marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その4)『エクソシスト』映画のモデルとなった実話を読んで見ましょう!

2024-09-11 12:19:13 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 お話の続きです。

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ゴットリービンの治療をしていたメルクリンゲン(この町に近い村)のシュペートという医師も、何人かの人々とともに二度、彼女の部屋で夜を過ごしたが、彼が、そこで経験したことも、医者としての彼が予期したことをはるかに超えるようなものであったという。

そのようにして、この出来事の噂はメットリンゲンだけではなく、その地方全体に広がり、好奇心に駆られて旅行者が村を訪問するというような騒ぎになった。

そこでブルームハルトは、ついに決心して1842年6月2日の夜、村長を含めて数名の信頼できる教会の人々と共に、何の予告もせずに、ゴットリービンの家の調査に行った。

ブルームハルトが家に足を踏み入れると同時に、物を打つような激しい音が響き、それに続いてさまざまな音が聞こえてくる。それは主として、ゴッドリービンが寝ている部屋から聞こえて来るように思われた。

同行の人々は、手分けをして家の内外を調べていたが、やがて彼らもこの部屋に集まってきた。騒音は、次第に高くなったが、ことにブルームハルトが同伴した人々とともに讃美歌を歌い、祈りを始めるとそれはいよいよ激しくなった。

時にはその部屋のどこかを打ち付けるような激しい音がして、その度に椅子が飛び上がり、窓が震え、天井から砂が落ちてくるほどであった。

一行は、音のでるところなどを詳細に調べたが、原因をついに発見することはできなかった。

夜中の一時ごろ、ゴットリービンは、ブルームハルトを呼んで、自分には人の足音が聞こえるが、その姿を見たらその人の名を言ってもいいかと尋ねたが、ブルームハルトは厳重に、そのようなことをしてはいけないと命じた。

彼は、説明不可能な事実を、これほど多くの人が見たというを、そのまま放置しようとは思わなかった。彼は、調査を中止し。ゴットリービンが直ちに別の家に泊まれるように手配し、一行と共に立ち去った。

翌日、教会で礼拝があったが、ゴットリービンも出席していた。しかし、彼女は自家に帰って半時間もすると、使いの者が来て、彼女が失神して死にかけていると告げた。

ブルームハルトが彼女の家に急いでゆくと、群衆が集まっていて、彼女は硬直状態でベッドに横たわっていた。医者も来て手当てをしていたが、彼女の意識を恢復させろことができないので、頭を振って帰っていった。

しかし、それから半時間ほどすると、彼女は覚醒し、ブルームハルトに、教会から帰って部屋に入ると、またあの子供を抱いた女の姿を見て意識を失ったのだ、と語った。

そのような事があってから、ブルームハルトは、ゴッドリービンが自家に戻らないで済むように、宿舎の世話をし(実際、翌年の中頃まで、自家に足を入れなかった)、2、3の信頼出来る人々と、時折彼女を訪問して、事の成り行きを見守る決心をした。

・・・つづきます。


(その3)『エクソシスト』映画となったモデルの実話を読んでみましょう。

2024-09-11 08:35:08 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 話の続きです。南ドイツの小さな村のメットリンゲンという村の教会のブルームハルトという牧師の体験談です。

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その翌年の1841年秋になってから、ゴットリービンは、ブルームハルトの牧師館に訪問して、ますます甚だしくなってくる奇怪な出来事と自分の苦しみを訴えた。

しかし、それが極めて一般的な話し方なので、ブルームハルトには彼女の苦しみが充分に理解できず、適切な言葉も与えられないままで終わってしまった。

その年の12月から翌1842年2月まで、彼女は丹毒にかかって危険な状態になるが、しかし、その間もブルームハルトは、彼女の病床をそれほど度々見舞おうとはしなかった。

それは、ブルームハルト自身が言うところによれば、当時の彼の目には、ゴットリーベンの態度が、傲慢でわがままに映るからであった。例えば、ブルームハルトを見ると彼女は脇を向いてしまうし、ブルームハルトの言葉を聞こうともしない。挨拶しても応答もしない。そのような有様であった。

