おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

やはり司馬遼太郎だ

2015年02月19日 09時59分31秒 | 読書


久しぶりに司馬遼太郎の本を読んだ。

『日本とは何かということ』と題して山折哲雄と対談したり、米山俊直、松原正毅の寄稿が載っている。

一時期司馬に溺れていた時期があった。歴史小説以外で『明治という国家』は何度も読んだし、まだ何度も読み返したいと思っている。

山折哲雄は宗教学者でこの人の本もよく読んでいる。対談は司馬と宗教の観点で日本という社会を捉え直そうとしている。

時期がオウムや阪神淡路大震災の後ということもあって、神仏の存在、救いとは・・・こういう原理的な問題に触れている。

日本人の原風景にあるそこかしこに神がいて、あらゆるものに神が存在するという汎神論の世界と一方で無常観。世界は決して一所に止まっては居ない。常に変化し流動している。今栄誉栄華に有る人も明日は公園にねぐらを探すことになるかもしれない。

ある種諦念の思想ともいえる社会の中で夏目漱石の俳句を記す。

菫程な小さき人に生まれたし

司馬の歴史小説の系譜と山本周五郎の比較。これも面白い視点だった。

これからまた新しい小説を読み始める

吉村昭『冬の鷹』読了

2015年02月17日 07時22分56秒 | 読書


流石吉村昭の筆による歴史小説だった。主人公は杉田玄白ではなく!前野良沢

小説の基調としてターヘルアナトミアを翻訳書『解体新書』の完成への道程。

18世紀後半に差しかかろうとする頃、まだ幕府の鎖国政策は厳しくキリシタンも異人との通交もほぼ閉ざされていた。

しかし唯一の世界への窓口長崎にはオランダ・中国に限定された交際が存在していた。

そのヨーロッパオランダの使節が来日すると江戸幕府への挨拶のために長崎からはるばると江戸へ東上した。当時このオランダの文化に興味を持ち、もたらす文物に関心を示す人たちがいた。

それは漢方医学に限界を感じていた医者の存在。もたらされる医学書に熱い眼差しを向け、苦労して接触の手ずるを掴み1冊のオランダ本を手に入れる。

これがドイツ人クルムスが書き、オランダ人ラルデュス・デュクテンが蘭語に訳した本「ターヘルアナトミア」であった。

この翻訳のために集った医者が前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周。

この翻訳作業の中心になったのが前野良沢。他は蘭語に対しては殆ど知識を有していなかった。日本語に翻訳したいという熱い気持ちだけで四人は結束し、作業を続けていく。



刑死体の解剖を実見してこの本の解剖図と照らし合わせ中国の「五臓六腑」の間違いを確認した彼らは益々翻訳への情熱を燃やす。

そいて完成。

問題はこの後。訳本は杉田玄白を柱に中川順庵らを脇に置き、訳者の名前に前野良沢はなかったのだ。

良沢は自分の名前を出してくれるなと頑強に断りをいれていた、何故か?

いやしくも真理を推し活法を抽かずして猥に聞達の餌と為す所あらば神明之を倒せ

吉村は中心人物に前野と杉田を置き、その対比をメーンに人間の行き方、学問の姿勢を問うたのだ。

「解体新書」はたいへんな評判になり杉田らは栄光の道を駆け上っていく。

一方、前野は誰知るともなく孤独の翻訳作業を続け、完成した訳書も出版することなく生活に窮しまさに落魄れていく。

間違いなく吉村は前野良沢の学問への厳しさを己に課し、孤高の道を選択した姿に憧憬を持っている。

ふとある想念が脳裏を過ぎる。

そういえば最先端生命科学の分野で世を騒がせた女子がいたなー割ぽう着を着て、研究室にカメラを入れ意気揚々と自分の大発見を誇示していた研究者の存在

その快挙とされた「スタップ細胞」とは結局ウソだったという。記者会見で「スタップ細胞はあります」と名言した彼女、その後存在が否定されたのだ。

これは学問の世界だけではない普遍的な問題だと思う。

セルフコントロールの難しさ

2015年02月16日 07時34分52秒 | 医療


十二指腸潰瘍の診断を受けて、服薬と食事療法による治療を始めた。

今年に入って1・11誕生日を迎かえ65歳になったと思ったら、間もなく救急車で病院へ運ばれ入院

耳の中の病気で「前庭部神経炎」という診断。目眩と吐き気、目眩があるのでふらついて歩くのさえ困難という状況で入院。

その治療で5日間入院後、退院してリハビリと服薬。

この状態が続いている中で、胃の調子が段々悪くなった。原因はストレスが一つ。そして歳末から年始にかけての暴飲暴食で毎年の恒例となっている胃腸病。

特に胃の辺りが痛む様になっていた。食後にはいつも飲んでいる胃薬と鎮痛剤1錠を飲んで凌いでいたのだが、今回の検査で十二指腸が発見された。

気のせいかもしれないが65歳の高齢といわれるゾーンに入ってから急に体力が落ちたように感じ、体調が悪い日が続いた。

これを自覚して、無理をせず、食生活において自覚的にコントロールする覚悟を決めた。

まずは暴飲暴食を止めること

今は十二指腸を治すために量を減らし、肉を避け、魚か野菜は海洋の改善に効あるとされるビタミンUをふくむキャベツやブロッコリーなどを食べるようにしている。酒もビールを飲まない。焼酎も止めている。

