marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(110回目)

2016-08-26 20:59:40 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今回は大いなる脱線。
又、悲しい事件があった。16歳の少年がグループ仲間からリンチにあい、半裸で川の側で埋められて亡くなっていたというのだ。仲間の一人が父親と一緒に警察に出頭、仲間も分かったというのだが。何故こんなことが起こるのか!                 
◆今回の脱線。キリスト者は、その生身の人間への罪の追求などということは決してしないものだ。そうしてしまう人間の弱さ、そうさせる悪の諸霊を最終相手に戦うものだからだ。イエスはいう、悪魔は人殺しであると。人同士が排他するように働くのだ。生身の人間世界に負のちょっかいをだすのである。できれば神の創造せし最高傑作である人間を亡き者にしようと行き場の無くなった悪霊達は今まで以上に頻繁に活動し始めた。イエスの言葉を読み、学び始めた僕らは、ただ観念的な空論、思いや目に見えない宗教の慰め、心の問題などに収まるものだけでは無くして実際にこの肉体と脳みその働く今という現実のまさにその場において猛烈に戦いつつある聖なる霊(イエス曰く真理の霊)を学ぶ者達でもあるのである。
◆命の霊を受けんとするものは、学びとともに我等が戦う相手でもある悪の諸霊のわざを事件や事故で今日でも見ることが出来るではないか。平和呆けを是正するために分かった上での戦争を是認する? そんなことを言っている内に自分の身の上にも生きる場が無くなっているのである。我等の戦いは血肉にあらず・・・。イエスが十字架に上げられたその時以来、人類の”終わりの時”は始まっているのだ。
◆「イエスよ!後生だから近づかないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来てわれわれを苦しめるのか。さもなければあの豚の中に入り込ませてくれ! 」(マタイ8:29~31)
◆イエスは言う。「わたしの言葉は命であり霊である」と。さて、6月22日の33回目の日記を読んで見ていただけるだろうか。東日本大震災のことを書かせていただいたがそのことが本になった様だ。立ち読みでもして、もう一度、我々は何で命を生きているのか考えて見て欲しい。(「呼び覚まされる 霊性の震災学」東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清ゼミナール 新曜社)
◆イエスが復活されたこと。これらを読むと何ら不思議なことでも何でもなくそのとおりであったろうことが推察されてくるのは僕だけだろうか・・・

世界のベストセラーを読む(109回目)

2016-08-25 07:43:35 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝第14章 最後のお別れのイエスの説教。同じことの繰り返し(こう書いてしまうとつっけんどんな言い回しになるが、だから重要なのだよとイエスはおっしゃりたいのだ)。
わたしを見たのは父をみたのだ。わたしを通さなければ父の元へは行けない。わたしのわざを信ぜよ。父がわたしの内で行われているのだ。わたしは父にお願いし真理の霊を送る。それは、すべてを教えてくれるであろう。あなた方の所へわたしは帰ってくる、孤児にはしない。わたしは父におり、あなた方はわたしにおり、わたしがあなた方におることがわかるだろう。わたしの戒めを守れわたしを愛するものは父に愛されわたしもその人を愛し、その人にわたしを表すだろう。父がイエスの名によって使わされる聖霊はあなた方にすべてのことを教え、わたし(イエス)が話したことをことごとく思い起こさせる出あろう。。。。何度か同じ内容がことなった言い回しで繰り返される。(14:13)「立て。さあ、ここから出かけていこう」とイエスは言うが、出かけないで15章で、同じことを又、繰り返してお話を続ける。
◆このあたりの内容は、すべてに渡り同じ内容の繰り返しのように見受けられる。そろそろ終わりが近づいてきた。どうか、物語のところは除いてもご自分の言葉で、初めからイエスの言葉を整理して見て欲しい。
会話ことばでの応対されていることばでなく。”こうである”と言うふうに規定されている上からの一方向性にある言葉を拾ってみてください。実のところ、弟子が尋ねてもまともにそれには返答していない。いや、更に高いレベルで返答しているからまともに返答しているとは読み取れないのかもしれないが・・・。実に、イエスの言葉の不明さは其処にあるようだ。まともに(つまり、不完全ななる朽ちていく肉なる)人間が自己納得するような、父なるひとり子のイエスが答えて、それがもし、まともにガッテン理解したなどどいう人間が出てきたとすればそれこそ、危ない人間かもしれない。
◆そもそも初回から書いている、またこのブログを始めた理由であるが、自分の言葉でイエスの言葉を読み取ることであった。不完全な人間が聖書(神の言葉)を読みそこに総括的な自己理解の言葉が介入してくると多分に危ない者になる。組織立て、どうぞお入りくださいなどとくると、その組織だった不完全な人間の言葉のしきたりにどうしても拘束されてくる。無論、何でもokと言うわけにはいかない。・・・

