とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

『三四郎』読書メモ⑥

2024-10-15 08:13:29 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は六章。

三四郎は恋の病にかかっている。講義にも集中できずノートに「ストレイシープ」を書くばかりだ。それを語り手は淡々と事実として記述するだけだ。ここにこの小説の「語り」の形が明確に表れる。この語り手は第三者的に客観的に語ろうとはするが、視点人物は三四郎だけである。本来写生文は小説世界に登場するのであるが、語り手が小説世界に存在しない写生文として『三四郎』は書かれているのだ。

与次郎が文芸時評と言う雑誌を三四郎に見せる。「偉大なる暗闇」という文章がある。筆者は零余子とある。知らない。実はこれは与次郎が書いたものであった。読んでみると、なるほど釣り込まれる。しかし読み終わった後何も残らない。

美禰子から葉書が来る。絵葉書である。小川があり、草が生えて、そこに羊が二匹寝ている。その向こう側に獰猛な顔の大きな男がステッキを持って立ってゐる。「デヴィル」と仮名がふってある。三四郎のあて名の下に「迷える子」と書いている。美禰子は野々宮と恋愛関係にあったことは十分うかがえる。しかしこの葉書を見るとやはり三四郎になんらかのかかわりを持とうとしていることがうかがえる。美禰子の実際の気持ちはわからないが、三四郎がそう感じるのは当然であろう。

三四郎は与次郎と同級生の懇親会に行くことになっている。与次郎を誘いに広田の家に行く。広田は飯を食っている。美禰子の話になる。与次郎は美禰子はイプセンの女の様だと言う。広田は心が乱暴だと言う。三四郎は腑に落ちない。美禰子は見た感じは乱暴な様ではあるが、心の中は揺れ動いていると思ったのだろう。広田の考えに近いのか遠いのか腑に落ちないままである。

次の日は運動会である。三四郎が見に行く。よし子と美禰子が見物している。野々宮は係として働いている。野々宮と美禰子が話をしている。振り返る美禰子はうれしそうに笑っている。三四郎は運動会を見ていることが馬鹿々々しくなる。抜け出す。丘の上に登る。この丘は三四郎が初めて美禰子を見た時に、美禰子が看護婦と一緒にいた岡である。美禰子とよし子も登って来る。

整理しておく、運動会は東京帝国大学の運動場で行われている。運動場の南が岡であり、そのまた南が池である。運動場と岡の東に医科大学(医学部)がある。よし子が入院していたのはそこである。運動場の西に理科大学(理学部)があり、その南に文科大学(文学部)法科大学(法学部)がある。三四郎が最初に美禰子を見た時、美禰子は夏に親戚が入院していて世話になった看護婦に会いにきていた。ただし、野々宮とも会っていたことが、野々宮が美禰子の筆跡の手紙を持っていたことから推測される。あの日はなんらかの特別な意味のある日だったのだ。

話を戻す。よし子は入院中世話になった看護婦に会いに医科大学に行く。美禰子と三四郎だけになる。原口と言う画家の話になる。そしてよし子が美禰子の家に昨日から下宿していることも明かされる。

三四郎の美禰子に対する疑心暗鬼が続く場面である。謎を散りばめている。その作者の方法が注目される。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三四郎』読書メモ④

2024-10-13 11:30:35 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は四章。

三四郎は大学にも慣れ始め、講義がつまらなくなってくる。しかも美禰子に恋をしてしまったようで、「ふわふわ」した気分になる。

与次郎と道でばったり出会う。与次郎はもう一人の男と一緒である。この男は三四郎が汽車で水蜜桃をもらった男である。やはりこの男が広田だった。広田は高等学校の先生である。与次郎は広田のファンであり、大学教授にしてよろうと思っている。広田は貸家を探していたのだった。

広田は三四郎に「不二山を翻訳してみた事がありますか」と意外な質問をする。ここは意味深な場面である。まずその直前で広田は「富士山」と言っている。それが「不二山」と変わっているのだ。音声では両者は同じだ。と言うことはこの漢字の違いは語り手が顔を出した結果ということになる。翻訳ということばも意味がありそうだ。これは富士山と言う事物を言葉に替える作業である。後で出て来る画と詩の問題と通じる。そしてこれは写生文の問題でもある。ここは深く考えてみる必要がある。

母親から手紙が来る。御光の母親から、三四郎が卒業したら御光を貰ってくれと相談されたとある。母親はその気でいるようだ。三四郎の気持ちは書かれていない。ここも語り手の作為が感じられる。

三四郎に三つの世界ができる。一つは熊本にある過去の世界。二つめは学問の世界。三つめは東京の華やかな世界であり、恋の世界である。三四郎はこの三つ目の世界に心が躍る。青春である。

