毎年、県内の文藝賞に作品を書いている。
去年は研究論文「天宮祝(てんぎゅうのはふり)と補陀楽(ふだらく)浄土、そして現代」という阿蘇神社と修験道の歴史に補陀落渡海を重ねて書いた。
これは”てんぎゅうのはふり”という言葉のひびきに惹かれ、作品名にしたのだが、実はその歴史奥深くて50枚ではとても書ききれない。課題を残している。
今年はすでにまとめ上げて事務局に送付した。
テーマを先進生殖医療とした。題は「いのちの現在(いま)-優性思想とパーソン論の難題(アポリア)」。
いのちをめぐる今日的な状況は混沌としている。高齢社会、経済政策と福祉問題、医療、中でも生殖医療問題は事態が急展開しているように思える。
新出生前診断が始まった。これまでリスクの大きな羊水検査、絨もう検査とかで胎児に異常がないかどうかを調べていたのだが、妊婦に負担が大きかった。
ところが今度は妊婦の血液を検査するだけで胎児の「異常」が判明するというものー
簡便な方法がつぎ次に開発されていくが、その裏には危険が張り付いている。安易になれば検査を受け易くなる。
そして結果として産むに値するか「生命の価値のない」と判断したらおろしてしまうかー
この判断がどうなされていくのかは想像できる。
パーソン論とはパーソン=人間に値するという条件を「自意識」の有無にあるとするもの。自意識がないならば人間ではない
これは脳死臓器移植とも関わってくる。ドナーが生きているのか死んでいる(人間としての存在が認められない状態にあり、助かる見込みがない)のか判断を行う時、パーソン論がどこかで顔を出す。
この現在の状況を「危うい」と書いた。
パーソンではないと判断されて消されていくいのち。そのいのちは現に生きているいのちでもある。血液検査で判明する障害のひとつにダウン症があるのだが、ダウン症だったらおろしてもいい?それは現在生きている社会的存在であるダウン症の人々の存在を否定することにならないか
これを非情に抹殺していった人間にヒットラーがいる。
現社会の差別の問題にも繋がっていく。
さてさて次にはテーマを何としよう?地元の民間信仰には興味があるのだがー古文書の勉強も新たな出会いがあるのではないかと思って参加した。