昨夜の”西郷どん”。いきなり愛加那の手の甲の刺青描写である。う~ん、これは何だとの印象である。
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突起が八つある八芒星の様でもあるが、中心は渦巻き文様になっている。これは日輪であろうことについては後述する。刺青で真っ先に思いつくのは”遠山の金さん”であるが、同様に”魏志倭人伝”の記述である。
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男子は大小と無く皆鯨面分身す。断髪・分身し以て蛟龍の害を避く。今倭の水人好く沈没して魚蛤を捕え、分身し亦以て大魚・水禽を厭う。後稍以て飾りと為る・・・魏志倭人伝に記された、当時の倭国の風俗である。三國志を著した陳寿は華北の人で、皆鯨面分身など知る由もないが、極めて珍しいことを聞いたので、著述したものと思われる。いずれにしても刺青は南海の習俗である。
当該ブロガー同様に、この刺青に興味を抱いたひとが、ブログをUPDATEしている。以下の内容のブログを目にした。奄美、琉球諸島では、かつて女性が成熟した証として、手の甲に入れ墨をする風習がありました。これを「ハジチ(針突)」といいます。
こうした風習は奄美に限ったことではないようで、奄美の入れ墨は「+」「卍」「※」などの模様が多かったみたいです。意味は安産や子孫繁栄。ボルネオやチモール島など南島の護符入れ墨と共通していると言われています・・・とのことである。直接的には、その通りかと思われる。しかしながら、その遠因は”魏志倭人伝”記載のとおりであろう。しかも太陽信仰の民である南海の人々、更には越、南越の習俗であろう。
ここで刺青の文様に戻る。これは日輪であろうとの印象をもつ。似た文様が、南海の古陶磁に顔を出す。
これは、ミャンマーのカウミュー窯の日輪である。愛加那の刺青の中央は渦巻きであるが、上の陶磁は円圏であるのが異なる。次は、敢木丁(かむらてん)コレクションのサンカンペーン陶磁である。
これも中心が円圏であり、刺青とは異なる点があるが、いずれも日輪と考えている。島の農業に太陽は欠かせず、刺青は漁の不慮の事故を防止する呪いでもあった・・・と愛加那の刺青をみて思った次第である。