広田の引っ越しが決まる。三四郎は引越しの手伝いを頼まれる。当日その家に行くと、美禰子がやってくる。美禰子も手伝いを頼まれたのだ。美禰子は三四郎に名刺を渡す。当時はそういう風習があったのだろうか、興味深い。さらにここで注目しておきたいのは、美禰子も三四郎と病院で逢った事、そして池の端で逢ったことを覚えていたのだ。美禰子が野々宮と特別な仲であったのは明らかである。しかし三四郎に対しても、何らかの意識があったのは間違いない。問題はその「何らかの意識」の程度である。ふたりは掃除を一緒に行い、仲良くなる。美禰子は空を見上げ、白い雲に強く関心を示す。ここも意味ありげである。

広田の荷物の中に画帳があり、そこにマーメイドの画がある。意味深だ。広田が来る。三四郎が図書館でどんな本でも誰かがすでに読んでいると感心した本を広田が読んでいたことも明かされる。英語の翻訳の話題も出る。野々宮がやってくる。野々宮はせっかく大久保に引っ越したばかりであったが、妹のよし子が大久保が大久保が寂しいところでいやだというので、妹のよし子を下宿させたいと言う。美禰子の内で置いてもらえないかと言う。

この章は「小ネタ」がたくさん出て来る。様々な謎がすべて意味ありげである。しかし意味ありげな謎にすべて答えを見つけようとするそれは漱石の大嫌いな探偵になってしまう。意味はないわけではない。しかしつじつま合わせをする必要はない。俳句のように気分の付け合わせが読む作業なのではないだろうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三四郎』読書メモ③

2024-10-11 18:22:40 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は三章。

いよいよ大学が始まると思ったらそう簡単にはいかない。「学年は九月十一日に始まる」はずで三四郎は学校に行くのだが、学生は誰もいない。そこで事務室へ行く。

「講義はいつから始まりますかと聞くと、九月十一日から始まると云っている。澄ましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がない様ですがと尋ねると、それは先生が居ないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。」

どう考えても事務の言うことは納得がいかない話なのに、三四郎は納得してしまうのである。たとえ間違ったものでも権威のあるものに服従してしまう姿がそこにはある。「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、どこに行っても集団には共同幻想が存在して居る。その共同幻想の外部の人間はそれに従うことを強要されてしまう。ただしそこには権力も関係してくる。例えば逆だったらどうか。三四郎が東京育ちで、熊本に行ったらどうなるのか。三四郎は絶対に熊本の常識に納得しないだろう。これが「坊ちゃん」であるのは言うまでもない。

その後十日ほどでようやく授業が始まる。佐々木与次郎という男と友人になる。三四郎は最初週四十時間も授業に出る。さすがに出すぎである。与次郎に忠告され半分ほどに減らし、残りの時間は図書館などで過ごすようになる。三四郎はどんな本でも誰かが読んでいることに驚く。

野々宮の家に行く。野々宮の家は大久保にある。大久保の駅から早稲田近辺に歩くようだ。当時の感覚からするとかなり遠く感じるようだ。甲武線に乗っていく。野々宮の家に行くと、電報が来る。野々宮の妹からである。大学の病院に入院している妹からすぐ来てくれという要件である。とにかく行くしかないが、下女一人に留守番させるのは忍びないので、三四郎に泊ってくれと言う。

夜、汽車の音がすぐ近くに聞こえる。「ああああ、もう少しの間だ」という声も聞こえる。また汽車の音がさっきより大きく聞こえる。なにやらさわがしくなった。若い女が汽車の轢かれたのだ。自殺であろう。野々宮から「妹無事、明日朝帰る」と電報が来る。

三四郎はその夜、夢を見る。

「轢死を企てた女は、野々宮に関係のある女で、野々宮はそれと知って家へ帰って来ない。只三四郎を安心させるために電報だけ掛けた。妹無事とあるのは偽りで、今夜轢死のあった時刻に妹も死んでしまった。そうしてその妹は即ち三四郎が池の端で逢った女である。」

興味深いのは、「池の女」を野々宮の妹だと想像していることである。「池の女」は確かに看護婦と一緒にいたし、大学にいたのだから大学の病院にいた患者だと考えるのことももっともなことである。(それを考えると、「池の女」が看護婦と一緒にいたことは、読者のミスリードを誘っていたとも考えられる。)まだ三四郎はさまざまなことが整理できていない。それがさまざまな妄想を作り出し、それが少しずつ補正されていく。新しい世界に加わった時の心がうまく描かれている。同時にこれは自意識が明瞭になっていく過程とも似ている。自分が何者であるかが明確になっていない三四郎の自意識が目ざめて行く過程のようにも感じられる。

