ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

山頭溜池

2019-06-06 18:31:47 | 長崎県
2019年5月25日 山頭溜池
 
山頭(やまがしら)溜池は長崎県平戸市生月町南免にある灌漑目的のアースフィルダム、灌漑用溜池です。
生月島は古くから漁業や捕鯨の拠点となってきましたが、水利に乏しく農業は湧水を水源として僅かに営まれてきただけでした。
しかし明治末期から大正にかけて近代土木技術を導入して多数の溜池が築造されたことで、傾斜地が各所で開墾され多くの棚田が作られました。
山頭溜池は生月島で最初に建設された大型溜池で、ダム便覧には山田土地改良区の事業で1912年(大正元年)着工、1914年(大正3年)竣工と記されています。
戦前には土地改良区はありませんので、その前身となった耕地整理組合もしくは水利組合の事業で建設されたと思われます。
池の管理は山田土地改良区が行っています。
 
なおダム便覧では堤高18.5メートル、堤頂長128メートルと記されていますが、2020年(令和2年3月)に作成された長崎県のため池データベースでは堤高14.5メートル、堤頂長128.8メートルとなっています。
データベースのスペックを採用すると、山頭溜池は河川法上のダムの要件を満たさなくなります。
 
山頭溜池は『山頭草原』が目印となります。
ダム下から
ダム便覧の写真と同じ、棚田の石垣越しに見る山頭溜池。
良質の石が採取されるため、生月島の棚田では美しい石垣が各所で見られます。
 
右岸の洪水吐は近年改修があったようでコンクリートが白く輝いています。
 
洪水吐導流部。
 
天端へは『山頭園地駐車場』に車を止め徒歩で向かいます。
ここが山頭溜池への入口となります。
 
山頭草原は牛の放牧用の草原で、牧柵の中に遊歩道が続いています。
 
園地から歩くこと10分ほどで山頭溜池左岸に着きます。
溜池にはイノシシ除けのフェンスがありますが立ち入り禁止ではありません。
 
上流面はコンクリート護岸されていますが草が覆っています。
 
左岸の斜樋。
 
天端からの眺め
真下には先ほどの石垣のある棚田が続き、森の奥には海が広がります。
 
溜池は総貯水容量9万3000立米と小ぶりです。
池の上流には山頭草原の放牧地が続きまるで信州の霧ケ峰のよう。
 
放牧地では黒毛が草を食んでいます。
正面のピークが池の名前の由来となった標高257メートルの『山頭』で、山頂まで遊歩道が続いています。
 
近年改修された越流式洪水吐
側壁のコンクリートは真っ白。
 
池直下の棚田と、池を取り巻く山頭草原の牧歌的な風景。
時間に余裕があればのんびり遊歩道を歩いて上から池を俯瞰してみたい、そんな山頭溜池でした。
 
2575 山頭溜池(1452) 
ため池コード 422070118
長崎県平戸市生月町南免
神の川水系神の川
18.5メートル(ため池データベース14.5メートル
128.8メートル
93千㎥/93千㎥(ため池データベース87.5千㎥)
山田土地改良区
1914年 

生月第1池

2019-06-06 14:32:15 | 長崎県
2019年5月25日 生月第1池
 
生月第1池は長崎県平戸市生月町里免にある灌漑目的のアースフィルダムです。
生月島は平戸島の北西にある南北約10キロ、東西2キロの細長い島で、古くから漁業や捕鯨の拠点となってきた一方、農業は湧水を水源として僅かに営まれてきたのみでした。
しかし明治末期から大正にかけて近代土木技術を導入して多数の溜池が築造され、傾斜地が各所で開墾され多くの棚田が作られました。
生月第1池もそのような溜池の一つで、ダム便覧では生月土地改良区の事業で1915年(大正4年)着工、1920年(大正9年)竣工と記されています。
戦前には土地改良区はありませんので、その前身となった耕地整理組合もしくは水利組合の事業で建設されたと思われます。
池の管理は生月土地改良区が行っています。
 
