ASD(自閉症スペクトラム症)の少年を描く映画『ぼくとパパ、約束の終末』を見ました。見ていてつらくなる映画ですが、そのつらさの先にやるべきことがあるのだと気づかされる映画でした。
ASD(自閉症スペクトラム症)は、かつてはアスペルガーと呼ばれていた障害です。人との付き合いが苦手で、トラブルばかりおこしてしまいます。ASDの中には頭脳が人一倍すぐれている人も多く、有名な科学者にはASDの人が多いとも聞いています。そんな少年ジェイソンを描いた映画です。
ジェイソンは、生活に独自のルーティンとルールがあり、それが守られないとパニックを起こしてしまいます。つぎつぎおきるトラブルに母親もノイローゼ気味です。ジェイソンも、母親もつらそうで見ていられません。そんなジェイソンが、ある日サッカーチームのファンになろうと決意し、すべてのチームを見てからどこのチームのファンになるか決めると決意します。父親は仕事を工面してそれに付き合うことになります。しかしやはりトラブル続き。父親も最後に切れてしまい、ジェイソンとはぐれてしまいます。
父親は反省し、ジェイソンになんとか許してもらおうとしますが、ジェイソンは許しません。その時、父親はあることに気付くのです。その気付きにジェイソンは成長のきっかけをえることになります。
私自身、ASDの傾向がないわけではありません。ASDの傾向なんて多くの人にあるのです。トラブルを抱え、それが生きづらさを生んでしまうのです。だからジェイソンのつらさは自分のつらさであり、ジェイソンの家族のつらさも自分のつらさです。この映画はそういう意味で見ていてつらくなってきます。しかしそのつらさを共有できるようになったとき、社会は変わります。それを信じさせる映画です。