世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

伊予松山城

2019-11-11 10:34:49 | 旅行

時間の関係で松山城の登閣は出来なかったが、直下の公園から城郭を望んだ。

関ケ原の戦功により十万石から二十万石に加増された加藤嘉明が築城に着手。其の後、築城完成前に会津に転封。蒲生氏、大洲・加藤氏と城主が変わるが、寛永十二年・松平定行が十五万石で入府し、以降幕末まで統治した。大天守は火災にあったが、幕末の1852年再建されている。現在は重要文化財に指定されているとのこと。多くの建造物が残されており、貴重な存在である。

 

<了>


しまなみ海道経由伊予国へ

2019-11-09 18:39:19 | 旅行

しまなみ海道経由伊予国へ遣って来た。目的地は西予市卯之町と松山である。本日は西予市卯之町を回ってみた。

来島海峡SAより、来島海峡大橋を望む。しまなみ海道を走破したのは今回が初めて。数十年前広島・宇品より松山・三津浜へフェリーできたことがあるが、松山も様変わりしていた。

目的地は西予市の愛媛県歴史文化博物館である。本日は開館25周年で入館料は無料。おまけに紅白の小餅が、入館者全員に配布されていた。ラッキーではあったが、展示物は一部を除き写真撮影禁止。何をもったいぶっているのか?

後程紹介したいと考えている。

 

<了>


4日目は山口に寄って帰宅

2019-08-11 08:12:12 | 旅行

一昨日(8月9日)、北九州から山口経由帰宅した。山口では県立博物館、山口駅前の外郎の店・本多屋と来来亭で昼食を摂って帰宅した。山口ー益田間の距離が長く、早く高速を開通させて欲しいものである。

関門海峡大橋の九州側SAのレストランは休業中であった。いつまでほったらかしにしておくのか?

本多屋は老舗の部類に入るのであろう。一口外郎は便利がよい。

昼食の時間になったので、孫が来来亭が良いというので、来来亭へ行くことにした。20数年前滋賀で仕事をしていたが、其の時は滋賀県を中心に5-6店舗しかなかった。いまでは全国チェーンである。

 

<了>

 


3日目は柳川川下りと博多ラーメン玄瑛

2019-08-09 05:37:35 | 旅行

ハウステンボスの帰途は柳川川下りである。これは初日に行く予定であったが台風8号の上陸で、流石に欠航しているであろうとの判断で順路を変更していた。

日本人は我々4人と他に2名、それ以外の多くは犯罪人引渡条例で揉める香港人。広東語も中国語同様喧しい。

掘割と云うか水路は狭く、橋のしたは首を折り曲げるほど低い、柳川城防備のためであろうか。わが千鳥(松江)城の掘割の4分の1以下の幅しかない。立花宗茂は関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である。その宗茂が築いた掘割としては少々貧弱とも思われる。

玄瑛は20年前であったろうか、劇場型の席という興味もあって行ってみたが、そんなことより味の良さに驚いた。博多に来ると定番になった。

今回は海鮮出汁のラーメンにしたが、出汁が縮れ麺にからみ期待通りの味であった。

 

<了>

 

 

 


2泊目は西海橋コラソンホテル

2019-08-08 05:58:53 | 旅行

昨日は終日ハウステンボスで、台風一過暑いことこの上ない。孫も大きくなり中学生にもなると、そのバイタリティーにはついていけない。

2泊目は西海橋コラソンホテル。それなりのホテルだが築後20年以上であろう。近々リニューアルの予定とか。

今朝、ほんの一瞬と云えば語弊があるが、短い時間ではあったが朝焼けが素晴らしかった。

ブロガー森川天さんより、当該ブロガーが若かりしときに入手した謎の唐津系陶磁は、武雄の川古窯ノ谷新窯、若しくは近郊の焼峰窯の何れかとの御教示をいただいた。今その地に来ているのだが、二人の孫にそのような興味があるわけではなし。残念だが今回は諦めて、次回出直すことにしたい。

存在するのかどうかも知らないが、古武雄を常設展示する施設が欲しい。

 

<了>