ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

大橋ダム

2021-12-06 20:00:00 | 高知県
2021年11月23日 大橋ダム
 
大橋ダムは左岸が高知県吾川郡いの町葛原、右岸が同町脇ノ山の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
1930年(昭和5年)にまず高薮発電所を建設、次いで水量豊富な吉野川の水を仁淀川水系に流域変更させることで有効落差を稼ぎより大きな発電能力が得られる『仁淀川分水発電事業』に着手します。
一方で分水による水量減少の影響を軽減するため、1939年(昭和14年)に竣工したのが大橋ダムで、吉野川の水位変動の緩和及び大橋発電所(最大出力5500キロワット)でのダム式発電を目的としました。
一連の発電施設は電力国有化による日本発送電の接収を経て1951年(昭和26年)の電気事業再編政により四国電力が事業を継承しました。
1980年代に入り、電化製品の普及に伴う電力消費の日量格差格差拡大を受け、余剰電力の効率的運用が可能な揚水式発電に注目が集まります。
四国電力も1982年(昭和57年)に新たに建設した稲村ダムを上部池、当ダムを下部池とする同社初の純揚水式発電所である本川発電所を建設し、有効落差528.4メートルを利用して最大61万キロワットの揚水式発電が稼働しました。 
大橋ダムは昭和10年代屈指のコンクリートダムとしての評価が高く、2002年(平成14年)に土木学会選奨土木遺産に選定されました。
またBランクの近代土木遺産にも選ばれています。
 
早明浦ダムから吉野川沿いの県道17号線を約32キロ西に進むと大橋ダムに到着、県道17号線から下流面を望むことができます。
堤高73.5メートルは戦前完成のダムとしては日本第4位の高さを誇ります。
 
放流設備はローラーゲート4門
扶壁前面中央に円形のバルコニー、その両側にゲートハウス、外側に四角のバルコニーが並びます
明らかにシンメトリーを意識した造り。
 
右岸から
くっきりとした打ち継ぎ目がビンテージダムの証。
 
扶壁前面のゲートハウスからピアトップを経由したワイヤーを使ってゲートの昇降が行われるいわゆる中国四国型発電ダム。
ワイヤーにはカバーがつけられています。
 
ダム右岸に残るバットレスのプラント跡。
 
赤字の銘板は四国電力では大美谷ダム長沢ダムでも見られますが、こちらは独特の書体。
○○堰堤という表示も吉野川流域のダムでは一般的。
  
 
上流面と右岸の取水塔
こちらは大橋発電所への取水設備。
 
右岸の取水ゲート。
 
天端は車両通行可能
四角いゲートハウスの作りは山口の向道ダムをはじめとした、中国四国型発電ダムの典型的なフォルム。 
 
天端高欄の洒落た照明
この辺り意匠はダムを作った住友のセンスの一端。
 
天端から
減勢工は昭和10年代らしいすり鉢型、四角っぽい形状は後に続く長沢ダムと似ています。
吉野川はこの先すぐ右に屈曲しており、減勢のため狭隘な谷間やカーブなど自然の地形をうまく利用しているのがよくわかります。
 
ダム湖右岸上流には四国電力のPR館である『本川水力センター』があります。
手前のコンクリートが揚水式発電を行う本川発電所の入口。発電所はこの遥か奥の地下にあります。
 
上流から遠望
総貯水容量は2403万立米。
 
吉野川上流部に大戦前後に建設された大橋ダム、長沢ダム大森川ダムはダム自身はそのスケールや貯水容量相応の発電を行ってはいません。
いずれも仁淀川分水発電や高薮発電所など下流の発電能力向上を主目的にしている点が特徴です。
 
(追記)
大橋ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2303 大橋ダム(1761) 
左岸 高知県吾川郡いの町葛原 
右岸        同町脇ノ山 
吉野川水系吉野川 
 
 
71メートル 
216.6メートル 
31900千㎥/28430千㎥ 
四国電力(株) 
1949年 
◎治水協定が締結されたダム 

分水第一発電所吉野川取水堰

2021-12-06 18:00:00 | 高知県
2021年11月23日 分水第一発電所吉野川取水堰
 
分水第一発電所吉野川取水堰は高知県吾川郡いの町長沢の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリート堰堤です。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
1930年(昭和5年)にまず高薮発電所を建設、次いで水量豊富な吉野川の水を仁淀川水系に流域変更させることで有効落差を稼ぎより大きな発電能力が得られる『仁淀川分水発電事業』に着手します。
しかし電力国有化により、同事業は日本発送電に引き継がれ1940年(昭和15年)に完成したのが分水第一発電所吉野川取水堰です。
ここで取水された水は大森川取水堰を経由して約5.3キロの導水路で分水第一発電所に送られ最大2万6600キロワットの水路式発電が行われます。
さらに翌1941年(昭和16年)に分水第二発電所(最大出力7800キロワット)と第三発電所(最大1万900キロワット)、戦後の1950年(昭和25年)に第四発電所(最大8100キロワット)が完成し、計5万3400キロワットの発電能力を持つに至ります。
これらの発電施設は1951年(昭和26年)の電気事業再編政により四国電力が事業継承しました。
また1949年(昭和24年)に当取水堰上流1キロに長沢ダムが完成、さらに1959年(昭和34年)の大森川ダム完成により、季節変動の少ない安定した取水が可能となり分水発電所での効率的発電が可能となりました。 
 
