夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は四章。
三四郎は大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。
与次郎と道でばったり出会う。与次郎はもう一人の男と一緒である。この男は三四郎が汽車で水蜜桃をもらった男である。やはりこの男が広田だった。広田は高等学校の先生である。与次郎は広田のファンであり、大学教授にしてよろうと思っている。広田は貸家を探していたのだった。
広田は三四郎に「不二山を翻訳してみた事がありますか」と意外な質問をする。ここは意味深な場面である。まずその直前で広田は「富士山」と言っている。それが「不二山」と変わっているのだ。音声では両者は同じだ。と言うことはこの漢字の違いは語り手が顔を出した結果ということになる。翻訳ということばも意味がありそうだ。これは富士山と言う事物を言葉に替える作業である。後で出て来る画と詩の問題と通じる。そしてこれは写生文の問題でもある。ここは深く考えてみる必要がある。
母親から手紙が来る。御光の母親から、三四郎が卒業したら御光を貰ってくれと相談されたとある。母親はその気でいるようだ。三四郎の気持ちは書かれていない。ここも語り手の作為が感じられる。
三四郎に三つの世界ができる。一つは熊本にある過去の世界。二つめは学問の世界。三つめは東京の華やかな世界であり、恋の世界である。三四郎はこの三つ目の世界に心が躍る。青春である。
広田の引っ越しが決まる。三四郎は引越しの手伝いを頼まれる。当日その家に行くと、美禰子がやってくる。美禰子も手伝いを頼まれたのだ。美禰子は三四郎に名刺を渡す。当時はそういう風習があったのだろうか、興味深い。さらにここで注目しておきたいのは、美禰子も三四郎と病院で逢った事、そして池の端で逢ったことを覚えていたのだ。美禰子が野々宮と特別な仲であったのは明らかである。しかし三四郎に対しても、何らかの意識があったのは間違いない。問題はその「何らかの意識」の程度である。ふたりは掃除を一緒に行い、仲良くなる。美禰子は空を見上げ、白い雲に強く関心を示す。ここも意味ありげである。
広田の荷物の中に画帳があり、そこにマーメイドの画がある。意味深だ。広田が来る。三四郎が図書館でどんな本でも誰かがすでに読んでいると感心した本を広田が読んでいたことも明かされる。英語の翻訳の話題も出る。野々宮がやってくる。野々宮はせっかく大久保に引っ越したばかりであったが、妹のよし子が大久保が大久保が寂しいところでいやだというので、妹のよし子を下宿させたいと言う。美禰子の内で置いてもらえないかと言う。
この章は「小ネタ」がたくさん出て来る。様々な謎がすべて意味ありげである。しかし意味ありげな謎にすべて答えを見つけようとするそれは漱石の大嫌いな探偵になってしまう。意味はないわけではない。しかしつじつま合わせをする必要はない。俳句のように気分の付け合わせが読む作業なのではないだろうか。
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