♪ 赤い靴履いてた女の子 異人さんに連れられて行っちゃった ~♪ (※秋田市図書館「明徳館」前に建つ「秋田の赤い靴」像)
◆当時は、日本各地にこのような話があったのだろうなぁ。僕も小さいころから覚えていた童謡。昨日、三種町という町で第4回三種ミュージカルを見てきた。(当時の三種町は秋田県八郎潟の北より海側のとても貧しい村だった。ここが舞台となった物語)体育館会場は目いっぱいの人々。椅子は間に合わないので前方ゴザに座り。2000人以上はいたんではないだろうか! このお話は現在映画も作成中で2020年公開予定とのことです。(※下にパンフを掲載します)
◆話は1884年宣教師たちによって秋田に初めてプロテスタント・キリスト教の種が蒔かれた時代にさかのぼります。最初の宣教師がスミスとガルストで、スミス婦人ジョセフィンは秋田に来て一年足らずで出産後に天に召されました(秋田の教会墓地に眠っています)。彼女の死を受けて1886年にミス・ハリソンが婦人宣教師として秋田に派遣されてきました。
◆ハリソンは、教会や学校の他、刑務所でも聖書を教え、服役していた身重の金子フジと出会い、ハリソンが生まれたハツを引き取って育てました。ハリソンが帰国する際、ハツを連れて横浜から出発(その時、子供ハツが履いていたのが赤い靴でした)、ロスアンゼルスの大学で学ばせた後、その後、日本排斥運動があったためハワイにわたり、共に日本人の為に働きました。 (※秋田を離れるとき人力車に乗る。人力車は北の京都と言われる「角館町」から出演。)
◆この教会は秋田で最も歴史のあるプロテスタント・キリスト教会で1884年6月1日が創立の日となっています。今年で135年になります。ハリソンが来た当時の秋田基督教会は現在「日本キリスト教団 秋田高陽教会」となり、この教会では秋田で最初に幼稚園も始められました。現在の「秋田幼稚園」となっています。
◆初代の宣教師、ガルストも映画になりそうな方です。最後の遺言は「My life is my message.」 日本に骨を埋め、東京青山墓地に眠っています。・・・
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(※ハツのお墓について) ホノルルの日本領事館からヌウアヌ(ハワイ語で「涼しい高地」の意)通りを北西約800m進んだところにオアフ墓地があります。ここに「赤い靴の女の子」CORA・JULIA・HARRISON(コラ・ジュリア・ハリソン)、日本名「金子ハツ」が眠っています。<1922年4月30日没、享年32>「ENTERED LIFE ETERNAL(永遠の命に入れり)と墓石に刻まれています。これを刻んだ母親代わりの宣教師CALLA・JAMES・HARRISON(カーラ・ジェームス・ハリソン 1859~1937)彼女はハツの隣に並んで眠っています。・・・ Ω
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