おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

真央ちゃん、KEIKOさんガンバレ!!

2011年12月11日 11時42分56秒 | 日記
スケートのグランプリ出場を前に、真央ちゃんが母親の容態急変の知らせを聞いて、カナダから急遽試合を欠場することを決め帰国したという。

真央ちゃんが国の看板と国民的スター選手への期待という重荷に決して、自分を偽らずに素直にわが愛する人のために思い通りの決断をしたという報告はすごく心を打ったし、彼女の優しさと若いながら決断力の強さに感心した。

去年一年間のスランプからやっと抜け出る兆しが見えた今シーズン、最後のグランプリファイナルには出たかっただろうと思うし、勝ちたかっただろう。

しかし、競技者もひとりの生身の人間だ。ずっと温かく見守ってきてくれた親がいるし、その恩愛は海よりも深い。メダルは次回も狙える。お母さんは独りしかいない。いま病気で倒れている人を見ぬままで後悔するよりはずっと判断だったと思う。

さて、GLOBEのKEIKOさんのくも膜下出血は驚いたし、その必死の病いとの闘いの凄絶さにはこれまた感動

ポップスターの旦那が売れ過ぎて金銭感覚を失い、とんでもない事態に陥った時に必死に支えていた彼女、その時の心労が今回の病気発症に繋がったのではないかと思う。

まだ予断は許されない状況なのだろうが、今朝はツィッターで写真と文章を書いていた。その生命力はすごい。小室は全てを捨ててでも彼女の看病と立ち直りに寄り添わなくてはならないと思う。がんばれ!!font>


閑話休題。

熊本に住んでいて今一番思うこと。内柴の破廉恥行為。

もう情けないったらありゃしない

強ければいいのか?!メダリストだったら誰だっていいのか

某大学がその知名度に騙されて?大学に招聘したというのも何だか底が浅く感じられてならない。

他のメダリストは大丈夫?・・・

白の巨塔ー大学病院の傲岸不遜の顔

2011年12月09日 07時11分53秒 | 日記
寒くなった。今年の天気は温暖、寒冷が交互に到来し、人の体の健康を揺さぶり続けるようだ。

自然の力に負けないように自分で工夫して健康を保持しなければならぬ。

昨日は2月ぶりの目の定期検診で大学病院へ。

街へ下るのは久しぶり。

小雨が降っていて、車が渋滞していつもより随分遅く着いた。

しかし、眼科では待ち時間少なく、すぐ検査と診察が行われた。

眼圧、右14、左12。まあまあというところかー

視力は左が若干見えにくかったのだが、乱視の所為だろうと検査技師は応えた。

主治医によって開いた瞳孔を顕微鏡みたいな道具で覗いて調べる。

「下を向いて、左下、左、左上、真上・・・」詳しく調べ、「異常なし!」の結果。

今度は3ヶ月後。

皮膚科にも予約を入れていた。眼科が8時半、皮膚科は11時。

しかし、眼科が早く終わったので、病院についてすぐ受付を済ませていたんで、9時半には皮膚科へ行って予約表を提出。「今日は早く終わるぞ」と待合室で待ち始めた。

しかし、昨日は患者が多かった。待てど暮らせど呼ばれない。

昨日は読みかけの本3冊持っていっていたので、ずーっと本を読んでいた。

2時間経過した時点で、堪忍袋の緒が切れた。「まだですか?2時間待っています。私よりも後で来た人が次々に診察室に呼ばれていますけど・・・」

「しばらくお待ち下さい。調べてみます」

「担当の先生はそちらは患者さんの順番5番目です」

「もう一つ病院に行かねばならないので、先生は誰でもいいので空いている先生に診てもらえませんか?」

・・・
暫くして受付の女性の答え。「キャンセルされるか、このまま待つかしかないです」

ここで切れた。「キャンセルって簡単にいうけどこれまで待った2時間どうするのですか?馬鹿なことを言わないで

怒って言ったのでまた彼女困り果て奥に消えた。一時待っていると、「別の先生が診るそうですので、どうぞ」という。

診察室の中でも、ちぐはぐな対応だった。

私は主訴は顔の頬の黒いいぼ状の小さな突起物。悪性腫瘍の心配できている。

「以前こちらで肩と腰にあった同様の症状を診て貰っています。その時に顔のこれも診て貰っているのではないでしょうか?」

「それはいつ?」

「詳しくは覚えていませんが・・・」

医者は手元にカルテを持っている。それを見ようともしないで(病歴の確認ーカルテって医者が先ずやるべきことではないのか?)、黒いいぼ状の突起をじっと診て、「これはおそらく老人性の・・・でしょう。確定診断するためには細胞を取って検査するしかないのですが、顔だしお勧めしませんが・・・」

