<続き>
長崎は平戸からオランダ商館が移って以降の南蛮交易の拠点であった。江戸時代に入ると出島を介した朱印船貿易となる。それらの展示物の一端を紹介したい。
幕府の許可のもと対馬藩は李氏朝鮮・釜山に倭館を設け、交易をおこなった。釜山に窯を築き御本茶碗を焼いて持ち帰り、幕府や大名への贈り物に用いたと紹介されている。南蛮交易については次回も続いて紹介する。
<続く>
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長崎は平戸からオランダ商館が移って以降の南蛮交易の拠点であった。江戸時代に入ると出島を介した朱印船貿易となる。それらの展示物の一端を紹介したい。
幕府の許可のもと対馬藩は李氏朝鮮・釜山に倭館を設け、交易をおこなった。釜山に窯を築き御本茶碗を焼いて持ち帰り、幕府や大名への贈り物に用いたと紹介されている。南蛮交易については次回も続いて紹介する。
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長崎と云えばキリシタン殉教の地。キリシタンに関する展示物も多い、その一端を以下紹介する。
キリシタンに関する展示物の一端を紹介した。一部の紹介であり、関心のある方は一度来館されてはどうであろうか。
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長崎は異国情緒が漂う。ここ長崎歴史文化博物館の展示を見ても、それを感ずることができる。その展示品を数回にわけてピック・アップして紹介する。焼物好きは、先ず陶磁に目が行く。現川焼を初めてとして彼杵近辺の窯場の発掘と、出土物が丁寧に展示してある。
上は現川ではなく、対馬の刷毛三島水差しであるが、対馬藩窯かと思われ、彫三島というより印花文に刷毛で白土をのせ文様としている。この文様は菊花であろうと云うのが定説であるが、北タイではこれをドーク・ケーオ(ピクン)の花文としている。BKKの東南アジア陶磁館は、ドーク・ケーオの印花文と当該彫三島との文様に言及している。
九州陶磁・長崎、諫早、波佐見、佐世保周辺陶磁の愛好家には垂涎の展示内容であった。
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レストラン・銀嶺とは、長崎歴史文化博物館のテナントである。入館して偶然目にし、丁度昼時であったので入店した。
レストラン内は、至る処に西洋アンティークがディスプレイされている。当該ブロガーには、センスの良さは感じられず、雑然と並べられている印象である。
外は、相も変わらず土砂降りに近い雨が続き、冴えない状態が続いている。メニューのなかから、シーフード・ランチをオーダーしたが、これが思いのほか美味であった。
写真を撮るのを忘れ、一口ののち撮った写真で恐縮かつ申し訳ない。
全く期待していなかったが、良い方に予想が外れ、うっとうしい気分を晴らしてくれた。長崎歴史文化博物館訪問の際は、訪れられては如何であろうか。
<続き>
色絵唐花唐草貝文輪花皿 1780-1820年代
色絵黄地唐草文角皿 1780-1830年代
染付岩梅松文輪花小皿 1800-1840年代
染付雲竜文蓋付碗 1800-1840年代
染付竹虎文鉢 1810-1840年代
まさに画工でしか描けない絵付けである。このように精緻な絵付けは、東南アジア陶磁では見出せない。
染付青磁雲竜文輪花鉢 1810-1850年代
以上で九州陶磁文化館で観た、柴田夫妻コレクションの紹介を終了する。
<了>