村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル 第1部泥棒かささぎ編』を読みました。心に引っかかったところを書いておきます。その3回目。
第1部の最後は「間宮中尉の長い話」です。間宮中尉というのは「本田さん」とノモンハン事件のあった満州とモンゴルの国境付近で、とある作戦に参加させられ危険な目にあいながら、「本田さん」とともに奇跡的に生還した人物です。「本田さん」は「僕」とクミコの結婚を後押しした人で、予知能力がある人です。
間宮中尉は「本田さん」からの遺書を受けとり、「僕」のもとへ形見分けに訪れます。そこで戦争時代の思い出を語ります。
ナラトロジーの視点で言えば、この語りは、「僕」の一人称語りに入れ子型で取り入れられた一人称語りになります。
間宮中尉の語りはこの小説で異質です。戦時中の体験談であり、非常に重く厳しい内容です。人間の皮を剥ぐシーンなどは、読んでいて気持ち悪くなります。
この中でやはり注目してしまうのは井戸のシーンです。井戸が伏線としてあったからです。井戸が何を表しているのか。読者は井戸がこの小説の解くカギとなっているような気にさせられます。間宮中尉はロシアの将校に見つかり、カラ井戸に放り込まれます。間宮中尉は死を見つめながら井戸の底にいます。結局「本田さん」が間宮中尉を助けて帰国することになります。この井戸のシーンは何か大きな意味を求めざるを得ません。
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