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出雲と古代朝鮮(五)・四隅と方墳、鳥形木製品は朝鮮半島の影響か?

2021-02-05 07:13:26 | 古代出雲

<続き>

今回は「語呂合わせ」の続編として、阿陀加夜努志多伎吉比賣命について取り上げて論旨展開を考えていた。阿陀加夜努志多伎吉比賣命は何やら渡来系の匂いがする。阿陀加夜努志とは、安羅伽耶の主と云うことになる。続く多伎吉比賣とは、多伎の城(キ)ないしは評(コオリ:郡)の姫となり女神であろう。この阿陀加夜努志多伎吉比賣命を祀る出雲国風土記所載の「多吉社」(現・多伎神社)の南100m程の処に『加夜堂』なる堂舎が存在する。『加夜堂』とあるからには朝鮮半島の『城隍堂(ソナンダン)』が想起される。実はこの『加夜堂』なるものがナ二モノか知らない。そこで訪れて調べる必要があり、その後でなければ筆にできない・・・ということで、今回は四隅突出墳丘墓と出雲に多い方墳・前方後方墳と朝鮮半島について取り上げる。

写真は出雲市大津町西谷の四隅突出墳丘墓である。御覧のように四隅がヒトデのように突出している。これが、北朝鮮・高句麗時代の慈江道楚山郡雲坪里積石塚がその原型であると指摘する識者が多い。現地に行ったわけでもないが、写真でみるかぎり、そう云われればそのように感じなくもないがやや違和感がある。そうであろうと誘導する意図を感じる。

写真は、出雲弥生の森博物館が展示する四隅突出墳丘墓のジオラマで、祭祀の様子が想定復元されている。写真の奥には柱を四本立てる様子が表現されている。古代において祭祀と柱は切っても切れない存在であった。尚、四隅は墳頂の祭祀場に登るためのアプローチがその役割である。

高句麗の積石塚の墳頂部はどのような様子なのか。上に掲げる祭祀の様子が復元できる形跡があるのか無いのか・・・これを語らずに源流が高句麗積石塚にあると云うのは、早計に過ぎるであろうものの、著名な識者がそうであると指摘しているので記載した。

尚、出雲に多い方墳も朝鮮半島の影響であるとされているが、これも四隅から進化したものと考えている。

出雲の弥生時代の遺跡からは、鳥形木製品が出土している。写真は弥生期・壱丁田遺跡から出土したものである。

これまた多くの識者が朝鮮半島の鳥竿(ソッテ)と同類と指摘する。異を唱えて恐縮であるが、これは集落の入口に設けた鳥居状のゲートの横木に取り付けられた鳥の肖形で、結界を意味しエーリアンの侵入を監視する呪標に他ならない。

写真は吉野ヶ里遺跡・南内郭入口に想定復元されたゲートである。この鳥形木製品は、このように結界の役割をもっていたと考えられる。朝鮮半島の鳥竿というより、東南アジアの少数民族・アカ族の結界と同じであろう。

上の写真はアカ族の集落入口に立つ結界である。著名な識者を含め多くの人びとが、四隅や方墳さらには鳥形木製品は、朝鮮半島の影響を受けた、直接持ち込まれたとの論旨を展開しておられるので、『出雲と古代朝鮮』を語るに際し、避けられないことと思い記述したが、当該ブロガーは否定的見解を記した。御覧の各位は如何に。

<続く>


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