■「マモ・ウォルデについて②」
★2019.01.17:動画追加
●メキシコオリンピック (1968年10月)
海抜2,240メートルに位置するメキシコシティで開催された。
“高地民族旋風”が極に達したのである。
マモ(36歳)は陸上競技第1日目の1万メートルに出場。
ケニアのテム、エチオピアのマモ、チュニジアのガムーディ、メキシコのマルチネスと、
1位から4位までが高地民族で占められたからである。5千メートルも同様であった。
★You Tubeで 「10,000メートル男子決勝,1968 メキシコシティオリンピック」 を観ると。
テムとマモが3コーナーに突入、4コーナーでマモがテムを抜きトップとなるが、直線
でテムが抜き返し、マモは惜しくも2位となる。ゴール後のマモの無念の思い。
表彰台の金メダルは、ナフタリ・テム(4日後の5000mで銅メダルを獲得)、銅メダル
はモハメド・ガムーディ(4日後の5000mで金メダルを獲得、東京オリンピックでは
1万m銀メダル)。トラックの実力者の中での銀メダル獲得、マモの実力が光る。
こうした高地民族の活躍ぶりから、マラソンも高地民族のものか、という予想が、レース
前から高まっていた。
マラソンは、陸上競技の最終日、10月20日に行われた。
アベベは16キロ地点、たて続けに抜かれていた、突然立ち止まり、しゃがみ込んだ。
コースから忽然として姿を消し、棄権した。
マモがアベベの棄権を知ったのは、18キロ地点だった。
「沿道からニスカネン・コーチが、アベベは棄権だ、“マモ、お前しかいないだ、頑張って
くれ”」
29キロ地点からマモとテムの激しいトップ争いが展開された。
1万メートルの決勝では、自分とテムはが最後まで競り合って、結局負けたが、マラソン
ではこいつより上位に入ってやるぞって走ったよ。
この頃、日本の君原健二がマモを追い始めていた。
これはまずいと思って、またスパートをかけたんだ。「メインスタジアムが見えてきた時は、
よしこれで勝てるって思ったよ」
マモは、2時間20分27秒のタイムで優勝、2位は君原健二、3位はニュージーランドの
マイケル・ライアン、6位エチオピアのマラビがゴールインした。
参加選手の約3分の1が、暑さと酸素不足に苦しみ脱落、凄まじかったレース内容を
物語っていた。
★You Tubeで 「オリンピック ゲームズ メキシコ 1968 パート2」を観ると。
マモがトップで、エスタディオ・オリンピコのスタジアムに飛び込んで来た、
大観衆の中、マラソンランナーには珍しく、ゴールテープを手で切ってゴールイン。
そして、両手を広げ、念願の金メダルを獲得。過去のオリンピックレース、胸に去来
するものは。
エチオピアはオリンピック・マラソン三連勝という輝かしい戦績を、その歴史にとどめた
のである。
次はミュンヘン・オリンピックに続く。
★長距離王国エチオピアの誕生
<10,000m>


★動画

↓
メキシコ オリンピック 1968 10,000m
<マラソン>




★動画

↓
メキシコ オリンピック 1968 マラソン
注:映像が途中中断しますが、そのまま観てください。
★
★2019.01.17:動画追加
●メキシコオリンピック (1968年10月)
海抜2,240メートルに位置するメキシコシティで開催された。
“高地民族旋風”が極に達したのである。
マモ(36歳)は陸上競技第1日目の1万メートルに出場。
ケニアのテム、エチオピアのマモ、チュニジアのガムーディ、メキシコのマルチネスと、
1位から4位までが高地民族で占められたからである。5千メートルも同様であった。
★You Tubeで 「10,000メートル男子決勝,1968 メキシコシティオリンピック」 を観ると。
テムとマモが3コーナーに突入、4コーナーでマモがテムを抜きトップとなるが、直線
でテムが抜き返し、マモは惜しくも2位となる。ゴール後のマモの無念の思い。
表彰台の金メダルは、ナフタリ・テム(4日後の5000mで銅メダルを獲得)、銅メダル
はモハメド・ガムーディ(4日後の5000mで金メダルを獲得、東京オリンピックでは
1万m銀メダル)。トラックの実力者の中での銀メダル獲得、マモの実力が光る。
こうした高地民族の活躍ぶりから、マラソンも高地民族のものか、という予想が、レース
前から高まっていた。
マラソンは、陸上競技の最終日、10月20日に行われた。
アベベは16キロ地点、たて続けに抜かれていた、突然立ち止まり、しゃがみ込んだ。
コースから忽然として姿を消し、棄権した。
マモがアベベの棄権を知ったのは、18キロ地点だった。
「沿道からニスカネン・コーチが、アベベは棄権だ、“マモ、お前しかいないだ、頑張って
くれ”」
29キロ地点からマモとテムの激しいトップ争いが展開された。
1万メートルの決勝では、自分とテムはが最後まで競り合って、結局負けたが、マラソン
ではこいつより上位に入ってやるぞって走ったよ。
この頃、日本の君原健二がマモを追い始めていた。
これはまずいと思って、またスパートをかけたんだ。「メインスタジアムが見えてきた時は、
よしこれで勝てるって思ったよ」
マモは、2時間20分27秒のタイムで優勝、2位は君原健二、3位はニュージーランドの
マイケル・ライアン、6位エチオピアのマラビがゴールインした。
参加選手の約3分の1が、暑さと酸素不足に苦しみ脱落、凄まじかったレース内容を
物語っていた。
★You Tubeで 「オリンピック ゲームズ メキシコ 1968 パート2」を観ると。
マモがトップで、エスタディオ・オリンピコのスタジアムに飛び込んで来た、
大観衆の中、マラソンランナーには珍しく、ゴールテープを手で切ってゴールイン。
そして、両手を広げ、念願の金メダルを獲得。過去のオリンピックレース、胸に去来
するものは。
エチオピアはオリンピック・マラソン三連勝という輝かしい戦績を、その歴史にとどめた
のである。
次はミュンヘン・オリンピックに続く。
★長距離王国エチオピアの誕生
<10,000m>





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メキシコ オリンピック 1968 10,000m
<マラソン>







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メキシコ オリンピック 1968 マラソン
注:映像が途中中断しますが、そのまま観てください。
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