ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

稲村ダム

2021-12-05 20:00:00 | 高知県
2021年11月23日 稲村ダム
 
稲村ダムは高知県土佐郡土佐町瀬戸の吉野川水系瀬戸川にある四国電力(株)が管理するロックフィルダムです。
1970年代以降、電化製品とりわけエアコンの普及による電力消費の昼夜間格差の拡大を受け、電力各社は火力や原子力との連携が図れ余剰電力を有効利用できる巨大蓄電池としての揚水発電に着目します。
四国電力も1982年(昭和57年)に同社初の純揚水発電所である本川発電所を建設、稲村ダムは同発電所の上部調整池として同年竣工し、下部調整池である大橋ダムとの有効落差528.4メートルを利用し最大61万キロワットの純揚水式発電が稼働しました。 
稲村ダムの天端標高は1127.5メートルで四国最高地のダムとなっています。
今回は早明浦ダムから国道439号線から県道6号を経由、瀬戸川渓谷を遡上して稲村ダムに至りましたが、一般には大橋ダムから稲村トンネルを抜けるルートが無難かと思います。
 
ダムは稲村山登山口になっており左岸ダムサイトには大きな駐車スペースがあります。
しかしダム下へ通じる管理道路や天端は立ち入り禁止のため見学は左岸からにとどまります。
堤高88メートル、堤頂長353メートルのロックフィルダム
吉野川上流域は三波川変成帯で構成されており、ロックフィルダムとしては珍しくリップラップには結晶片岩や黒色片岩が使われています。


もう一枚
朝日を受け片岩特有の独特の光沢を放ちます。


広い天端ですが立ち入り禁止。


音声解説付きの説明板
この手の音声解説はボタンを押しても反応しないことが多いのですが、ここはちゃんと説明が始まります。


早朝の訪問ですが、堤体中央の線が満水位で水位はかなり低め。
近年太陽光発電のシェアが上がったことで揚水式発電の運用も大きく変化し、日中に太陽光の余剰電力で揚水し、太陽光の出力が落ちる宵の口から深夜に発電するという運用が一般的になっています。
夕方に向けて太陽光の余剰電力で揚水されると思われます。

洪水吐内側は護岸のため一段高くなっています。


横越流式洪水吐
奥は管理事務所。


逆アングルで。

竣工記念碑。こちらも片岩。


管理事務所
遠隔操作で職員の常駐はありません。


水利使用標識。


左岸上流側のこの施設
繋留設備かと思ったら河川維持放流用の取水設備でした。


ダム湖周辺は片岩で形成された独特の岩稜が続きロケーションも悪くないですが、天端等の立ち入り制限は発電施設としてはやむなし。
稲村山はアケボノツツジが有名で、花の季節にはダムサイトの広い駐車場がいっぱいになるほどの登山者で賑わうようです。
 
(追記)
稲村ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2326 稲村ダム(1758) 
高知県土佐郡土佐町瀬戸
吉野川水系瀬戸川
88メートル
352メートル
5800千㎥/5100千㎥
四国電力(株)
1982年
◎治水協定が締結されたダム

早明浦ダム(元)

2021-12-05 15:00:00 | 高知県
2021年11月23日 早明浦ダム(元) 
 
早明浦ダム(元)は左岸が高知県長岡郡本山町吉野、右岸が土佐郡土佐町田井の一級河川吉野川本流にある水資源機構が管理する多目的重力式コンクリートダムです。
『四国三郎』の異名を持つ吉野川は、四国最大の河川ながら日本屈指の暴れ川でその治水は歴代為政者の至上命題となっていました。一方、四国瀬戸内海沿岸地域は少雨に加えて大河がなく水量豊富な吉野川からの導水が江戸時代からの悲願となっていました。
戦後、建設省を軸に『吉野川総合開発計画』が企図されますが利害の対立もあり調整は難航します。
1966年(昭和41年)に『吉野川水系水資源開発基本計画』(フルプラン)が採択され、吉野川水系では水資源開発公団(現水資源機構)による河川総合開発が進められることになりした。
そして香川用水をはじめとした各種計画の水源として、1974年(昭和49年)に竣工したのが早明浦ダムです。
早明浦ダムは水資源機構法(当時は水資源開発公団法)による多目的ダムで、吉野川の洪水調節、安定した河川流量の維持と既得灌漑用水への補給、吉野川北岸用水香川用水高知分水を通じた各地への利水供給、電源開発(株)早明浦発電所(最大出力4万2000キロワット)でのダム式水力発電を目的としています。
 