世界のベストセラーを読む(108回目)

2016-08-23 20:06:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝14章では、トマスさんがあの有名な聖書の言葉をイエスから引き出した後にピリポ(口語訳)さんがイエスに質問するのですが、イエスから「なんだお前さん、一緒にいたのに今まで何聞いてたの?」と逆に言われたのでした。ピリポは(8:8)「わたしたちに父を示してください。そうして下されば、わたしたちは満足します」と訊いたのだ。おお、ピリポさんも常識人で嘘つけない人だったのね。イエスは「わたしを見たのは父を見たのだ」と言われた。粗雑で粗いこの人間界に不自由な人間の形に父なる神が成り立ちうるとは考えられんかったからだと思うな、分かる! しかし、人間を救うが故に不自由ではある人間の姿になられたのだということは、よく考えて見なければならんかったのだな、ピリポよ。しかし、
◆フィリポ(新共同訳で)は、初めからイエスという方から目を注がれていたのですね。イエスから、きちんと言葉で「わたしに従いなさい」と始めて言われたのはこのフィリポだったし(ヨハネ伝1:43) それから、五千人の食事のときイエスから試された弟子がこのフィリポだった(6:5)「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」。さらに、過ぎ越の祭りの時、エルサレムに登って来ていた何人かのギリシャ人がイエスに会わせてくれと頼まれたのが、この弟子フィリポだったのだ(12:21)。イエスが、”時が来た”と十字架を自覚された時がこの時だった。いよいよ、十字架が公になる時が来たのだとイエスは自覚したのだった。
◆ところで、このフィリポは、弟子として重要な動きをしたことをヨハネさんは、知ってか知らずか丁寧に書いている。その言わんとするところは、弟子の伝道とは、まず人に語り、述べ伝えて来たりてみよと語る重要性だ。それは、フィリポは同じような伝達者となっていることだ。(1:45~46)「フィリポはナタナエルに出会って言った。~フィリポは「来て、見なさい」と言った。(12:22)フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行ってイエスに話した。いずれ、ことを起こすのは二人でというのは長い伝統の上に立ったものだろう。その貴重な行動をヨハネさんはフィリポの行動を書くことによって教えてくれている。
◆今までイエスと共に行動してきた弟子達は、最後まで結局信じ切れなかったと書くのは暴論かなぁ。(17:31)「あなたがたは今信じているのか(17:31)」、十字架に掛かられると弟子達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだった。ただ、大祭司カヤパの知り合いであったヨハネさんは(18:15) 会議堂や十字架のかなり近くまで近寄ることが出来たであろうことは推察できる(18:16、19:26-27)。あとはイエスの告別説教である。われわれは、何も言えない。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(107回目)

2016-08-22 21:01:52 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝第14章に入りトマスさんが出てきて、いきなり脱線し始めたけど、そのまま走って余談の雑学資料の本を紹介いたしましょう。僕などは、こちらの方が、日本にイエスの言葉を定着するには、むしろ一般人に向いているのではないかと思ったりしています。決して冷やかしではなく、僕が、どうしてなのか? なぜなのか? と昔から疑問に思っていたことに答えてくれたのが、むしろこういう本でした。皆さんも是非、立ち読みでもいいのでのぞき込んで見て下さい。沢山、ありますが2冊ほど紹介・・・
◇聖書の国日本 ケン・ジョセフ&ジュニア 徳間書店 と ◇キリスト教と日本 井上章一 講談社現代新書   
        
