おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

心が温かくなる本

2010年07月27日 10時44分46秒 | 日記
今、夏目漱石の『我輩は猫である』と浅田次郎の「天国での100マイル」という小説、それと昨日書いた堤克彦の「『公』の思想家 横井小楠」を同時並行して呼んでいる。「我輩は・・・」は長編だが後30ページほどになってきた。この後、「こころ」、「それから」へ移っていくつもりだ。
今朝は『天国・・・』を1時間読んで、パソコンに向かっている。

浅田次郎って見かけと違って(失礼!)、繊細で、文章が優しい。ところどころにちょっと唸らせるような表現が出てくる。使う言葉、文体とか言語学的にどうのこうのではなく、読んでいて心がストーリーに馴染み、和み、いつの間にかホンワカとしている自分に気付く。

『天国までの100マイル』は単純なストーリーで、破産した妻とも二人の子供とも別れた主人公が、思い心臓病の母親を救うために、160キロ=100マイル離れた千葉の病院に連れて行くというもの。
何億というお金を動かしていた会社の社長である主人公が事業に失敗して、全てを失い今はマリという女に拾われ食わしてもらっている。高校の同級生に救われその会社で働いているけれど給料のうち30万を別れた妻に渡さなければならない。給料が一銭も手元に残らない状況なのだが、捨て神あれば拾う神あり。マリが男を献身的に救う。
マリとのセックスの描写もあるけれど、実にサラーっとしていてきれいなのだ。そのマリとの会話が泣かされた。男はマリを愛してはいない。どうしても別れた妻の面影が脳裏を過ぎる。しかし、マリーは徹底的に男を援ける。暗い予感(いずれ来るであろう別れの)を感じながらも・・・

兄妹誰も手助けをしてくれない時、300万の借金を抱えた金融業者のやくざもんがおんぼろ車に母親を乗せて100マイル離れた千葉の病院に移送しているその姿を見て、何も言わずに「ばばあ」の世話を焼き運転席にポイと自分の財布を投げ入れる。

まだ途中なので、ここまでなのだが、朝から布団の中で涙を流しながら読んだ。今日一日はこの余韻に浸って優しく生きようと思う。
なぜここまで、やさしい文章=ストーリーが書けるのだろう?浅田のことはあまり調べてはいないが、人生の浮き沈みもその振り幅が極端に大きいのだろう。どん底を彼は知っている。その闇を知っているからこそ、闇の中にともる小さなろうそくの灯りを描き出すことが出来るのだろう。

映画になったらしい。読み終えたらぜひ観てみたい。

さあそろそろ妻の呼ぶ声がする。「朝ごはんできたわよー」