おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

紅の洞窟を潜って

2011年12月20日 10時54分45秒 | 日記
白い石灰岩の柱列を潜り抜け、朱色の湿原を抜け、それはいよいよ紅く細い洞穴の中へと向かった。

細く続く穴はいつしか大きな空洞に広がり、灯りがなければ真っ暗闇なのだが、そのライトに照らし出されて波を打った壁面が浮かび上がる。

丸い天蓋のドームを抜けると、また道は細くなっていく。・・・

一方、別の隊は朱黒い小さな穴の扉を押し開いて、洞穴の内部へと探検していった。

壁面はやはり波状の襞になっている。全体に桃色で艶があって滑らか。所々白っぽくなっている細道をさら進んでいく。

暫く行くと小さな突起が現れた。ここは白く浮き立って見える。触るとふにゃふにゃとして柔らかい。

道は螺旋状になってどこまでも続いている。同じような道がずっと果てしなく続いている。

・・・・

昔「ミクロの決死圏」という映画があった。灯りの付いたカメラになって洞穴(胃と腸)を進んでいくイメージで書いたのだがー語彙も文章も稚拙だね

昨日は街の掛かり付けの胃腸科医院に年一度の内視鏡検査に行った。

最近、下痢が続いているし、お腹が痛くなることがあるので、大事に取ってあるポリープが暴れているのかもしれないというくらい予感もあって、決断した。なにせ4人に1人はがんに罹る時代だ。いざ覚悟

前日から下剤を服用し、当日は朝から何とか言う透明の液体2lを1時間半かけて飲まねばならない。

もう何年続いているだろう。慣れたものだ。決して苦痛ではない。

途中、来るべきものが突如として訪れる。実は前夜の下剤の影響だろう午前3時ちょうど急に催した。急いでトイレへ。

間に合ったと思ったけれど、ふと足元に下ろしている下着を見ると、・・・瞬時遅かったのだ

その始末をして、再び床に就いたが今度は5時にまたやって来た。今度は何とか間に合った。

供時代よくオネショをしたものだが、朝それがバレルのが恐いし恥ずかしいし、思い出す。

さて、内視鏡検査。嫌いではない。

何故かと言うと全身麻酔をして調べるのだが、その麻酔注射で眠る時が何ともいえない快感なのだ。点滴で薬剤を入れるのだが、しっかり意識して注射から液が腕の静脈に流れ入るのを見ていた。どの辺で眠くなるのだろう・・・?

血管を伝って肩辺りが痛痒くなるとストンと意識が落ちるーそう思っていたけど、まったく知らないうちに眠りに落ちていて、遠い意識の中で「ウウェッ」と嘔吐しているだけがわかる。腸から診て、ベッドを移り胃を検査すると聞いたが気づいた時には全て終わっていてベッドで寝ていた。

診察結果。

胃も腸も大丈夫と太鼓判胃にはびらん性胃炎、逆流性胃炎があり、腸には3mmのポリープがあるもののこれは心配ない。1,2年後にまた検査しましょうということだった。「今夜だけは酒は飲まないで下さい」と念を押された。

しかし、夕方になると無性に飲みたくなって、いつも通り缶ビール1本と焼酎お湯割り薄めに2杯飲んでしまった。

検査前日は無限の努力をして酒を絶っていたのだ。「OK」のサインが出たのに飲まないで居れるかってんだ




手作り豆腐、その結果はいかに?

2011年12月18日 09時18分59秒 | 日記
今朝は外気温度零下4度。寒い、寒い、寒い

昨日は田舎民宿のHさんから習った豆腐を作った。

前夜から水に浸けて置いた300gの大豆をミキサーにかける。

これを6カップの水を鍋に入れて沸かしたものに注ぎ、煮立てる。

焦げないように木べらでゆっくり掻き混ぜる。

時間をタイマーで正確に測って、これを木綿布で濾す。

布は未使用の神社の手拭を利用した。妻に半分に裁断してもらい、片側を袋に一方は木型にセットして最終的に濾すためのもの。

この絞り汁が豆乳で搾りかすがおから

おからも大好きなのでもちろん捨てないで取って置く。

豆乳をさらに煮立てる。今度は温度を計測しながら75度まで上げていく。

これににがりを大匙2杯半。ゆっくりと混ぜながら注いでいく。暫くすると少しずつ粒粒状に固まり始める。

そして、いよいよ最終段階だ。布巾をかけた木型に注いで蓋をし重石を載せる。

木型は市販で3000円で売っているが、出費を惜しんで自分で作った。但し、ヒノキはなかったので杉で作った。上蓋は取り外せるようにしなければならない。結構いいのができた。