これでこの医師に対する信頼が失われた。「わかりました」と部屋を出る。まさに「2時間待ちの3分診療」だ。

あーあ皮膚科に来るんじゃなかった・・・

弟が入院していた神戸大学付属病院では回診に立ち会ったが、その際の医師の説明態度は丁寧で紳士的だった。同じ大学病院といってもこことは全然違う

不愉快な感情を抱いて、大学病院を後にした。皮膚科にはもう来ないぞ、ちきしょう

この後妻の乳がん検査に付き合い、さらに19日予定の胃腸の同時内視鏡検査の病院へ向かった。今日は「病院デーだ」

検査の説明を聞いて、(毎年やっているのであんたが来る前から病院掛かっているので掌握しているよ!)下剤を貰って帰った。心がささくれ立ってしまっている。

熊本では地域医療が荒廃していると最近新聞で書かれていた。

どんなに優遇措置をとっても、医者は田舎には行こうとしないのだそうだ。

少し頭が良くて幼児から塾に通わされて英才教育を受けてきた医学部の学生達に、地域医療を目指そうとする純粋な志なんて希薄なのだろう。

街で外車乗って看護婦をとっかえひっかえで、患者の顔が札束に見えるような医者にいのちを任せることなんてできないと思うのだが、「赤ひげ先生」はもうこの世にいないのだから、それでも我慢して患者は平身低頭、神様仏様、お医者様と拝んで受信するしかないんだろう・・・

間違っているぞ医療行政、医学教育



「坂の上の雲」と「南極大陸」

2011年12月06日 07時08分21秒 | 日記
12月というのに穏やかな天気が続いている。昼間は冬とは思えない「小春日和」、今朝もそんなに冷え込んでいないようだ。

しかし、季節は確かに巡った。畑に下りてみるとすぐ分かる。

後で植えた白菜、ニンジン、ふと葱も成長はじつに緩やか。

透明ビニールシートを買ってきたので、できるかぎり植えた苗を寒さから保護するためにしっかりと被った。

これから寒さも本格的になってくる。

がんばれ、作物達。



閑話休題。

TVの話。「坂の上の雲」はおもしろい。秋山好古、真之兄弟を描いたものだが、日本の近代黎明期を司馬遼太郎史観で丁寧にそして思い切った切り口で描いている。これだけは原作で読んでいないのだがー。

一時、司馬の本にはずっぽり嵌まりこんだ。

先週は日露戦争を描いたものだった。乃木希典や児玉源太郎、東郷平八郎など明治の偉大な軍人が勢ぞろいした。

そして役者が錚々たるメンバーで、流石にいい芝居していると感じた。

戦闘場面では「すごいお金使ったなー」と唸った。所謂「CG]というものを駆使しているのだろうが、そうは見えないところが現在の技術の進歩したところ。

日露での動因兵力108万人、そして戦死者2.5万人、戦病死者1.1万人。

この多大な戦争犠牲が日本近代の本当の夜明けを迎えさせる要因になった。

戦後66年、日本人の殆どが戦後生まれになりつつある現在、経済成長だけをすなわち富とスピード=便利さだけを追い求め、浮かれているだけではなく、近代の礎になったこの「近代の戦争」というものについて熟考するべきだ。

今、田原総一郎の「日本の戦争」という厚い本を読んでいる。これは日本近代史を書いた力作だ。まだ半分だが・・・



「南極大陸」は人間ドラマでもあるのだろうが、何て言ったって犬の存在感が人間を圧倒している。

南極に置き去りにされた犬が苦労して鎖を解き放ち、自分の主人を探し回るうちにクレバスに落ちて死んでいく悲しい凄惨な場面、あれどんなして撮ったのだろう・・・あれもCG???

