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◆世界のベストセラー聖書を自分の言葉で読む◆ 今日も脱線。「炎のランナー」という映画がありましたでしょう。ロンドンオリンピックでMr.ビーンのパロディーも流れましたけど。音楽もとてもいい音楽ですね。映画も良かった。実話です。今は、you tubeで見れますから是非ご覧なさい。DVDもお安く手に入ります。映画は教会でエーブラムの追悼記念の場面から始まります。そこで、旧約聖書のイザヤ書第40章28~31節が読まれます(この聖書の箇所は有名なところ)。エーブラムはユダヤ人で人種差別を受けながらも英国人であることを誇りにしていた。恋人は、最後に一人降りてくる(人種差別ありの時代の残骸だなを匂わせる)彼をプラットホームでまっている・・・泣けるな!落ち込む彼を元気つけるのも彼女だし・・・。映画ではもう一人、エリック・リデルの最後は映画ではえがかれていませんが、その後、宣教師となって中国で殉教しているのです。ところで、どうしてこのようなことを書き始めたかというと日本では「炎のランナー」となっていますけど、英語の題は「Chariots of Fire」ですね。聖書を英語で読んでいる人は(だから、欧米の人は常識となるのだが)、この箇所が旧約聖書に出てくる大預言者、エリヤとエリシャの間に立ち現れる日本語訳では「火の戦車」(列王記下第2章11節に出てくる)そのものの言葉だからです。昔の戦車というのは、大きな両輪があって馬に引かせるものでしたから、エリック・リデル(キリスト教プロテスタント宣教師)とエーブラム(ユダヤ人旧約の民の気質をもつ精神)の両輪が、この世界を牽引してきたんだよな、そういう暗示的な映画でもあったなぁと僕は勝手に思いこんでいるのです。その箇所、昨日紹介のオックスフォードとケンブリッジ大学出版のTHE NEW ENGLISH BIBLEからの写真をつけます。 日本聖書協会の新共同訳では、次のようになっています。「彼らが話しながら歩き続けていると、見よ、火の戦車が火の馬に引かれて現れ、二人の間を分けた。」(旧約:列王記下第2章11節)。預言者エリアとエリシャの別れの場面です。・・・Ω
◆世界のベストセラー聖書を自分の言葉で読む◆ 12回目となりました。12という数字は、特有な数字で、それも旧約聖書から来ているようです。一ダースがそもそも12、何故? 一番分かりやすそうな指10本なのにね。12というのは、数字でいろいろ気になるところがありますね。1年は12ヶ月、半日は12時間とか。こじつけのようなところもありますが、イスラエルの部族が12部族あったところから来ているようです・・・1年は初め10ヶ月あったらしいのですが、ローマ皇帝のジュリアスが今の7月に生まれ、生まれた月JULYを割り込ませ、その後、皇帝アウグストスが今の8月に生まれてAUGUSTを割こませ、現在の12ヶ月になったとか。 さて、本筋からはずれっぱなしでしたが、その後、みなさまはルターさんの推奨された、福音書ヨハネ伝はお読みになりましたでしょうか。ルターさんは福音書はまずこれだとヨハネ伝を選ばれたのでした。父なる神とイエスとの関係、そして聖霊が分かりましたでしょうか。そして、何故、地上に誕生されたのかは、読んでも少し分からなくなってきそうなので、待てよ!そもそも読むということをする「自分」とは(それを前回、大きな壁があると書きましたが)、何なのかということにぶつかりました。わたしたちを含め、天地を創造された父なる神は、今も活きて働いているとカルヴァンさんは聖書の言葉を述べられ、プロテスタントでは大事件となった人間(自分)と神との関係を包括的、かつ体系的に神学書「キリスト教綱要」に著したのでありました。かのギリシャのソクラテスは「汝自身を知れ!」とのたまいましたが、実は、自分のことは自分で良く知らないのではないでしょうか。だから悩む・・・。(「悩む力」という本もありましたが、これにつきましてはいつぞや書きましょう。)「自分」という大きな壁、実は、この壁のことが理解できれば、イエスが何故、地上に父なる神からつかわされてきて、十字架に掛かったかが理解できるようになってくるのであります。自分の言葉で考え尽くしていくと、必ず、イエスの十字架にぶつかると僕は思っていますが、先を急ぐことはやめましょう。「人間に、自分自身を知ることを強くすすめる古い諺には、非常にもっともなところがある。・・・(「キリスト教綱要」 第10章 原罪 一、罪の事実 冒頭より)・・・Ω 昨日の写真は表紙見開き、今日は外から、オックスフォード、ケンブリッジ大学出版社からのもの)。英国のこの両大学も、仏のパリ大学も米国ハーバードもすべて神学から始まりました。「主を畏れることは知恵のはじめ(箴言第一章7節)」の言葉が定礎に刻まれている・・・。