済は大混乱していました。
その時いち早く救いの手を差し伸べたのが日本だったそうです。その為多くのモンゴル人は日本に感謝し、日本が大好きなのです。
元の話に戻ります。彼の自宅はモンゴルでの我が家と同じマンションの3つ上の階でした。
初めてお会いした時は我が家の運転手が興奮して彼の事を詳しく私に教えてくれました。
すれ違った後でしたがミーハーな私はすかさず声を掛けました。
その時以来会った時はいつも挨拶を交わし一言二言話すこともありました。お元気そうで何よりです。
ただ私が会う時はいつも私服のTシャツに短パン又はジャージ姿ばかりなのです。しかも髪は後ろで一つに束ねているのでチンギス・ハーンの姿で飛行機に乗り込んできた時は気が付かなくて失礼したこともありました。
番組でも言っていましたが、モンゴルの歌は日本人にも心に響くものがあって、私は言葉が全く分からないときはいつもテレビで歌を聴いていました。哀愁があって言葉が分からなくてもとても良い歌が沢山ありました。
その反対にモンゴル人も日本の歌は心に響くものがあるのでしょう。
日本の歌は演歌や歌謡曲に限らず、Jポップス、童謡、小学唱歌でもみんな大好きです。
最初に我が家で夫の仕事関係のモンゴル人たちをお招きしたパーティーでの時いろいろ教えてくれました。
その中でも印象深い歌は
「北国の春」この曲はアジアではほぼどこの国でも広く知られた曲ですが中国人だけはこの歌は中国人が作った歌だと言って譲らない人が多いです。モンゴル人は日本の歌と知っています。
どの国でも日本語で歌われるのは勿論ですが自国の歌詞に訳されていることも多いです。
驚いたのは「鉄道唱歌」です。「汽笛一斉新橋の~・・・?」という歌詞から始まる長い歌です。年配の人がずーっと日本語で歌ってくれました。私はこの歌を子供の頃聞いたことはありますが何番までも歌えません。かなり長いのです。
もう一つ、ピンキーとキラーズの「恋の季節」です。ほぼ全員で大合唱しました。
この曲はモンゴルがまだ社会主義国だったころの唯一の娯楽である映画で見たそうで、その中で歌われた曲だと言っていました。
私もこの曲は大好きで良く歌っていましたが、この曲と同じタイトルの映画があったことは知りませんでした。勿論ピンキーとキラーズが出演していて山高帽と黒い衣装で踊りながら歌っていたと真似をして見せてくれました。
「お馬の親子は仲良しこよし~」正確な歌のタイトルは分かりませんが、この曲はウランバートルでのごみ収集車がこの曲を鳴らしながら回っています。ゴミ収集車も日本の中古車で「これは日本国民からおくられた車です」というシールが貼ってありました。
懐かしく楽しい思い出タイムでした。