marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(924回)親愛なるMへの手紙(その3)

2021-09-20 08:08:08 | 手紙

◆追加で実際話した仏教のことは、ここに長々と書きません。煎じ詰めていえば、本来仏教は、葬式仏教ではない、それは僧侶も知っているのだということ、本来の仏教は、今生で修行をしなければ、涅槃にはいけないということを釈迦は語っているのだということ。それから、前回、話をさせていただいたように、アブラハム、イサク、ヤコブの神と言われて、死んだものの神ではなく、生きている者の神であると言われた、そのヤコブもその子ヨセフもエジプト式の葬儀(ミイラになった)でなくなったということ。全世界の人々の救済を導く神は、ここで葬儀は決めてなどはいないということをよく考えてみなくてはいけない。

死後どこに行くのかを明確にすること、その手段(十字架)もしっかり認識すること。そして、厳しい仏教の決められた僧侶の修行などではなく、毎週日曜の復活を思う祈り、礼拝に出席し、献金を捧げ、毎週あらたに生まれ変わって人生を成功の内に歩むこととして前進するべきである、というのが被創造物たる人類の務めであるということです。キリスト者は天のエルサレム、永遠の命の故郷へ帰還するのだということ、このことを明確に言って、書いておきさえすれば、どのような葬儀をしても天の戸籍簿には名前が記されて、再び次の世界で永遠の命にあずかり、会食し、会話し、疲れることも、いやなこともないということである。(これは輪廻転生や霊の障害や悪魔の働きなどそれは闇の世界として実際の世界の出来事、政治の世界まで後ろ向きの話からも語ることはいくらもできるが。それは製造言語で言えばFMEA程度に思っておくことだ。)

◆実はそれは、実に高い次元での霊のシステム・プログラムでもあるのである。なぜなら、神は人を創造し、霊を吹き込み、実に生きた人となったのである、とあるから、造ったからにはそのプログラムもシステムもあるということなのだ。しかし、それはようやくさ地につき始めたばかりなのだ。細胞を人為的に作ることができ、ゲノム編集もできるようになり・・・とようやくさ物質による創造物の操作への取り掛かりができたばかりなのである。