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纏向遺跡は、吉野ヶ里のように遺跡全体が発掘され、そのすべてが遺跡公園として保存されているわけではない。要所が発掘されているだけで、全体が俯瞰できない。従って現地に立っても広大さが肌でつかめない。したがって邪馬台国の故地云々と云われてもピンとこない。しかし、吉野ヶ里の甕棺をはじめ多くの土器類で、遠隔地から運び込まれた物はない。
ここ纏向遺跡から出土する土器類は、全国各地の様式を伝えており、各地から持ち込まれたか、工人が纏向にきて製作したかは別として、全国各地の工人や人々が関与したことは間違いないであろう。その意味でっは吉野ヶ里にない魅力をもっている。その各地の土器様式を紹介する。
各地の甕が出土することは、纏向に強大な権力が集中していた証であろう。それが邪馬台国であるとの説に繋がるが果たしてどうか。
<続く>
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