翌日野々宮が帰って来る。やはりよし子は異状はなく、見舞いに来ない兄を物足りなく思って、呼んだだけだった。よし子はわがままなのか、それとも兄への異様な愛情があったのか、いろいろと想像させられる。

三四郎は野々宮から袷をよし子に届けるように依頼される。病室に行く。病室を出ると、玄関近くに「池の女」いた! ふたりはすれ違う。野々宮の妹病室の場所を聞く。女は野々宮が買ったリボンを身に付けている。野々宮と「池の女」がつながる。ふたりはどういう関係なのだ? 三四郎は気になる

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三四郎』読書メモ②

2024-10-09 03:19:07 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は二章。

三四郎が東京でカルチャーショックを受けている。

「凡ての物が破壊されつつある様に見える。そうして凡ての物が又同時に建設されつつある様に見える。大変な動き方である。」

こんな激動が東京の現実なのだ。そこに孤独を覚える。

「この激烈な活動そのものが取りも直さず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫も接触していないことになる。(中略)自分の世界と現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。甚だ不安である。」

母親の手紙に知り合いの従妹が理科大学(今日で言う大学の理学部)にいるので頼りなさいとある。それが野々宮宗八である。野々宮は典型的な世間知らずの科学者である。現実世界とは縁がない生活をしている。三四郎は野々宮に会いに行き、その後、大学の敷地にある池で一休み。

岡の上に女性が二人。一人は看護婦。もう一人が鮮やかな着物を着た女性である。その女性に心がひかれる。その女性は白い花を持っている。三四郎の前を通り過ぎるときに白い花を落として行く。女が通り過ぎた後三四郎はその花を拾い池に投げ込む。花は池に浮かぶ。後でわかるのだがこの女性が美禰子である。三四郎はこの女に恋をするのだが、女性のほうがどう考えていたのだかは最後までよくわからない。この場面、ミスリードを誘っているようにも感じられる。

後で明確になるのだが美禰子は野々宮と恋愛していた。この場面も美禰子のそばに野々宮がいたという説もある。漱石は謎を散りばめながら話を進めて行く。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『三四郎』読書メモ①

2024-10-07 17:24:37 | 夏目漱石
夏目漱石の『三四郎』の読書メモ。今回は一章。

三四郎が熊本から東京に出る。当時はかなりの時間がかかったようだ。もう京都はすぎている。しかし東京へはその日のうちにはつかない。名古屋に一泊する必要がある。計算上、熊本から出ればさらに1日か2日たっていたと思われる。かなりの長旅である。

三四郎は不思議な発見をする。九州から人の顔がどんどん白くなる。三四郎は故郷の御光という女性を思い出す。御光さんは三四郎の後に結婚相手候補となる。ここではどういう関係かまではわからない。御光さんは直接には『三四郎』では描かれないのだが、御光さん物語は全編を通じてサブストーリーとして存在している。注目が必要である。御光さんは黒い色の女性であり、三四郎は「お光さんの様なのも決して悪くはない」と思う。

京都から相乗りになった女性がいる。夫がいるが日露戦争では海軍の職工として旅順に行っていた。戦争が終わって一旦帰ってきたが、また満州のほうが儲かると、大連に出稼ぎにいったという。半年ほど音信がなくなった。子どもは国にいる。その子どもに会いに行こうとしているのだ。この女性が怪しい。三四郎はこの女を興味深く観察する。女も三四郎を観察しているようだ。そして女が名古屋に着いたら宿屋へ案内してくれと言うのだ。三四郎は承諾する。名古屋で三四郎は宿を見つけ、二人で宿に入る。宿では二人連れと勘違いし、一つの部屋に通す。風呂を案内されると女も一緒について来て、三四郎が入っている風呂に入って来ようとする。ふとんも一つだ。女はこれをはじめからねらっていたようなふしもある。三四郎は何事もないように蒲団の隅で寝る。しかし次の日女から「あなたは余っ程度胸のない方ですね。」と言われてしまう。三四郎はショックを受ける。冒頭のこの場面は面白い。なんのためにこれを冒頭にもってきたのか。かなり重要なことであろう。

名古屋からは変わった男と相乗りになる。しきりに煙草を吸い、何か悟ったようなことを言う。これも熊本には決していないタイプである。水蜜桃を食べながら、「危険い。気を付けないと危険い」と言う。最後には日本は滅びるという。次の言葉が意味深である。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・日本より頭のほうが広いでしょう」「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ。」

浜松で西洋人を見る。女は真っ白な服を着ている。『三四郎』では「白」も重要な記号である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする