過日、”予祝・ブログ開始3000日記念”(ココ参照)と題して一文をupdateした。いよいよその4回シリーズを掲載する。第1回目は、”刺青『胸形』から想いを馳せる”との命題にて記述したいと考えている。
先ず、魏志倭人伝の一節から話を始める。赤線の一節をご覧願いたい。所謂“鯨面文身・断髪文身”についてである。赤線部分を読下すと以下のようになる。
男子は大小(貴人と庶民)となく、鯨面文身(顔と体に刺青)している。夏后小康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身(坊主頭で身体は刺青し)して以て蛟龍(ワニ・サメ類)の害を避ける。今、倭の水人(素潜り漁)好んで沈没して魚蛤を捕え、文身(刺青)してまた以て大魚・水禽(ワニ・サメ類)を厭(いと)わしむるに、後ようやく以て飾りと為す。
魏志倭人伝は、倭人の男子は貴人であれ一般庶民であれ、顔と体に刺青している。いわんや漁師も刺青し、ワニやサメの類や大魚から身を守っているが、何時の頃から飾りとなった・・・と、記している。つまり弥生時代は誰彼となく顔と体に刺青をしていたことになる。
では、どのような刺青をしていたのか。鯨面については、弥生時代の線刻絵画土器や顔型土製品で見ることができるが、文身については、線刻絵画土器は存在せずハッキリしない。
大阪府立弥生文化博物館(弥生時代)
下関市・綾羅木郷遺跡(弥生時代)
そこで話しは6世紀の古墳時代に飛ぶ。写真の人物埴輪は八女市立山山古墳出土である。胸の中央に三角の頂点が上下に接する『向い鱗文』を見る。
『向い鱗文』つまり”胸形”について記そうとしている。先ず蛟龍について、蛟龍とは龍種の幼生とされており、水の主とするのが一般的である。古代中国の揚子江以南では、ワニを指すと云われている。龍神とワニは同義語のように扱われている。『日本書紀』に豊玉姫を龍(第十段本文)といい、八尋のワニ(第十段一書三)とも云った。これをトーテムとする氏族(海人族)が胸に刺青したものと思われる。
その刺青の文様は、龍や蛇の鱗の形を文様としたものであろう。いわゆる胸形(ムナカタ)である。金関丈夫氏はムナカタ氏の胸の刺青は、鱗文であるとされている。
立山山古墳の埴輪は、海人族(海部族)をモチーフとしたものではなかろう。明らかに陸上を生業とする人を写したと考えられる。海人族が除魔の目的で胸に入れた刺青文様であった鱗文が、海人族以外に広まったもので、胸の向かい鱗文は除魔の呪的文様以外の何物でもなかろう。
この立山山古墳の『胸形』が、宗像氏に関連する福岡県福津市の新原・奴山古墳群や津屋崎古墳群の古墳等々から発見されたとの報に接していないが、いずれ本場の宗像から出土するであろうことを期待している。
そこで立山山古墳の『胸形』と装飾古墳の関連である。装飾古墳で『胸形・向かい鱗文』をみる代表が、チブサン古墳の壁画である。これを鋸歯文や単なる三角文と見えなくもないが、やはり『胸形』で辟邪文であろう。埴輪の意味するところと、装飾古墳の壁画が意味するところは、各々別物ではなく、関連していたのである。
<第2回へ続く>