少しだけ、木型に入れないでそのまま竹ざるに入れた。これがざる豆腐だ。



木型に入れて重石を載せて暫く待った末にボールに水を張ってこれに豆腐を入れる。

ーお固まっているぞ

できた豆腐は300gの豆に普通の市販の豆腐1丁。少量のざる豆腐。あとオカラ。

この豆腐は夜、お歳暮で頂いた「ふぐの刺身・鍋セット」と一緒に食べることにした。豪華な晩餐になる。一年一度くらいこんな贅沢も許されよう。

結果、豆腐は若干歯応えがあるというか硬かった。量的にも300gの豆に豆腐が1丁だけ。重りを倍くらいにしたのがいけなかったのか、にがりの量が多すぎたのか?それでも臭みもなくしっかりした豆腐ができたのだから成功といってもいいのではないか

大豆400gで200円。にがり300cc購入して200円。それにお湯の温度を測る寒暖計300円。市販の豆腐は100円程度だから経済的とはいえないし、豆腐屋さんの儲けって厳しいなあ・・・

子供の頃近所にあった豆腐屋さんの「とんこちゃん」は元気にしているかなあ・・・店で竹輪を1本さっと揚げてもらって食べた味は忘れられないよ。

バテレン文化の天草探訪

2011年12月16日 15時10分11秒 | 日記
昨日は朝早く家を出て、天草に向かった。

実に久しぶりなのだが、天草の下島西海岸へ行こうと前夜、妻と相談し、意見が一致したので7時半に家を出た。

同じ県内とはいえ、阿蘇から天草しかも下島は遠い。もしかしたら帰れないかもしれないので、泊まり支度をして出た。

一番の目的は「美味い新鮮な魚が食べたい

今天草はチャンポンで売り出し中。そのチャンポンでもいい

二番目は南蛮文化=キリシタンの文化史跡を訪れたい。

宇土から三角まで海岸線を一直線に下る。この街道が観光の大きな問題。

昔は元気良かった街道筋の店店が次々に店仕舞いし、今や廃墟になっている。その残骸が哀れで、汚いし観光客は折角の綺麗な海の景色に堪能したいのに、この店の残骸が眼に入ると嫌ーな印象を植え付けるだろう。

熊本県の観光課は何をしている

廃墟の撤去にも金が掛かるのだろうが、儲かっている時にはガバガバ懐を豊かにするけど、いざ「落ち目」になったときには1銭だって使わない。悲しい資本主義の哲理。「行政の責任」でといっても余計な予算の支出はできないし・・・

上島の大矢野の物産館で一休み。ここで買った「コノシロの姿寿司」を車中で食べたが、まあまあ美味かった。これは私の家の正月料理。妻の作るコノシロの寿司が俄然美味いのだが・・・

松島で有料道路に入り、一直線に島子まで飛ばす。

もう本渡まで近い。螺旋道路を登っていよいよ下島。ここから県道24号に乗り換えた。国道266号があったのだが、地図上では24号が近い。

この判断が失敗だった。最初は片側1車線の2車線道路。調子良かったけれど、次第に山手に入っていくにしたがって、車線が減少、それもすごく狭くなった。島の山間部を縦断する道路らしい。

苦労して下田温泉に辿りついた。昔は何度か釣りに来た。釣れた覚えはちっともないが、海が綺麗でそうだ一度温泉祭りがあって、川を仕切りブリを泳がせて掴み取り大会に参加。大きなブリを獲得したことはあった。

ここから所謂有名な西海岸を北上。

最初の観光地は「大江の天主堂」。460年前にヨーロッパのキリスト教宣教師がキリシタンを伝えた場所。



教会堂の中は厳粛で、秘めやかで外の明りがステンドグラスによって屈折して差し込んでいる光の幻想は神を予見させる。

それから崎津港に着いた。ここは海べたに崎津天主堂があった。

天主堂の前にはお土産物に一夜干しの魚など売っていた。その積極的な販売精神には驚いたがー





ここでは杉の葉を使った餅菓子を買った。手頃に代金150円。実に中に漉し餡の入った昔の「だご」で素朴な味だった。

ここからさらに奥の牛深まで一直線。

牛深では観光案内に出ていた大きなビルの何とか言う「観光プラザ」に立ち寄り、美味いはずの魚料理を頂いた。

ビルの一階には大きな周回のプールがあり、タイが泳いでいた。妻が手を水面に近付けると餌が与えられていないのかその指に食いついた。驚いて振り落としたがしっかり噛まれていて血が出ていた。

