ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

郭公尾溜池

2019-06-05 22:05:09 | 長崎県
2019年5月25日 郭公尾溜池
 
郭公尾(こっこのう)溜池は長崎県松浦市御厨町郭公尾免にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には松浦市の事業で1940年(昭和15年)着工、1950年(昭和25年)竣工と記されています。
ただし戦前は新御厨町で1955年(昭和30年)の町村合併により松浦市となったため、厳密に言えば事業者は新御厨町(現松浦市)と言う記述が正確かと思います。
池の管理は御厨土地改良区が行っています。
 
池のすぐ下を県道144号が走っています。
堤高17.3メートルですが堤体中段を県道が通っており、ここから見た高さは数メートルしかありません。
 
下流面
実際の堤体は県道のずっと下まで続いています。
 
右岸にある越流式洪水吐。
 
堤体は右岸側で直角に折れ曲がり、洪水吐導流部は右岸堤体に沿って流下してゆきます。
 
下流から。
 
導流部は県道を潜りさらに流下してゆきます。
 
上流面はコンクリートブロックで護岸されています。
 
総貯水容量は33万立米。
 
右岸にある斜樋の操作建屋
 
斜樋
右側のシャフトが壊れています。
 
2606 郭公尾溜池(1450) 
ため池コード 422080010
長崎県松浦市御厨町郭公尾免
竜尾川水系寺ノ尾川
18メートル(ため池データベース17.3メートル)
170メートル(ため池データベース148メートル)
330千㎥(ため池データベース310千㎥)/250千㎥
御厨土地改良区
1950年

松山田溜池

2019-06-05 15:01:04 | 長崎県
2019年5月25日 松山田溜池
 
松山田溜池は長崎県松浦市調川町松山田免の調川川水系調川川源流部にある灌漑目的のアースフィルダムです。
ダム便覧には松浦市の事業で1941年(昭和16年)着工、1950年(昭和25年)竣工と記されていますが、溜池築造当時はまだ合併前のため、厳密には事業者は調川町(現松浦市)が正確かと思われます。
その後1970年(昭和45年)に農林省の補助を受けた県の老朽ため池改修事業により大規模な改修が行われ現在に至っています。
管理は調川地区土地改良区が行っています。
 
県道146号線で調川町松山田免地区に入ると正面に松山田溜池が遠望できます。
堤高18.8メートルですが、数字以上に存在感があります。
 
県道から溜池に向かうと長大な洪水吐導流部が現れます。
 
越流式洪水吐と貯水池
総貯水容量21万立米、背後の森は湯の谷水源の森として県森林公社が管理しています。
 
洪水吐越流堤。
 
下流面。
 
天端は車道。
 
上流面はコンクリートで護岸されています。
 
天端からは海が見えます
正面は星鹿半島、奥は的山大島かな??。
 
右岸の斜樋。
 
1970年(昭和45年)の改修の際に建てられた金箔文字の記念碑。
 
 
ダム下にはゆかなかったので底樋は確認できませんでした。
 
2605 松山田溜池(1449) 
ため池コード 422080038
長崎県松浦市調川町松山田免
調川川水系調川川
28メートル(ため池データベース18.8メートル)
90メートル(ため池データベース83.6メートル)
210千㎥/210千㎥
調川地区土地改良区
1950年