日本の社会は得体の知れない力に動かされている、私はその正体が何なのかをずっと考えていた。そしたら今年になってあっさりと解決してしまった。「忖度」である。相手の心に沿った対応をするというとても日本的な言葉であろう。この「忖度」は今回、森友問題で使われてしまって、悪いイメージがこびりついてしまった。しかし本来はそんなに悪い言葉ではなかろう。
「忖度」は「思いやり」という言葉に近い。それぞれの人が相手のために良かれと思ってやることが「忖度」なのだから、本来はいい意味なのであろう。しかし、近年になって仕事上での対応に限定されるようになってきたということらしい。仕事上の利益がからむようなことについてだけ「忖度」という言葉が使われるようになったのである。
こうなってしまうと、悪いことが行われていても、その実が見えない。つまりだれが悪いのかわからないのである。それぞれの人が自分なりによかれと思ってやっていたことが、実は大きな悪につながってしまう。そんな事態を引き起こしているのである。
これは日本だけのことなのであろうか。そんな気もするし、実は世界中どこでも同じような気もする。固定した社会は「忖度」だらけになる。それが生きる知恵だからしょうがないのではないだろうか。
しかし、しょうがないとは言ってられない。得体の知れない力の正体が分かったのだから対応の仕方はある。ここまで来て「忖度」するというのは愚か者の行いである。
「忖度」は「思いやり」という言葉に近い。それぞれの人が相手のために良かれと思ってやることが「忖度」なのだから、本来はいい意味なのであろう。しかし、近年になって仕事上での対応に限定されるようになってきたということらしい。仕事上の利益がからむようなことについてだけ「忖度」という言葉が使われるようになったのである。
こうなってしまうと、悪いことが行われていても、その実が見えない。つまりだれが悪いのかわからないのである。それぞれの人が自分なりによかれと思ってやっていたことが、実は大きな悪につながってしまう。そんな事態を引き起こしているのである。
これは日本だけのことなのであろうか。そんな気もするし、実は世界中どこでも同じような気もする。固定した社会は「忖度」だらけになる。それが生きる知恵だからしょうがないのではないだろうか。
しかし、しょうがないとは言ってられない。得体の知れない力の正体が分かったのだから対応の仕方はある。ここまで来て「忖度」するというのは愚か者の行いである。
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