しかし、その間にもゴッドリーベンの家での出来事は、いよいよその度を加えて、あの妖しい物音は、遠家の中で職人が仕事をしているように激しい物音になり、近所の人々の噂の種になるようになった。

それで、その年の4月にゴッドリービンの親戚が、2人ブルームハルトを訪問して、2年余りに及ぶゴットリーベン一家の苦しみを訴えた。それで初めてブルームハルトはこの出来事について詳しいことを知るようになった。

その親戚の人々は、ゴッドリービンが2年前に死んだ女が、死んだ子供を抱いて枕元にあらわれる姿をたびたび見るということも告げた。

そこで、プルームハルトは、ひとりの夫人に依頼して、ゴットリービンの家に泊まってもらい、まずその実情を知ろうとした。そして、できれば、ゴットリービンの心を、そのような怪しい物事から、引き離そうとした。しかし、その婦人からも、あの怪しいもの音は実際に聞こえたという報告を受けた。 

・・・つづきます。

 


(その2)『エクソシスト』映画のモデルとなた実話を読んで見ましょう!

2024-09-10 08:10:20 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 私達が地上に存在する限り、彼(生きているキリストは聖霊により)語り続けるでしょう。

実際の話を長いですがこれから数回続けて読んでみます。一部省略ですが他はそのままです。『神の国の承認ブルームハルト親子』(新教出版:井上良雄 著)から。(今のメットリンゲンの村は、南ドイツの小さな素敵な町です。)

今のキリスト教会の牧師さんたちは、ブルームハルトという牧師の名前を知らない人は居ないでしょうが、このお話(実際にあったこと)を知らないか、あるいは知っていても決して公言することはしない方が殆どと思います。

*****(そのお話)

 メットリンゲンの村にゴッドリービン・ディトゥスという娘がいた。

彼女は1815年の生まれだったからブルームハルトが村に牧師として着任したときには23歳であったはずである。

彼女にはもともと十人の同胞(兄弟姉妹)がいた今は3人の同胞(兄、姉)が残っているだけであった。

両親は貧しかったが、母親は特に篤信の信徒で、メットリンゲンの教会の代々の牧師によってその信仰を養われていた。

娘のゴットリービンは特別に利発な少女で詩を作る才能を持っていたので、バルト博士に可愛がられていた。しかし、幼い頃から彼女が色々と不思議なことを経験していた上に、腎臓病その他さまざまの病気に苦しんでいた。

ブルームハルトが教会の牧師として彼女の前に姿を現した時、彼女は彼に名状できないほど強く惹きつけられるものを感じると同時に、強く反発するものを感じた。

ブルームハルトが初めて就任の説教した時に、彼女は彼の目の玉をえぐり取ってしまいたいという衝動をおぼえたという。

しかし一方、彼女はブルームハルトの言葉を聞くために、教会のあらゆる集会に出席した。

虚弱な上に足が不具で歩行が困難なのに、ブルームハルトが責任を持っていた隣の村の教会にまで出かけてゆくほどであった。

ブルームハルトが着任してから一年半経った1840年2月にゴッドリービン・ディトゥスの一家(その頃すでに両親は死んで、ゴッドリービンを含めて5人の未婚の同胞だけになっていたが)は、教会に近い家に移転した。

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この家は今日も傾きかかったようなみすぼらしい姿で立っているが、この家に移ると同時にゴッドリービンは(後日、彼女が語った事によれば)奇妙な力が自分に作用するのを感じた。そして、その家の中に、不思議なものが見えたり聞こえたりするように思った。

移転した最初の日に、彼女が食卓で祈っていると、突然発作に襲われて、床の上に倒れてしまう。

それと同時に、何か物を叩くような気するような、引きずるような物音が聞こえてくる。しかも、その不思議な物音は、彼女だけではなく、その同胞たちにも聞こえ、さらに2階に住んでいる別の家族たちにも聞こえる。

そのようなことが引き続きおこって、その物音は、断続的に聞こえるようなこともあれば、一晩中聞こえることもあった。

ゴッドリービンには、後日甚だしくなる憑依状態の方が芽生は、すでにこの頃から現れていた。

しかし、ゴッドリービンはじめ一家のものたちは、近隣の人々の評判になるのを恐れて、それをひた隠しにしていたし、村の人々も貧しい孤児たちの家庭に、それほど関心を示すものは少なく、ブルームハルトも噂として耳にする程度で、あまり注意を払っていなかった。

・・・つづきます。


(その1)『エクソシスト』という怖い映画を知っていますか?

