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大伽耶と倭:5世紀後半から倭と最も活発に交渉を重ねたのが大伽耶である。この時期の倭では大伽耶系のアクセサリー、装飾馬具、武器などの大伽耶系の文物が古墳に副葬された。
5世紀後半に大伽耶は、洛東江より西側の地域を統合するほど力をつけた。479年には伽耶で唯一、中国南斉へ遣使を遣わす。481年には高句麗の新羅侵攻に際し、百済とともに援軍を送るほどになる。
大伽耶の中心地、高霊(こうれい・こりょ)や陜川(きょうせん)には倭系の甲冑や須恵器がもたらされた。5世紀中頃の王陵級古墳である高霊池山洞(チサンドン)32号墳では倭系甲冑が副葬されていた。また30号墳付属の小さな石槨から、倭系の冑や須恵器が出土している。陜川玉田28号墳でも倭系甲冑が副葬されていた。このように5世紀後半の大伽耶による対倭交渉は、新羅や百済と同様に、高句麗の南下対応策であつた。
以下、その大伽耶からの出土した展示品である。
今回はココまでとする。
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