過去にUp Dateした記事「新発見のサンカンペーン鉄絵文様」に、次のコメントが記載されていたので、コメントおよび回答を以下に順に記載する。
先ず次のようなコメントであった。「恐縮ですが、<の~んびりタイランド2>の当該写真に英語のキャプションがついているのをご存じですか。」
その回答であるが、写真の解像度が今ひとつで、読み取りにくい個所は□表示する点、容赦願いたい。それによると・・・
There are some examples of green-glazed dishes painted with new motifs by a □□□cky antique dealer in Chiang Mai province. They are devaluated in knoeledge but some people still made profit out of these pieces.・・・とある。
祝再開館記念会場における、学術的プレゼンに相応しくないコメントなので、紹介をためらっていた。
さて今回の東南アジア陶磁博物館の見学で、北タイ諸窯間のことどもが、何となく明らかになり始めた。近年サーヤン・プライチャンチット氏、バンコク大学東南アジア陶磁博物館やシルパコーン大学、政府芸術局等々の積極的な発掘調査や学術的研究により、北タイ諸窯の開窯時期が明らかになってきた。それによると・・・
ナーン:ボスアック 13世紀末ー14世紀初
パヤオ:ウィアンブア 13世紀末ー14世紀初
サンカンペーン 14世紀後半
カロン 15世紀
モン陶 14世紀後半
シーサッチャナラーイ 15世紀初頭
・・・となる。
従来モン陶が古様を示すことから、モン陶の何がしかがパヤオ、サンカンペーンに伝搬したと考えられていたし、当該ブロガーもそのように理解していた。しかし、J・C・Shaw氏は、最初(科学的年代測定以前)から一貫して、パヤオが先で、それがサンカンペーン、モン陶に伝播したと主張されていた。慧眼に敬服する。
これらの年代観でもって、先に紹介した東南アジア陶磁博物館のサンカンペーン新鉄絵文様の人物文様が気になる。これが何者なのか? 樹下文人図に見えなくもないが、杖を持っている。元染や明青花磁に登場する仙人図は杖を持ったり、持たなかったりするが、樹下文人図は杖は持たない。
するとサンカンペーンの新発見人物文様は、杖を持つので仙人図と云うことになる。仙人は鶴(黄鶴)に載るという。サンカンペーンに鶴の鉄絵文様が新たに出現するとすれば、中国文様の翻案の宝庫ということになる。
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話にまとまりがないが飛ぶ。写真は世界陶磁全集16「南海」に掲載されている写真の極断片である。上は明青花の樹下文人図、中はシーサッチャナラーイの鉄絵人物図であるが、明青花の文様をアレンジして採用しているのであろう。下は先に紹介したサンカンペーンの仙人図である。
このサンカンペーンとシーサッチャナラーイの開窯時期が、ほぼ一致する。双方で採用された、中国発祥の人物文様、これらをどのように整理して理解すればよいのだろうか? 単に中国から陶工が・・・と云う、中国側文献に何も記載のない陶工来訪説では、説明のつかない様相が伺われる。