とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

一人称小説としての『こころ』(『こころ』シリーズ⑪)

2018-11-28 14:17:31 | 『こころ』
 夏目漱石の『こころ』を授業で扱いながら考えていることを書き続けているシリーズである。最近、一番考えるのはこの小説が一人称小説であることである。登場人物のひとりの視点による小説となっている。ただし、この小説は語り手が途中で交代している。「上」と「中」は東京帝大を卒業したばかりに青年であり、「下」は「上」と「中」においては「先生」と呼ばれていた男である。しかも「下」はその「先生」の遺書であり、「語り」というより文章である。書かれている内容は、時間的には「上」や「中」よりも昔である。一筋縄ではいかない小説である。

 さて、直感的に感じているのは「一人称小説」であることが、この小説においては重要であったのではないかということである。一人称小説では語り手の心理は描くことはできる。しかし、それ以外の人物の心理は推測するしかない。推測というよりも勝手な妄想に陥ってしまうことのほうが多い。しかも、次第に語り手の心理でさえ本当にそれが真実なのかがわからなくなってくる。

 心理描写というのは、後から考えたつじつま合わせにしかすぎない。この小説でも本当に「私」がそう考えていたのか、後から自分と折り合いをつけるためにつじつま合わせを心理たのかがわからないことが多い。つまり「こころ」はどんどん迷宮に陥るのである。

 なぜこの小説のタイトルが『こころ』なのか。その仕掛けが「一人称小説」だったのではないかと考えている。
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