長沢ダムの下流約1キロ、県道40号線沿いに取水堰があります。
堤頂には2門のフラップゲート、右岸には岩盤を利用した放流ゲートがあります。
 
放流ゲートも後付け、もとは排砂ゲートだったんでしょう。
 
 
導流面はコンクリートブロック張りのようです。
 
フラップゲートと右岸の取水口
赤っぽいのはレンガ積みか?
 
右岸の導流部は岩盤に合わせて絞りが入った上にプチジャンプ台。
シュート部分は強化のため石張りです。
 
やはり導流部表面はコンクリートブロック張り
一方シュート部の石張りは竣工当初のもの??
 
ここで取水された水は大森川取水堰を経由し仁淀川水系枝川川の分水第一発電所に送られます。
 
四国中央電力による仁淀川分水計画は、あくまでも水量豊富な吉野川の水をより効率的な発電のため敢えて有効落差が稼げる仁淀川水系に流域変更させるというものです。
同じ流域変更でも利水重視の香川用水や高知分水、銅山川分水とは根本的目的が異なります。
 
分水第一発電所吉野川取水堰
高知県吾川郡いの町長沢
吉野川水系吉野川
29.5メートル
79.5メートル
四国電力(株)
1940年

長沢ダム

2021-12-06 14:00:00 | 高知県
2021年11月23日 長沢ダム
 
長沢ダムは高知県吾川郡いの町長沢の一級河川吉野川本流上流部にある四国電力(株)が管理する発電目的の重力式コンクリートダムです。
別子銅山を経営していた住友財閥は新居浜に金属精錬および関連事業を集約、その電力確保のため傘下の四国中央電力(株)を通じ吉野川上流域での電源開発に注力します。
同社は1930年(昭和5年)の高薮発電所を手始めに1939年(昭和14年)に大橋ダム・大橋発電所、さらに1940年(昭和15年)には吉野川から仁淀川水系に流域変更して発電を行う分水発電所を完成させます。
次いで1941年(昭和16年)に建設着手されたのが長沢ダムですが電力国有化の流れの中、高薮発電所以外の発電施設はすべて日本発送電に接収され、長沢ダム建設事業も同社の手で継続されます。
しかし戦中戦後の物資不足や混乱の中、事業は大きく遅延し1949年(昭和24年)にようやく長沢ダムは完成、併せて最大5200キロワットの発電を行う長沢発電所が稼働しました。
ダム完成の2年後の1951年(昭和26年)に日本発送電は解体され、長沢ダムを含めた四国における同社の電気事業はすべて四国電力が継承します。
 
ダムのスケールや貯水量に比べ、長沢発電所の発電能力はわずか5200キロワットであまりにも非効率です。
これは長沢ダムの主目的が同発電所での発電ではなく、3000万立米を超える貯水容量を生かし吉野川の河川流量の季節変動を平準化することで、分水第1~第4発電所での発電効率向上だったからです。
その後1959年(昭和34年)には吉野川右支流大森川に大森川ダムが完成し、大森川ダムを上部調整池、当ダムを下部調整池として大森川発電所で最大1万2200キロワットの混合揚水式発電が開始されました。
 
国道194号線から吉野川沿いの県道40号を約3キロ西進すると長沢ダムに到着します。
ダム下の河原からダムと正対できます。
ここは三波川変成帯、河原には結晶片岩がごろごろ
放流設備はクレストローラーゲート2門だけ。
 