総貯水容量3億1600万立米は四国最大、全国9位の規模で文字通り『四国の水ガメ』となっており、ダムは日本ダム協会により日本100ダムに、ダム湖の『さめうら湖』はダム湖百選に選ばれています。
一方でダム完成後も渇水被害や計画を超える洪水が多発、とりわけ治水については放流設備の増強が必至となっていました。
これを受け、2018年(令和元年)に利水容量の一部の洪水調節容量への振り替え、予備放流の導入、放流設備の増強を柱とする『早明浦ダム再生事業』が採択されました。
具体的には堤体右岸を掘削して新たな放流設備及び減勢工が増設されることになり、2028年(令和20年)の竣工を目標にダム再開発事業が進行中です。

 ダム下流から
早朝の訪問でしたが、ちょうど朝日が堤体を照らしやや黄金色がかった美しい眺めとなりました。
堤高106メートル、堤頂長400メートルと日本を代表する重力式コンクリートダム。
放流設備はクレストローラーゲート6門とホロージェットバルブ2条を装備
武骨で質実剛健と言った風 
再生事業が本格化すればこの眺めも見納めとなります。


左岸から
左岸ダム下には電源開発(株)早明浦発電所があります。
右岸側のホロージェットバルブから放流中。


 バルブをズームアップ。

右岸から
再生事業が始まれば、この場所からの見学も当面できなくなります。


香川用水の取水ダムである池田ダムと同様鉄骨トラス製ピア。


管理事務所のある右岸ダムサイトに上がります。
ここには各種説明板や石碑が並びます。
これは四国の形をした『四国のいのち』の碑
池田ダムにも四国の形をした碑がありますがあちらは『四国は一つ』
左手はダム湖百選のプレート。


銅製の諸元プレート。


再生事業の説明板。


 上流面
こちらもあまり飾り気はありません。
左手は表面取水設備
濁水対策として表層水の取水目的で後付けされました。


天端から。
減勢工が渦巻いています。




鉄骨トラス製のピア。


左岸から下流面。

 
堤体から突き出た水圧鉄管と早明浦発電所。


後付けの選択取水設備。


左岸高台のケーブルクレーン台座跡
今は展望台になっています。


展望台から
ダム湖の『さめうら湖』は総貯水容量3億1600万立米で四国最大、日本第9位。


早明浦ダム再生事業により、間もなく堤体右岸への掘削工事が始まります。
古い早明浦ダムの姿を見れるのも今のうち。
竣工予定は2030年(令和12年)とまだまだ先。
 
(追記)
早明浦ダム(元)には洪水調節容量が配分されていますが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行うための予備放流容量が配分されました。
 
2322 早明浦ダム(元)(1757) 
左岸 高知県長岡郡本山町吉野 
右岸 高知県土佐郡土佐町田井 
吉野川水系吉野川 
FNAWIP 
 
106メートル 
400メートル 
316000千㎥/289000千㎥ 
水資源機構 
1968年 
◎治水協定が締結されたダム 
-------------------- 
3702 早明浦ダム(再) 
左岸 高知県長岡郡本山町吉野 
右岸 高知県土佐郡土佐町田井 
吉野川水系吉野川 
FNAWIP 
 
106メートル 
400メートル 
316000千㎥/289000千㎥ 
水資源機構 
2018年~ 

汗見ダム

2021-12-05 10:00:00 | 高知県
2021年11月23日 汗見ダム
 
汗見ダムは左岸が高知県長岡郡本山町七戸、右岸が同町瓜生野の吉野川水系汗見川にある電源開発(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
早明浦ダム建設事業に発電業者として事業参加した電源開発は、発電容量確保のためダム下流で吉野川に合流する汗見川から早明浦ダム湖への導水を図ります。
その取水ダムとして1972年(昭和47年)に建設されたのが汗見ダムです。
汗見ダムでは毎秒最大7立米の水が取水され約4キロの導水路で早明浦ダムへ送られます。
 
早明浦ダムから汗見川沿いの県道264号線を約8キロ北上すると汗見ダムに到着します。
堤体は全面越流式。
手前に放流ゲートや取水ゲートがあり、バルブが見えます。
 
 
ダムの敷地は立ち入り禁止。
 
 
水利使用標識。
 
堆砂が進み貯水池はほぼ土砂で埋め尽くされています。
ダム便覧では総貯水容量7万9000立米に対して有効貯水容量2万9000立米となっていますが、実際にはもっと堆砂が進んでいるように見えます。
 
堤体右岸にある放流ゲート
その右手に取水口があるようですがカメラで捉えることはできません。
 
3618 汗見ダム(1756) 
左岸 高知県長岡郡本山町七戸 
右岸        同町瓜生野 
吉野川水系汗見川 
 
 
18.5メートル 
63.5メートル 
79千㎥/29千㎥ 
電源開発(株) 
1972年