過日、阿陀加夜努志多伎吉比賣命を祀る出雲国風土記所載の『多吉社』(現・多伎神社)の南100mに『加夜堂』が在ると記載していたが、方角は西方100mであった。訂正させていただく。
その『加夜堂』は『伽耶堂』であろう。朝鮮半島で云う『堂信仰』に他ならず、その代表が『城隍堂(ソナンダン)』である。
(城隍堂 忠清北道忠州市沙味里 後方は神木 出典・Google Earth)
城隍堂とは、一般的に峠や村の入口と境界、路端にある白紙や五色の絹布片等をかけた神木とその下の小石を積み上げた累石壇や、小祠を城隍堂と云っている。
この伽耶堂も城隍堂であろうと考えられる。この城隍堂は堂舎内に城隍神の神像画が掲げられているようだ。つまり集落の結界を示すと共に土地神であったと考えてよい。ではここ伽耶堂はどうであろうか。過日、訪れてみた。
加夜堂は先の城隍堂の床面積より大きな堂舎である。ここに城隍神のように神像画があるのかないのか。
結論から云えば、良く分からない。堂内には中央と左右に神像なのか位牌なのか、恐れ多く敬う何かが存在するようだが、幕が張られており不明である・・・と云うことだが、ここでは城隍神に類するものだと、勝手に解釈しておく。
出雲市多伎町在住者で当該ブログを御覧の方がいらっしゃれば、御教示頂きたい。いずれ市の教育員会等の文化財に関する部門に尋ねたいと考えている。
いずれにしても半島渡来の女神と思われる、阿陀加夜努志多伎吉比賣命(安羅伽耶主の多伎吉姫)を祀る多伎神社の至近距離に加夜堂(伽耶堂)が存在することは、渡来人しかも韓鍛治集団が留まった地と考えてもよさそうだ。
しかし、時代感覚を無視しての噺である。阿陀加夜努志多伎吉比賣命は大国主命の御子神であり、時期的には2-3世紀であろう。ところが加夜堂の由緒が全く分からない。後世の付会かとも思われる。それにしても加夜堂は不思議ワールドである。
<了>
ザッと見させていただきましたが、ディープな内容に驚きました。カテのトップにある「サンカンペーン陶磁」のサンカンペーンはสันกำแพงですね。こちらは、タイ陶器といえば宋胡録しか知らない素人です。
チェンマイでは昔から夜市周辺が定宿ですが、カンタリーとフラマには宿泊したことがあります。カンタリーのお風呂には失笑しましたけれど(^ ^;
いずれ、ゆっくりと拝見させていただきます。今後とも、よろしくお願い致します。