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鳥装のシャーマン

2020-04-21 07:57:44 | 古代と中世

唐古・鍵考古学ミュージアムでは『鳥装のシャーマン』なる想定復元フィギアが展示されている。

鳥は農耕社会と関連し、「稲の穀霊」を運び、結界を監視するとして神聖視されている。こうした鳥の信仰は、弥生時代の土器に描かれた『鳥装のシャーマン』や竿の上や集落入口のゲートにつけられた鳥形木製品から、そして古墳時代では、古墳に並べられた鳥形埴輪から伺われる。

寺沢薫・元奈良県立考古学研究所調査部長は、「銅鐸の二面性」と題する一文で、以下のように述べておられる。

“倭の四季における春の訪れは、田圃への白鷺の飛来から始まる。弥生人の心の奥底には、あの白い鳥がイネの霊を運んできた・・・という思いがあったのではないか。鳥装のシャーマンのマツリは、その観念を形にしたものだ。田圃のイネは夏に向けて成長する。秋の実りまで台風、洪水、病害虫、穀霊に禍をもたらす諸々の悪霊、邪気は避けねばならぬ。銅鐸は、春のマツリが終わっても、水田のみえるムラの祭場で稲魂の安全を見守ったはずだ。白鷺がこの間、つねに水田に居着いて稲魂を見守ったように”・・・と。

ここで鳥装のシャーマンの貫頭衣には鹿の絵が描かれている。これは何か意味がありそうだ。

鹿の絵については、「播磨国風土記・讃容郡条」に「生ける鹿を捕り臥せて、その腹を割きて、その血に稲種きき。仍りて、一夜の間に苗生ひき」、「豊後国風土記・国埼条」の田地を荒らす鹿を捕まえ、放免したところ「この田は苗子は、鹿には喫はれず、その実を獲しむ」との伝承から、稲の豊作を祈るために描いたとする見方が成立する。貫頭衣の文様は、先述の意味合いと共に身近な狩猟の対象でもあった。

(松江・風土記の丘ミュージアムの見返りの鹿・埴輪)

ところで鳥装のシャーマンとあるが、この鳥装のシャーマンは、南方の匂いがする。写真は稲吉角田遺跡から出土した弥生の絵画土器である。そこには頭に羽をつけた複数の人物がゴンドラ風の舟を漕いでいる。

この羽人が舟を漕ぐのは、南越のゴックルー銅鼓に登場する。鳥装のシャーマンは謎が多そうだ。

<了>

 


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