クレストをズームアップ
扶壁前面のゲートハウスからピアトップを経由したワイヤーでゲートを動かす、いわゆる中国四国型発電ダム。
 
打ち継ぎ目がはっきりし、傷みが目立つコンクリート。
戦中戦後の物資不足をやりくりして建設されました。
 
下流面
堤頂からいったん上流側に深く抉れたのちバケットカーブが始まる特徴的なフォルム。
 
天端親柱の銘板も独特
赤字の銘板は大美谷ダム大橋ダムでも見られますが、この書体は当ダムオリジナル。
 
竣工年度も同じ。
 
竣工記念碑も同様の書体。
事業者に日本発送電の名が残る記念碑はここと広島の高暮ダムくらいでしょう。
 
天端から
堤体から突き出た水圧鉄管が長沢発電所に続きます。
発電能力は最大5200キロワット。
 
減勢工も戦中戦後のダムらしいすり鉢型
四角がかっているのはほぼ同意時期に着工された津賀ダムと酷似しています。
 
総貯水容量は3190万立米
ダム湖上流左手の志沢に混合揚水式の大森川発電所があります。
 
天端は車両通行可能
ここは三波川変成帯、左岸には片岩の岩峰が並び四国最高峰の石鎚山へと続きます。
 
上流から
ピアは中国四国型発電ダムでおなじみ、にょきにょきタイプ。
ゲート左側に取水設備、対岸に管理事務所があります。
 
(追記)
長沢ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2306 長沢ダム(1760) 
高知県吾川郡いの町長沢 
吉野川水系吉野川 
 
 
71メートル 
216.6メートル 
31900千㎥/28430千㎥ 
四国電力(株) 
1949年 
◎治水協定が締結されたダム 

大森川ダム

2021-12-06 08:00:00 | 高知県
2021年11月23日 大森川ダム
 
大森川ダムは高知県吾川郡いの町寺川の一級河川吉野川右支流大森川にある四国電力(株)が管理する発電目的の中空重力式コンクリートダムです。
1951年(昭和26年)の電気事業再編令で誕生した四国電力は戦後の復興や高度経済成長による電力需要拡大に対処するため各所で電源開発や既設発電施設の増強を進めます。
吉野川水系では戦前より四国中央電力(のちに日本発送電)による『仁淀川分水発電事業』が進められ大橋ダム長沢ダム・分水発電所が建設されました。
四国電力がこの分水発電事業のより効率化を進めるために1959年(昭和34年)に建設されたのが大森川ダムで、中部電力井川ダムに次ぐ我が国2例目の中空重力式ダムとなっています。
大森川ダムは当ダムを上部調整池、長沢ダムを下部調整池として大森川発電所で最大1万2200キロワットの混合揚水式発電を行いますが、混合揚水式発電を採用した背景には、豊水期に揚水し渇水期に発電放流を増やすことで河川流量の季節変動を平準化させ分水第1~第4発電所での発電を安定させるという目的があります。
 
大森川ダムの名前を高めるのは貴重な中空式ダムと言うだけではなく、同ダムへの厳しいアプローチにもよります。
一番安定したルートと言われる南奥川林道でさえ、約10キロの隘路とダート走行を余儀なくされます。
今回は国道194号線大森山トンネル手前からその南奥川林道を使って大森川ダムに至りました。
幸い路面状況は予想したほど劣悪ではなく、レンタカーのヴィッツでも大過なくダムに到達することができました。
 
林道に入り約10キロ、運転に辟易してきたころに突然目の前にダムが姿を見せます。
『かっけーー!』
ここはもう声を出さずにはいられません。
谷間の間の逆三角のダムは美しいの一言、勝手に中空の貴婦人と名付けさせていただきます。
 
クレストにはラジアルゲート1門、後付けの放流設備から河川維持放流が行われています。
まっすぐに降りる導流壁とジャンプ台式洪水吐がいかにも昭和30年代のダムと言った風。
 
正対してるので立体感はありませんが、中空ダムらしく襟がなく堤頂から始まるスロープが見て取れます。
放流設備は河川法改正により維持放流が義務付けられたことに対応した後付け。
 
減勢部はジャンプ台
ジャンプ台の下にはバルブがあるようですが木が邪魔で視認できません。
 
まずは右岸ダムサイトに上がります。
銘板は四国でよくみられる『○○堰堤』。
 
天端は立ち入り禁止
訪問時は工事中のためごちゃごちゃ。
 
貯水池はほぼ満水、中空ダムおなじみのタコ足スリットは確認できません。
対岸左岸に管理事務所があります。
 
ゲート上流面。
よく見るとゲート上部が凹型になっています。オーバーフローさせるタイプなんでしょう。
 
左岸にやってきました。
中空ダムらしく堤頂から始まるスロープ。

水利使用標識。

概要板。


左岸上流側に取水設備があるのですが工事の関係で進入できず。

(追記)
大森川ダムは洪水調節容量を持たない利水ダムですが、治水協定により台風等の襲来に備え事前放流を行う予備放流容量が配分されました。
 
2311 大森川ダム(1759) 
高知県吾川郡いの町寺川
吉野川水系大森川 
 
HG 
73.2メートル 
191メートル 
19120千㎥/17320千㎥ 
四国電力(株) 
1959年 
◎治水協定が締結されたダム