おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

成人式の祝膳

2011年01月11日 07時27分28秒 | 日記
今日は私の61回目の誕生日。健康で充実した一年でありますようにー

世は成人式。成人式に因んで随分昔書いた文章を掲載する。


成人式の祝膳
                         
 「イ ラン カラプ テ」

 アイヌの人々が初めて出合う人にたいする挨拶の言葉で、「 あなたの心にそっと触れさせてください 」という意味である。現代という社会が喪失していまおうとしている人と人との間の原初の姿がこの短い言葉に集約されている。

 これはもう二十六年も昔の話である-。
私は当時、鹿児島市に住んでいた。大学一年生、初めて親元を離れての一人暮
らしであった。大学に近い安アパ-トを見つけた。佐野アパ-トという名で、
学生向けの古い木造二階建て、全室が三畳一間であった。風呂も、炊事場も
なければ便所さえ共同であった。食事は歩いて五・六分しかかからない大学の
食堂でとり、風呂は銭湯に通った。 「 家運 」というものがあるのだ
ろう。その頃、わが家には繰り返し、繰り返し禍が訪れた。
母が脳溢血で、血を吐いて倒れ、やっと起きれるようになったと思う間もなく、
今度は父が脳血栓の発作を頻発するようになった。

やっと仕事に復帰したのも束の間、配達の途中で交通事故。右足の脛は骨二本
とも複雑骨折で、折れた骨が皮膚を突き破る程の重篤なものであった。父と母
で細々と営んでいた食品製造の仕事もうまくいかなくなる。長姉は短大を中途
で退学を余儀なくされ、足が不自由になった父に代って配達の仕事を手伝うよ
うになった。

家の厳しい状況があるのでとても潤沢な仕送りなど望めない。本当は大学進学
さえ無理な状態であったが、長男であった私にかける両親の期待が厚く、特に
許されての進学であった。もちろん奨学金を二種類受け、足りない分をアルバ
イトで補った。

 やっとの思いで入学した大学が荒廃していた。この年、東京大学では入学試
験が中止され、学園紛争の風波は全国に及んでいた。大学はバリケ-ド封鎖さ
れ、授業は休講。何のために入学したのか、その問を自分の中で反芻しても答
の出ない袋小路で、悩みは深かった。熊本出身の先輩が突然キャンパスから姿
を消し、数週間の後にテルアビブ空港でテロ事件を起こしたのもこの頃であっ
た。大学を一種の熱病が覆っていた。大学に入ったものの、しかとした手触り
のあるものが掴めない焦燥があって、迷いの果てにクラブ入部を決意した。そ
の書道部での活動でかろうじて私は大学につながった。こういう揺れの真只中
で「 成人の日 」を迎えることになった。

 その日、私は親元に帰らず、かといって晴れやかな成人式にも抵抗があって、
一人アパ-トの自室に閉じこもっていた。すると朝の十時ころだったろうか、
ドアをノックする音がした。開けてみると大家の佐野のおばさんが立っている。

「 今日はあなた成人式でしょう、おめでとう。これは気持ばかりの品だけどど
うぞ 」と盆に入れた三・四品の心尽しの手料理がのせられていたのだ。

 まったく思ってもみないことだったので、途惑いながらも「 ありがとうござ
います 」とだけいって、盆を受け取った。煮しめとか薩摩汁とかがならんでい
るその片隅に、一合徳利と盃。祝いのお神酒の焼酎であった。どこか空虚で、寂
寞とした心境の中でいただいた温かい心遣いで、ここちよい酔いが涙を溢れさせ
た。人と人のつながりのありがたさ、思いやりに触れた時の心の熱さは今も薄れ
ることなく、私の心の中にある。

「イ ラン カラプ テ」、 あなたの心にそっと触れさせて下さい。
こんな気持をだいじにして生きていきたいものと思う。