二階のレストランで刺身定食1800円、妻は海鮮丼1300円。定食に付いて来た荒炊き、聞くとカンパチの頭。びっくりするほどでかい

しかし、味が薄く、いまいち

妻の海鮮丼も刺身がどうも新しさに欠いていたようだ。

店の定員ものんびりしていて愛嬌がなく、すぐ引っ込んで内側で話し込む。活気がないし、客への愛想が感じられなかった。牛深もこれじゃあわざわざくまもしないから4時間近く掛かって出かけてくる価値がない。

偏狭な場所にあって、町は相変わらず人がいなかった。

人は都市へ都市へと移動し、ふるさとは「遠きにありて思うもの」になってしまった。

帰りに立ち寄った三角西港の喫茶店。この港で「坂の上の雲」の撮影が行われたのだ。ここから撮った写真が冒頭の一枚。



妻とチャンネル攻防戦

2011年12月14日 14時54分45秒 | 日記
定年退職してからというもの、男としての誇り、威勢が完全に失墜した。残ー念

働いてお金を稼ぐことの重さというものを実感する。

男はやはり死ぬまで働き続けるべきなのか?働き蜂みたいに・・・

これを実感したのが、サッカートヨタカップ。男はこういうスポーツを見ながら一杯やるのが無上の楽しみなのだ

しかし女はまた違う生き物。全然興味を示さない。どんないい男がいるぞ(田中選手のこと)と誘いをかけても乗ってこない。

ついチャンネル争いになる。こうなると俄然無職の無給人は弱い。CMの短い時間だけの観戦と相成るしだい。

生物として男は女に比べるとじつに弱い存在に過ぎぬ。蜂の世界を見てもよく分かる。

女は子供を産む偉大な力を持つ。そして母性は子供に海よりも深い愛情を注ぎ、子供もどんなに年を取っても母親に心を寄せる。

戦争で無念の死を遂げる際にも、「お母さん」といいながら息を引き取るという。

決して「お父さん、さよなら」とはいわないようだ。

寿命を見てみよ。女が4,5歳長生きするのだ。

あーあ、俺もいや私も女に生まれてきたかった。

最近、昔で言う「男女」=ホモセクシャルが増えているような気がするけど、根底に女の存在に対する生物学的な羨望があるのだろう・・・?

アラカンになって男としての力が弱くなってしまったので、残りの人生女で生きようかしら・・・


幻滅、野田内閣!

2011年12月13日 09時30分26秒 | 日記
寒ーい朝だ。周囲が全て霜で真っ白。

畑に下りてみると、霜が5cm。ザックザックと音がする。

こう寒いと何もする気にならない。

作物の状態を見回ってー防寒用のシートを張ったり、籾殻を防寒コート代わりに敷き詰めているので何もないよりはいいのかな・・・

ライ麦の畝2列を今朝麦踏した。麦は初めてだがふさふさと成長している。踏みつけて踏みつける度に麦は強く伸びていく・・・らしい。

さて民主党政権。野田さんが就任したのだが、何だかぱっとしない

髪の分け目を起用に変えているのは戦略?自分の顔、意識しているのかな?それなら帽子被って一度くらい「クルリンパ」をやって欲しいのだが・・・

若い頃から政治家のトップを狙って、「松下政経塾」に入って政治・経済のノウハウだけでなく弁舌も徹底的に鍛えられているのだろう。確かに演説は講談調で巧い。しかし聞いていると質問に対して抽象的なことしか言っておらず、何言っているのかわからない。「煙に巻く」というのも一つの技術ではあろうが、どうも好きになれない。

民主党には鳩山、菅、野田、やっぱり不人気な人ばかりで人材が払底しているのだろう。

国会は閉会したのだが、とうとう公務員給与は削減しなかったし、実際は支給された額が昨年度よりも上回ったというから酷い

そして議員定数も減じなかった。これでは東北の復旧も復興もできやしないし、日本の経済の建て直しも危うい。

国の借金どうするの?

戦後民主主義も結局は戦前と少しも変わっていないのではないか?近代的合理主義志向はとどのつまり日本的家族主義と情念の世界を変革できなかった。

期待できない「お上」の下で明日のことよりも今日どうやって食うのかを案ずる庶民は、寒空に年の瀬を迎えようとしている。