昨日は10年物の梅焼酎をお湯で薄く割り1杯だけ飲んだ。

目眩の方は大分改善されてきたのだが快方に向かっているといっても行きつ戻りつー昨日はフラツキが酷かった

重層的に体を悪くしているのでクスリが大変心臓関係、胃薬、耳の治療薬・・・このクスリによる副作用=リスクも心配だが今は仕方ない。

今度は3・5に心臓の精密検査を受ける。年金受給年齢に達したから安心していたけれど医療費支出も馬鹿にならない

健康のためのウォーキングも時間を短縮。今は30分程度、妻と一緒に歩いている。体重は幾分落ちたけれど、体力特に上半身の筋肉も落ちている。

療養中心の生活、慰めは読書だ。

今日1冊読了できそうなので明日読後感想を書こうと思っている。

「夜間動物救急 ~命の最前線~」参った!!

2015年02月15日 10時01分01秒 | 医療


素晴らしい取り組みをしている獣医師がいる。

昨日テレビで見たのだが、東京都杉並区に塩田 動物病院というところがあって、医院長を務めている塩田眞さんという方が素晴らしい活動をされていることを知った。

飼い犬・猫、野良犬・猫区別なく緊急な事態に救急車で出動、精一杯の応急の手当てを施す。人間対象だったら救急のサイレン?を鳴らして特別扱いで道路を突き進むことができるのだが、動物病院の救急車はサイレンを鳴らすことができないのだろう。静に走っていた。

この塩田先生の人間性は素晴らしかった。総て物いきものには命があってそれは人間も動物も同じ。命の尊厳をしっかり胸に秘めて最大限の治療をやる。

野良犬だって差別をしない。野良だから恐らく治療費は望めないだろう。それでも同じ命、治療に差別はない。

こういう人が人間界の医療の世界に存在するだろうか?

離れ小島、山深い人里は無医地区が殆ど。若い医師も先輩医師も寄りつこうとしない。先日どこかの村で役場の方が一所懸命になって医師を探す姿をとったドキュメンタリーがあった。年収2000万円、住む場所も用意して絶好の労働条件を提示しても誰も振り向きもしなかった。

一方、小さな島の診療所を守る還暦の看護師がNHKで紹介され、退職する時に島民全員が体育館に集合して彼女に感謝の意を伝えるドキュメントもあった。彼女は看護師だから医療活動といっての制限がある。しかし、夜間であろうが彼女は頼られている島民の家に呼ばれたら駆け付ける。 

そして請われたら一人暮らしのおばあちゃんの添い寝までした。ここにも医師は来ない

いろんな事情があるだろう。辺鄙なところに行ってしまえば刺激がないし、研修を深めることができないので医師としての技術が伸びない。表立った理由は幾ら。もあるであろう。

本音は都市部から離れたくない。子供の教育、環境、遊ぶ場所がない・・・。

この時代赤ひげ先生を望むのは無理なのか?

また新たな病気発見

2015年02月14日 09時25分18秒 | 医療


昨日1年に一度行なっている胃と大腸の内視鏡検査を行なった。

朝の5時半から下剤を飲み始め、何度もトイレに行ってそれが透明になるまでが指標。

8時に家を出て市内の病院へ。

大分待たされたが10時半頃にいよいよ検査。事前に血液検査用の採血と点滴を打つ。

ズボンを脱いで専用の御尻が開いている使い捨ての専用衣を着る。

小さな楽しみは麻酔(全身)を入れる時にどの瞬間まで意識が存在することができるか見極めること。

麻酔注射を打って暫くすると痛みが拡がってくる。さあ!!来るぞ。先鋭に意識を研ぎ澄ませているがそれは突然にやって来る

気付いた時は恐らく腸の内視鏡を終えて麻酔が切れ掛かったのだろう。看護師が麻酔をもう一度打ちますからねーこの言葉は薄い意識の中で聞いたような気がする。

そしていつもなら麻酔下でも「ゲーゲー」言っている自分を認識しているのだが、今回は追加の麻酔で気付いたら別のベッドで眠っていて目が覚めた時だった。

眠っている時間は1時間ほど。

医師の説明には妻も立ち会う。

大腸の「お宝」ポリープは2~3mmで大きくなっていないし安定している。これは大丈夫。

しかしー

ドキッ

「十二指腸潰瘍ができていますよ!!」

モニターで見せられた「やつ」の姿は醜いが立派なものだった。ずーっと胃の調子が悪かった・・・もしかして胃がん???

かなり不安に怯えながらの受診だった。

クスリを処方され、2種の専門薬を貰い帰宅。

昨夜は流石に酒を控え、ノンアルコールビール1本のみ。

今回はきちんと治そうと覚悟を決めている。

65になったばかりで、耳の病気で救急車・入院、今度は十二指腸潰瘍。3月5日には心臓の年一度の精密検査。これも少し心配ではある。

健康が一番、晩期に差し掛かった人生において何よりの重要課題だ。