岩手県奥州市の江刺地区にある回進堂という和菓子店が販売する「岩谷堂羊羹」をいただきました。
和菓子店の回進堂のWebサイトによると「300年の伝統を持ち、昔ながらの製法で作られる岩谷堂羊羹」と表記されています。さらに、「コシが強く深い味わいで、全国菓子博覧会銘菓菓子部門の内閣総理大臣賞をはじめ、多くの賞に輝いてきた銘菓」と伝えています。
今回は岩手県の海岸沿いに、2011年3月11日に起こった東日本大震災・津波の被災地にお見舞いに行った方が、その岩手県の方からいただいた「岩谷堂羊羹」の“特小型の一口サイズ”の羊羹(ようかん)のお裾分けをいただいたものです。
いただいたのは「ひとくち 純栗」です。
調べてみると、回進堂の「岩谷堂羊羹」は「小倉」など10種類の羊羹をつくっています。伝統の“本竹皮包み羊羹”が一番のお奨め品のようです。
実は、興味を持ったのは「岩谷堂」という名称でした。最初はお店の屋号だと思ったのですが、調べてみると、現在は奥州市江刺区の岩谷堂という地名でした。以前は岩手県の海岸と内陸を結ぶ、北上川舟運の重要な宿場町として栄えていた場所の地名でした。
江戸時代には、伊達藩(仙台藩)最北の城下町として栄えた交通の要所だったそうです(伊達藩と南部藩の境の地です)。伊達藩の岩谷堂城主が唯一の甘味として保護・奨励を受けたことがきっかけとなり、「岩谷堂羊羹」が作られるようになったと記述されています。
この当時は、地元で良質な小豆が栽培され、近くの海岸では良質な海草から寒天(かんてん)をつくっていたことから、羊羹づくりが始まったようです。寒天は江戸時代には、奥州市水沢区羽田町・黒石町などで盛んにつくられていたそうです。
製造元の回進堂という和菓子屋は、江戸時代から続く伝統の「岩谷堂羊羹」づくりの技術を基に、約300年続く老舗です。現在は地元では別の和菓子店も伝統の「岩谷堂羊羹」という名称の羊羹を販売しています。このため、「岩谷堂羊羹」という名称は、岩谷堂の伝統の羊羹という意味でした。
回進堂では現在、寒天は「岐阜県恵那地方で、昔ながらの工法で製造された極上物のみを使用しております」と説明されていました。
また、砂糖は「沖縄県産の品質の良いものを、くどさは感じさせず、当社の羊羹に合う使い方を開発し使用しております」とのことです。時代に応じた進化をしているようです。
岩谷堂という地名は、良質な家具のブランドにもなっているそうです。「岩谷堂」という地名を、ブランド化して、地元の名称にしていることを知りました。
考えてみれば、埼玉県草加市の“草加せんべい”も江戸時代に日光街道の宿場町として栄え、当時の米所(こめどころ)を活かして名物に仕上げたものです。
それぞれの和菓子には、由来があることを知りました。特に、鎖国で約300年間続いた江戸時代には、それぞれ各地で名物が産まれたようです。
和菓子店の回進堂のWebサイトによると「300年の伝統を持ち、昔ながらの製法で作られる岩谷堂羊羹」と表記されています。さらに、「コシが強く深い味わいで、全国菓子博覧会銘菓菓子部門の内閣総理大臣賞をはじめ、多くの賞に輝いてきた銘菓」と伝えています。
今回は岩手県の海岸沿いに、2011年3月11日に起こった東日本大震災・津波の被災地にお見舞いに行った方が、その岩手県の方からいただいた「岩谷堂羊羹」の“特小型の一口サイズ”の羊羹(ようかん)のお裾分けをいただいたものです。
いただいたのは「ひとくち 純栗」です。
調べてみると、回進堂の「岩谷堂羊羹」は「小倉」など10種類の羊羹をつくっています。伝統の“本竹皮包み羊羹”が一番のお奨め品のようです。
実は、興味を持ったのは「岩谷堂」という名称でした。最初はお店の屋号だと思ったのですが、調べてみると、現在は奥州市江刺区の岩谷堂という地名でした。以前は岩手県の海岸と内陸を結ぶ、北上川舟運の重要な宿場町として栄えていた場所の地名でした。
江戸時代には、伊達藩(仙台藩)最北の城下町として栄えた交通の要所だったそうです(伊達藩と南部藩の境の地です)。伊達藩の岩谷堂城主が唯一の甘味として保護・奨励を受けたことがきっかけとなり、「岩谷堂羊羹」が作られるようになったと記述されています。
この当時は、地元で良質な小豆が栽培され、近くの海岸では良質な海草から寒天(かんてん)をつくっていたことから、羊羹づくりが始まったようです。寒天は江戸時代には、奥州市水沢区羽田町・黒石町などで盛んにつくられていたそうです。
製造元の回進堂という和菓子屋は、江戸時代から続く伝統の「岩谷堂羊羹」づくりの技術を基に、約300年続く老舗です。現在は地元では別の和菓子店も伝統の「岩谷堂羊羹」という名称の羊羹を販売しています。このため、「岩谷堂羊羹」という名称は、岩谷堂の伝統の羊羹という意味でした。
回進堂では現在、寒天は「岐阜県恵那地方で、昔ながらの工法で製造された極上物のみを使用しております」と説明されていました。
また、砂糖は「沖縄県産の品質の良いものを、くどさは感じさせず、当社の羊羹に合う使い方を開発し使用しております」とのことです。時代に応じた進化をしているようです。
岩谷堂という地名は、良質な家具のブランドにもなっているそうです。「岩谷堂」という地名を、ブランド化して、地元の名称にしていることを知りました。
考えてみれば、埼玉県草加市の“草加せんべい”も江戸時代に日光街道の宿場町として栄え、当時の米所(こめどころ)を活かして名物に仕上げたものです。
それぞれの和菓子には、由来があることを知りました。特に、鎖国で約300年間続いた江戸時代には、それぞれ各地で名物が産まれたようです。
伝統を基につくり続ける羊羹は美味しいでしょう。
日本の各地を旅すると、こうした老舗の和菓子店が各地にあります。これを見つけるのが楽しみの一つです。
カステラも有名店のものよりも、地方の小さな和菓子屋さんのものが昔の技を受け継ぎ、美味しいものが多いです。