<続き>
今回は先ず、韓国国宝に指定されている大伽耶王墓・高霊池山洞32号墳(5世紀中頃)から出土した金銅冠から紹介する。
写真の高霊池山洞32号墳(5世紀中頃)から出土した金銅冠は、6世紀の倭の王冠(首長冠)に少なからぬ影響を与えたと考えられる。それは三又、みようによっては山形に見える立飾りである。下の金銅冠は継体大王の故郷である福井県の二本松山古墳(5世紀後半)出土の金銅冠である。
細部で形はやや異なるが、高霊池山洞32号墳出土冠の影響が考えられる。ここで金銅冠の編年を記すつもりはないが、以下のように変遷したと考えられる。
三又の立飾りは、香川・王墓山古墳(6世紀前半)の金銅冠である。二本松山古墳の立飾りが進化したであろう。6世紀後半になるとさらに簡略化された。それが我が田舎の出雲・上塩冶築山古墳(6世紀後半)金銅冠である。
やや横道に反れたが、大伽耶の金銅冠は倭国の冠に少なからぬ影響を与えたものと考えられる。
今回はココまでとする。
<続く>
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