谷川俊太郎の長ーい詩

2011年12月05日 07時28分35秒 | 日記
お向かいのHさんのお孫さんで4歳になるUちゃんという可愛い子供がいる。

先日おゆうぎ会という保育所の発表会があったので、見に行った。ママは子供から感染したお多福かぜで行けず家で休んでいる。

本人も「Uちゃんのごびょうきがママにうつったの・・・」とちゃーんと自覚しているようだ。

この感染症で何人かの子供が休んでいたり、パパが感染して40度近い熱を出しているらしいとか話を聞いた。

運動会にもお邪魔した。今回はいわば文化祭だ。Uちゃんはしっかりしているのでお遊戯も上手だろう。

美味しいパンを買って行き、私は谷川俊太郎の「みみをすます」というながーい詩を一部だけ抜粋して墨字で色紙に書いてプレゼントした。

詩は大江健三郎と谷川俊太郎と河合隼雄との対談集「日本語と日本人の心」(岩波書店)という本の孫引きだ。

勝手に抜粋した詩。

みみをすます

きのうのあまだれに

みみをすます

このはのかさこそ

きえかかる

ひのくすぶり

くらやみのおくの

みみなり

おかあさんの 

こもりうたに

おとうさんの

しんぞうのおとに

みみをすます



耳を澄ますと家の中ではどこかに電気の音がする。冷蔵庫の冷える音、暖房の音、自動で回している洗濯機のうなり、外では車の走る音がする。みんなキンダイのもたらした便利な「音」。

しかし、この便利な利器のお陰で人間は大切なものを失ってしまった。それは繊細で、ほんとは聞こえているはずの小さな音の群れたち。虫の小さな囁きに、耳を澄ますということを知らず切り捨ててきた。それが文明開化だったのだ。

昨日はそのUちゃんがわが家に遊びに来た。妻が中心に枯葉を拾って、画用紙に貼り付けたりして一日遊んでいたのだが、久しぶりに楽しかった。

こどもは可愛い。邪気がなく、暗くなって帰る際には寂びしそうな顔をして帰っていった。

またね、Uちゃん

賀詞をどうしよう・・・

2011年12月03日 07時17分07秒 | 日記
今年も年賀状の季節になった。

毎年を毛筆で書いているのだが、今年は3・11があったので賀詞に変化が生じているという。

東北の震災で2万人の死亡・行方不明者が出ている事実の前に「(明けまして)おめでとう」が相応しいかどうか確かに熟考の要あり。

TVでも特集していたが、今年は通常の賀詞を使わない年賀状の文例が出ているようだ。

例えば真ん中に大きく「元気」と書いたり、「ともにがんばろう」という標語を使ったり・・・

私の場合は、自筆の墨字なので大きく短く、ちょっと捻って・・・

昨日ネットで調べていたら漢詩でどんな田舎にも平等に春はやって来ると意味のことばがあった。

妻はいい顔しなかったので、もっと調べてみようと思っている。はがきの下にはできれば水彩で絵を描きたいと思うのだが、五岳にしようか、村の神社の境内にある珍しい銀杏の縁取りのある葉っぱにしようか考案中。

昨夜、NHKで3人の俳優が地方の路線バスに乗って旅をするという番組を放送していた。これは面白かった。

実はこの中で平某(幹二郎の息子)が熊本の阿蘇にやってきて阿蘇谷から南郷谷、さらに高森の奥地草部(くさかべ)まで旅をしたのを以前見たことがある。

昨日はそのフィルムは使われなかったのだが、平は私が「こんにゃく」や「豆腐」を習いに行った民宿「さくらそう」にも寄っているのだ。そのご夫婦は実に素朴なお人柄で、手作りコンニャクの後数日経って、教えてくださった「さくらそう」の奥さんから自筆の丁寧なお葉書を頂いた。

こういう所業(自筆で気持ちを籠めた文章を綴って思いを伝える)って、今忘れてしまっているのではないだろうか。

薪の風呂、かまど、食材を畑で作りそれを使って客を料理をするという(ここは自炊が原則、平も自分で料理をした)。それよりも素直で丁寧な気持ちの表現、所作を学ぶべきなのだと思った。

賀詞もそんな素直な気持ち、今年も清貧で平凡でも穏やかに暮らして生きたい。田舎に引っ込んでいるけれども心豊かに生きていますよと知らせたい。