◆もっと、ありますけれど、とめどなく脱線してしまいそうで、先の回に書きましたけど、その道の本筋の方に畏れ多くも「ユダの福音」というのがジュンク堂さんにありましたと言っただけで、えらく叱られましたので。それ以前の神学大学では、間違っても決して教えられることがないであろう、その手の方から三面記事のようなこの手合いの本などは一笑されるでしょうけれど、実際に僕らが目にするものにどういう意味なのかを教えくれるものと信じてます。こちらの方がいろいろと話のネタになると思いますので、特に前著は著者が日本に来て50余年もかけて調べてきたもので、いまだその息子さんが後を継いでいるような、へぇ~そうだったんだというような話題がいっぱいなのね。読まれたし。この方のは他に同じ内容で共著がありますよ。レムナントの久保有政さんなんかもいろいろネットで見ること出来ますね。その他、類似の話はいっぱい。学生時代、エドガー・ケーシー(知ってる人は知っている)の本に触発されて、洗礼を受けて地元に帰って小学校の校長まで勤めた僕の友人が居る。どこで何がきっけでイエスの言葉に触れて信ずる人間になるか分からない。けれど、「わたしが選んだのだ(ヨハネ伝(15:16)」とイエスご自身が言っているのだから、兎に角、天国行きの切符は早めにもらった方がいいぞとお奨めします。原発でプルトニウムの半減期が2万四千年なのにと学生時代びっくりして、人類はもうお終いだと今も天国を渇望する原因の一つにもなっている訳です。・・・Ω 

世界のベストセラーを読む(106回目)

2016-08-22 19:29:19 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 今回はすごい脱線しますから、注意ね・・・その道の方からは全く相手にされませんから。
◆トマスさんがイエスのことを伝えにインドの国までいったという話は、聖書を読み始めたもう何十年も前に聞いていた。その殉教の地にカトリックの教会が建てられ、その時の血が今も流れでていると(おそらく、赤い鉄鉱石の泥水と思うなとそのとき思ったけど)そんなことを思っていた。その後、調べるとトマスさんがインドに教会を建てたのは西暦52年頃らしい。イエスが33歳ころ(生まれが西暦0年としても)天に帰られたから、随分、早いな!とうことは、先の回の復活したイエスに会ったのは、事実で、まったくもって彼はただならぬ体験と身をもってそのこと(復活)を証明した弟子になるわけだな。インドまで行ったということはすご~い。 南インドのケララという町、そしてマドラスの町まで行き山の上で殉教したと。ここからいろいろな事を思ってしまうのね。そこから歩いても8年、馬では4年で日本の端(日本海はあるけれど)までつくのよね、きっと日本まで原始基督教は来てたと思う訳。中国にも行っただろうと(なぜ? 後述の移動した失われた部族を求めて・・・)
◆そればかりではない。昔は大陸との行き来は多く頻繁にあったと思う。今の正倉院にいろいろな大陸からの日本への贈り物がありますね。ガラスの器を調べたらその成分がペルシャのものと同じだったとうのは3年ほど前でしたかニュースになりましたな。その他、色々な献上品が向こうからのものありますよね。真言密教の空海さんも唐に行ったとき、其処にはすでに景教(原始キリスト教)、道教、ユダヤ教、儒教など沢山寺院があったのね、空海さんはそこで、基督教に出会っている訳なのだ(と空海さんが出てくる小説には書いてある。司馬遼太郎、陳舜臣、夢枕獏)、その他、高野山にレプリカがある大秦景教流行中国碑とか、京都の祇園祭りの山のタペストリーには何でラクダやピラミッドが描かれたりとか、御神輿はモーセがエジプト脱出のとき運んだ神の箱を模しているとか、その幕やの作りが今の神社の造りによく似ているとか・・・。調べると、やっぱ遠い昔、アーサー・ケストラーの失われた10部族(イエスが誕生される前のあの地方は12部族が、最終北イスラエルと南ユダに別れ、結局バビロン捕集で壊滅状態となるのだが、その前の10部族はどこへ?というので本当に捜しているという話)が実は、日本に来ていたのではないかと思われくる(その道の方には全く相手にされないでしょうけど)日本のアイデンテティーを調べるには結構面白い資料も沢山あるのです。レムナントなど久保有政さんなどYOU TUBEでも見れます。で、きりがなく、また、本筋からだいぶ脱線してきたので今回は粛々と閉じることにします。・・・でも、次回もう少し。