夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は五章。(前回六章を先にだしてしまいました。順番前後してすみません。)
三四郎は大久保の野々宮の家に行く。いるのはよし子だけ。よし子は水彩画を描いているが、どうもうまくいかない。三四郎はよし子から野々宮と美禰子の情報収集をする。よし子は「兄は日本中で一番好い人に違いない」と思っている。
下宿に戻ると葉書が来ている。美奈子からの菊人形見物の誘いである。その字が、二章で野々宮がポケットに入れていた封筒の上書きに似ている。やはり野々宮と美禰子の関係は怪しいと感じる。
大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。
会場に行く途中で乞食と迷子に会う。一行は関わり合いを避ける。このあたりの仕掛けが意味深である。現実世界とのかかわりをさける都会人を表しているようにも感じられる。三四郎はまだ都会人とは言えないが、都会の雰囲気になじんでいないのでやはり関わり合いを避けるのだろう。
一行は菊人形の小屋に入る。美禰子は野々宮のほうを見るが野々宮は美禰子を見ない。美禰子はふてくされたのか、どんどん先に進む。三四郎は美禰子を追う。美禰子は三四郎を誘って小屋を出る。二人は小川沿いに歩く。橋を何度かわたって歩くのだが、とうとう疲れて草の上に腰を下ろす。ふたりは空を見上げる。
そこへ男が現れる。三四郎と美禰子を睨み付ける。この場面が印象的である。この男はどういう意味があるのだろうか。これもまた意味深である。
美禰子は自分たちは迷子だと言う。この言葉がやはり意味深であり、『三四郎』の最大のキーワードと言ってもよかろう。この迷子を英語に翻訳すると「ストレイシープ」だと説明する。そして美禰子は「私そんなに生意気に見えますか」と言う。このセリフもまた意味深である。そして三四郎は「この言葉で霧が晴れた」とあるのだ。なんの霧が晴れたのか。「明瞭な女が出て来た」とあるので、野々宮と美禰子の関係が恋愛関係だと悟ったということなのであろう。
しかし、この章の最後で、二人の肉体は最接近する。水たまりをさけるために手を貸す三四郎が手を引っ込めた瞬間に美禰子が水を飛び越えようとしたのである。「美禰子の両手が三四郎の両上の上へ落ち」、美禰子が「ストレイシープ」と口の中で云ったときの呼吸を、三四郎は感じるのである。
三四郎は美禰子に恋をしてしまった。しかし明らかに美禰子と野々宮は恋愛関係にあった。だから三四郎はあきらめなければいけない。しかし野々宮と美禰子の関係も崩れかけているようにも見える。不安定な状態の中にいる美禰子と三四郎が描かれている章である。