世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

京都・二題

2024-04-19 08:14:41 | 旅行

ブログは間をおいて飛び飛びに記している。肩の痛みからであるが、記すのみでフォローいただいている各位のブログに訪問をしておらず、失礼を続けている。暫くそのようにしたく、お詫び申しあげます。

過日、京都へ2泊3日で行ってきた。先ずは御所西側で烏丸通りに面する虎屋。店舗の後ろが菓寮となっている。20年振りであろうか。庭といっても築山があるわけでもないが、桜を見ることができたが満開は過ぎていた。

古代の赤と黒を求めて西院の春日神社に寄ってみた。春日神社や春日大社と云えば、阿倍仲麻呂(中国名・朝衡)を思い出す。

 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも

天平勝宝五年(753)53歳の阿倍仲麻呂が唐より帰国する船出前に詠んだと云われている。その15年後の神護景雲二年(768)に春日大社は創建された。中臣氏・藤原氏の氏神として建御賀豆智命、伊波伊主命、天児屋根命、比売神の四柱の神々である。

春日権現霊験記絵巻によれば、赤と黒に塗られた鳥居と瑞垣が描かれている。奈良まで行けばその姿を、現実に見ることはできるが時間がない。そこで西院の春日神社である。

春日神社は天長十年(833)二月二十八日淳和天皇が仁明天皇に譲位され、淳和院(西院)に移られたとき、勅諚により奈良春日四座大神を勧請し、守護神とされたのが始まりであるという。参拝すると若宮でそれを見ることができた。

瑞垣を見ると、先端を山形に尖らせ、その部分を三角形状に黒塗りした縦板を連接して並べている。この三角形状は僻邪文に外ならず、黒と赤(朱)は古代以来の聖なる色とされている。

それが奈良時代の春日大社に用いられ、ここ春日神社でも踏襲されていたのである。この赤と黒は古代以来の汎アジア的色彩であった。そのことについては、別途記事にしたいと考えている。

<了>



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