生月島西岸を走る通称『生月サンセットウェイ』を北に進み里免地区に入ります。
JAの肥育センター脇を東に折れ狭い農道を登ってゆくと生月第2池に出ます。ここを右折すれば番岳の麓に第1池が見えてきます。
生月第1池を遠望
背後の三角錐の山は番岳で山麓の森は水源の森として保護されています。
 
生月第1池直下には小さな溜池があります(名称不詳)
向かって右手は生月第1池の洪水吐で、越流した水は直下の溜池に流入します。
下の池は減勢工の役割にも見えますが、むしろ貴重な水は少しも逃さないという工夫にも思えます。
 
下流面。
 
天端入口にはイノシシ除けのフェンスがありますが立ち入り禁止ではないようです。
草が伸びていますが、さほどのことはなく対岸まで歩けます。
 
堤体上部はコンクリートブロックで護岸
上流面は石積護岸されておりここは建設当時のままかもしれません。
 
天端からの眺め
棚田と溜池が続き、奥には海が望めるまさに絶景!!
奥の池が生月第2池です。
 
貯水池は総貯水容量14万6000立米
水源の森の効果でしょうか、灌漑期そして少雨にもかかわらずほぼ満水。
 
右岸の斜樋。
 
わかりにくいですがこれが洪水吐。
こちらにもイノシシ除けのフェンスがありました。
生月大橋の開通で橋を伝って本土からイノシシが来島したようです。
 
洪水吐導流部
手前側は近年改修があったようで床もコンクリート張り、奥は昔ながらで流路床部分は石張りになっています。
 
ダム便覧でこの池の天端からの写真を見て以来、長く憧れでもあった生月島の溜池をようやく目にすることができました。
幸い天気にも恵まれ期待にそぐわぬ素晴らしい眺めを堪能できました。
最後に余談ですが、長崎県の松浦市や平戸市では語尾に『免』という地名が各所にみられます。
松山田免、郭公尾免、里免、南免といった具合です。
他にも島原では『名』、大村や五島では『郷』、壱岐では『触』の文字がつくことが多いようです。
地域としては
『免』は旧平戸藩領、『名』は旧佐賀藩および島原藩領、『郷』は旧大村藩および五島藩領、『触』は壱岐となっています。
由来については諸説あるようですが、有力な説としては
『免』は中世以降の年貢減免を受けたいわゆる免田、『名』は年貢徴収の単位となった田畑、『郷』は律令や荘園制度下での行政区分単位、壱岐の『触』については『村』の古代読みである『ムレもしくはフレ』に由来すると言われています。
以上本題に関係のない蘊蓄でした。
 
2584 生月第1池(1451) 
ため池コード 422070109
長崎県平戸市生月町里免
うこの川水系うこの川
17.5メートル(ため池データベース16.5メートル)
122メートル(ため池データベース109.1メートル)
145千㎥/145千㎥
生月町土地改良区
1920年 

神曽根第2ダム

2019-06-06 12:18:31 | 長崎県
2019年5月25日 神曽根第2ダム
 
神曽根(こうぞね)第2ダムは長崎県平戸市下中野町の神曽根川下流部にある上水道用水目的の重力式コンクリートダムです。 
平戸市の中核をなす平戸島には大河がなく、高度成長期までは上水道水源の大半を地下水(井戸水)に依存してきました。しかし、高度成長による人口増加や生活様式の変化を受け、昭和40年代より本格的な上水道整備が進められ平戸島最初の上水道水源として1969年(昭和44年)に完成したのが神曽根第2ダムです。
管理は平戸市水道局が行い、ここで取水された水は500メートルほど下流の平戸浄水場に送られたのち平戸市中心部へ給水されます。
なおダム便覧では神曽根第2ダムと記されていますが、現地では神曽根ダムと呼ばれています。地図などでも第1ダムは見当たらず単に神曽根ダムと言う名前でよいのではないかと思います。
 
県道19号の生田峠から神曽根第2ダムが遠望できます。
 
洪水吐は全面越流式1門
自治体管理の上水ダムの典型的スタイル。
 
残念ながら天端やダム湖は立ち入り禁止のため見ることはできません。
 
3683 神曽根第2ダム(1451) 
長崎県平戸市下中野町
神曽根川水系神曽根川
25.65メートル
86.33メートル
128千㎥/120千㎥
平戸市水道局
1969年