世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

双魚文考#2

2018-03-19 08:58:54 | 北タイ陶磁

<続き>

故・三上次男氏は平凡社刊陶磁大系四十八巻<ペルシャの陶器>で以下のように述べている。・・・ペルシャ陶器の東西交流について中国の影響を受けたことは記述してきたが、反対に影響を与えたことどもは、中期ペルシャ陶器の精巧な白釉藍彩陶器や中期ラスター彩陶器の技法は、元時代の白磁の装飾技法に刺激を与えて、元染付や釉裏紅を産みだしたと考えられ、また元時代にはじめて使われはじめたアルカリ系の孔雀釉(トルコ青釉)も、中期ペルシャ陶器が影響を与えたものである。

写真の白地藍彩双魚文鉢をみていただきたい、時期は13世紀前期から中期と考えられ、口径は15.5cmである。この藍彩の呈色剤はコバルトであり、いわゆる染付の色である。そしてその図柄は陰陽に配置された双魚で見込みから口縁にかけては放射状の文様となっている。その類似性は元染めのみならず、サンカンペーン窯の双魚文盤ともよく似ている。

それではペルシャで、魚文を陶磁の装飾に用いた初出はいつであるか、調べてみることにしたが、具体的な調査方法も思い浮かばず、陶磁器に限定した選定のまずさも手伝い、13世紀初期のイラン・カシャーンの白地黒彩色魚藻文鉢にしか、たどりつくことは出来なかった。一方の中国では、ディビット財団が所有する古越磁の双魚文洗が知られている。時代は三国時代に続く西晋の3世紀である。

(古越磁 双魚文洗)

これも陶磁器に限定した調査であり、織物文様等を含むその他の器物の文様を調査しておらず、一般論として漢代(前漢:前206-8)まで遡るとされる、双魚文の初出については、手に負えないとの思いもあり、調査していなかった。以上のように魚文について、調査上の欠陥があるものの、今までの調査結果をまとめたのが以下である。先ず次の双魚文の文様を見ていただきたい。

これは当該ブロガーが保有する青磁双魚文盤である。その魚の尾鰭は二股に分かれ、その先端はカールを描いている。この尾鰭はサンカンペーン窯の特徴をもった描き方で、シーサッチャナーライやスコータイ諸窯の魚文に例がない特徴である。この盤の焼成年代は14-15世紀と考えているが、この特徴はのちほど記述する変遷があって、一般化したものであろうと考えている。

その変遷を考察する前に、東西の魚文の描き方について触れてみたい。尾鰭が二股状に大きく分かれる魚文の初出は、狭い認識ながら12世紀の中国・南宋前期の龍泉窯青磁魚文鉢にみることができる。次の図は松岡美術館が所有する鉢の文様を写しとったものであり、見込み全面に九匹の魚文が劃花で表現されている。先の双魚文の尾鰭形状と似ていなくもない。しかし、どことなく異なっているようにも見える。

一方西のペルシャでは13世紀に入ると、先に紹介した白地藍彩双魚文鉢が出現する。これは見込みから口縁にかけて放射状の文様とともに表現されており、かつ双魚が陰陽配置になっていることから、ほぼ中国陶磁の影響を伺うことができる。この双魚の尾鰭は先の松岡美術館・龍泉窯青磁魚文鉢より、もっと大胆に二股になっている。中国でこのような尾鰭の文様が現れるのは、14世紀の元代になってからである。トルコ・トプカプ゚宮殿が所蔵する14世紀元代の龍泉窯青磁双魚文盤の文様を写しとったのが下の図である。この双魚は劃花で現わされているが、その尾鰭は南宋前期の劃花魚文に比較し、二股に分かれる度合いが顕著になっている。このことについて資料数が少なく、断定的な表現はできないが、時代の前後関係からトプカプ宮殿の龍泉・青磁双魚文盤の劃花文様は、ペルシャの影響を受けた可能性もあながち否定できないと思われる。

下の写真はバンコク・タマサート大学のPitiphat教授がその著作で紹介しておられるサンカンペーン窯青磁双魚文盤の見込み文様である。教授による時代認識は14-15世紀とのことである。この手の文様の数は多くはないが、これは比較的初期と思われ、龍泉窯青磁双魚文盤よりは、前出のペルシャ・白地藍彩双魚文鉢と似ているように見える。

次の緑釉魚文皿はペルシャ14世紀中期のイル汗朝期のものである。全体的な意匠は明らかに龍泉窯青磁魚文盤の影響を受けていると考えられるが、魚文は3匹に変化し回遊する形になっている。双魚というより、魚文そのものに価値を置く背景があるのであろうか。それはトリムルティーであろうか?

この3匹が回遊する形の魚文はサンカンペーン窯の盤にも存在している。次は前出同様、Pitiphat教授紹介の盤で時代は15世紀とされている。この魚文配置はサンカンペーン窯で独自に創出されたとの考え方もあり、これを否定するには材料が足りないが、同じような位置づけでペルシャとの関連も否定はできないとも思われる。

以上、サンカンペーン陶磁へ西側(ペルシャ)の影響を考えさせる何かがあると思うが、残念なことにターク周辺、オムコイ山中の発掘現場、さらにはサンカンペーン古窯址から、ペルシャの何がしかが出土したとの報に接しておらず、幻の空論か・・・と思っていた。

以上のようなことで、“なぜ双魚文なのか”という命題探求は頓挫するとともに、暫し頭からも離れ、忘れてしまうことになった。

 

                          <続く>