2024-09-09 12:33:23 | #日記#手紙#小説#文学#歴史#思想・哲学#宗教

 

この表題の映画を知っている人は、悪魔が少女に憑依して祭司との闘いをするという、とても怖い映画だったことを思い出されるでしょう。

実は、この映画は創作ではなく実際にあったことを映画にしたものだったのかな、と思わされるプロテタントの牧師の話があるのです。

その名前は今も牧師さんであれば知らない人はいないブルームハルトという親子で牧師さんをされていた(父親の)時に起こった事件でした。

20世紀最大の神学者と言われるカール・バルトにもその神学上大きな影響を与えたとうそのブルームハルトの体験談も、その牧師の名を知ってはいるのですが、その荒唐無稽とも思われる体験談を学ぶ人、知っている牧師さんは少ないかも知れません。

(写真の著書の紹介されて本を書かれた井上良雄という方は、カール・バルトの全集の殆どを訳されたその道の大家。)

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それは、ドイツのメットリンゲンという教会で、ゴットリービンとい名の少女に起こりました。怪事件でした。・・・・

今では女性特有のヒステリーかとも思われるのですが、それは簡単に言えるものではなく、住む家にも現象が起こり多くの人が体験したものだったのです。

僕は、この話を読むたびにいつも霊的に真摯な思いにさせられます。

・・・生きている我々は霊的な存在であり、人生は戦いにあり、と思わせられるのです。・・・


古代からの人々を愛おしく思ったこと

2024-09-08 20:56:37 | 日記

この夏に部落解放運動をされている和田献一さんと食事を共にある機会があった。内容が内容だけに誤解されることもあろうかと短く感想を述べる。

それと同時に、 網野義彦の著作も気になっていたので読んでいたのだけれど、内容が繋がるものだったので、目からうろこが落ちたような和田さんの講演であった。前の本の参考文献にもこの本があげられていた。

東北ではあまり聞かない同和問題なども、それは関西が多いだけで東北にも地域にあるのだ(あったのだ)と、この地や東北では仙台でのあの地域では、などと町の名前を挙げられていたので、へぇ~あの場所が・・・などと、話が盛り上がってしまった。

それにしてもフィールドワークであちこちの場所の行っておられて、僕の住んでいる旧道の大きなストアーの場所には、昔の処刑場があったのだの、その場所に合った大きな仏像がそこから、これも著名な近くの寺の参道に移されたの、処刑された方はあの辺に埋められていると思われるけれど、などと言われると・・・おいおい、それであの参道の左の草地の場所が、やけに不釣り合いに手放しになっているのを不思議に思っていたが、その理由を聞いた思いだった。

この古代の人々の生態?なるものも考えて追求したいジャンルなのであって、派手に歴史にはとりあげられない巷のひとびとが、何故か愛おしく思われてきたのだった。

そもそも”ちまた”とは、住む場所の棲み分け≪彼ら≫との<地の股= 区分する領域> を意味するらしかった。

尊く用いられた職人、芸人、宗教人・・・誰かがやらねばならない仕事もあり、それらの人々が時代変遷により政治的にも大きく区分されて(差別)されてきたのだった、という見解である。

それが今も続いているというのである。

過去の街道に古びた能舞台が雨ざらしになっているを見かけたり、田舎には勧人おどりという芸能も残っている。それらを思うと派手に歴史には残らないが、多くの僕らに続いて来た人々が、たいそういとおしく感じられてくるのだった。