現在上映中のアニメ映画「この世界の片隅に」を観てきました。
泣きました。
土曜日から公開は始まっていたのでSNS等で高まる評価に恐る恐るではあったのです。
期待を高まらせすぎた状態で観に行くと案外肩透かしをくらってしまうということは最近のあれで経験したことですから。
実を言ってしまうとつい最近まではこの映画を観るつもりはありませんでした。
プロジェクトの成り立ちなどを何も知らなったこともあり当初制作費の一部をクラウドファンディングで集めているということに胡散臭さを感じていたのです。
今思うとそもそもこのクラウドファンディングというもの自体ぼくは勘違いしていたようです。
そして絵柄も素朴な感じで8月になるとなにかしら作られる反戦説教番組みたいなものなのかな……とも考えていました。
ところがつい先日、上映直前で色々と情報やらスタッフキャストのコメントが公開され目にしてみるとこの作品がそんなお手軽なものなどでは無くむしろとんでもなく細かく丁寧に作られた作品だと知りました。
まだアニメの公開形式もなにも決まっていないころからこの監督さんは何度も何度も舞台である広島、呉に足を運んで膨大な資料を集め絵や地図や図面を描きそれを当時を知る方々に意見を求めたそうですね。
それは建物のデザインに留まらず材質や風俗や世相に至るまで入念な調査を繰り返したようです。
また呉という軍港の町である以上度々艦艇の描写があり、原作にある戦艦大和のシーンは果たして本当にこの日時で大和は呉にいたのか、その日の天候や視程は……というところまで調べ尽くした画面設計。
幼い晴美ちゃんが「あれが利根」と兄に教えてもらった軍艦の知識を披露するセリフがあるのですが、実際にはその頃には「利根」は呉におらず似た艦型の「最上」はいたそうです。
有名な「天城」横転や「青葉」着底などもそこからはこの距離感で見えていたはずといったところまで正しく描かれているようです。
またこの晴美ちゃんの存在が良くて海軍工廠に勤める技師であるおじいちゃんが空を駆ける「紫電改」の音を聞き「わしらが500馬力から2000馬力まで育て上げた」と誇らしく言うと「アメリカは何馬力なの?」と子どもならではの素朴ながらも無配慮な質問を投げてきます。
また軍港を見渡せる山から「戦艦はいっぱいいるけれど航空母艦はいないね」とすら言ってきます。
そのころはもうミッドウェイ海戦で大負けをしていらい次々と空母を失っている時期でしたからね。
ぼくらのようなミリオタは観るべきものでは無いのかと思っていましたがとんでもない。
そういった知識があればその日常的なシーンでも南方ではこんなことになっていただとか、戦局は悪化の一途を辿ってはいても実はまだ民衆の間ではこんなにも楽しく暮らしていたのだなとか細かな事を感じ取ることができます。
(もちろん連日連夜の空襲が始まるとそんな笑顔も消えてしまいますが)
絵柄の効果も大きいのですが全体的に緩やかで、反戦イデオロギーを振りかざした作品ではまったく無くむしろ悲壮な大戦末期においても人々はこんなにも健気で強く、そしてわずかなことでも楽しみを見つけ笑っていたのだなと感じるとても楽しい作品でした。
そしてそんな楽しく優しい作風だからこそ泣きます。
そりゃ戦前戦中戦後を描いているのですからたくさん人は死にます。
でもそれは作品の性質上分かっていたことですし身構えていたというのもあります。
だからそれ以外のシーン。
たとえば玉音放送を聞いた8月15日の夜にもいつもと変わらず家々では夕餉の支度に煙が立ち上がります。
そんなシーンに涙が溢れてくるんです。
あからさまな“泣け!”演出は無いのですがそれだけに観た人の数だけ泣くポイントがあるのではないでしょうか。
直接的な説教作品では無いからこそ日常を壊す戦争を憎む感情が湧きあがります。
昨日ぼくはアニメに出てきた英国空軍の爆撃機カッコイイ!な内容をこのブログに乗せました。
でもそんなミリオタだからって戦争が好きなわけが無く、むしろ知識がある分怖さも愚かさも知っているのですよ。
もう何度かは観に行きます。
今更ながらクラウドファンディングに参加しなかったことを後悔し、ここからでも劇場に足を運び支援をしてこれから先もこういった各タイアップ企業の思惑などから離れた作品が作れるんだということを見せて欲しいですから。
今現在では上映規模も大きくはなく劇場数も少なくスクリーンも小さなハコが多いのですが評判が評判を呼び劇場数も増えていってくれることを願います。
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